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エピソード.0 「HR~特別クラスのアサシンティーチャー~」

2015年8月27日初投稿。


名前の通りです。

夜間学校の特別クラスで、引退した元暗殺者が教師をしている心情。

このお話の中でクリードとは、心理や心情を指します。


(改稿しました)

***



 闇の中を、我武者羅に走る。

 恐怖に脚が竦んで、今にも倒れ込んでしまいそうだ。


 酸素が著しく足り無い。

 吐く息がまるで、獣のようだ。

 脇腹が痛い。

 どくどくと、心拍に合わせて流れ出ていく血潮。

 血が足りない。

 脳裏に貧血と酸欠で、警告信号が鳴っていた。


 負けが込んでしまっていた。


 ただ、それだけだ。


 最近は、そこまで業績が高かった訳ではない。

 上には上がいる。

 そんな常識だって分かっているし、自分が一番だなんて自惚れた事を豪語するつもりも無かった。


 だが、最近は特に、痛感していた。

 力不足もそうだが、圧倒的な経験不足。

 そりゃ、13歳から強制的にデビューさせられた人間からしてみれば、優秀な人間からの私事もなしに、たった3年でどれだけ足掻けるかなんてたかが知れている。

 それを教えてくれる優秀な人材やらも、もういない・・・・・

 だから負けが込んでしまった。

 そのせいで、怪我もしていた。


 体調不良も重なっていた。


 だが、そんなものは、残念ながら負けた言い訳にしかならない。

 命のやり取りに、待ったは無い。


 だからこそ、まずは撤退。

 逃げるしか、今は方法が無い。

 体勢を立て直して、それから何かしらの手を打つ。

 今は、それだけを考える。


 だが、それももう終わりだった。


「…Shit!(クソッ)」


 追い詰められた、路地裏。

 目の前には冷たいコンクリートの壁。

 硬く冷たい、まるで自身の生命への渇望を拒絶させるような壁だった。


 もう駄目か。

 そんな思いが脳裏を過る。


 完全に失敗した。

 ここは袋小路だ。


 地の利が無いのは、明らかだった。

 確かに、慣れ親しんだ本国では無いとはいえ、事前に確認していた筈の道すら間違えた。

 なんて、無様な逃走劇。

 オレは、3年もこの世界に浸って、こんなアドバンテージも取得出来ないのか。


 思わず、壁を打ち据えた。

 脇腹の傷から、また新しく血潮が滴り落ちた。


 更に、


「鬼ごっこはおしまい?」


 背後に迫る、商売敵アサシン


 黒いコートに、ハンティング帽。

 髪の色は、まるで血が滴ったかのような、どす黒い赤色。

 黒と赤の商売敵は、まるで地獄からやってきた死神のようにも見えた。


 掛けられた言葉は、軽い。

 その上で、男としては少し高すぎるきらいのある声。

 おかげで、脳裏にがんがん響く。

 黙って欲しかった。


 自身は、先程この暗殺者から手傷を受けている。

 脇腹の出血は、この男が扱うナイフによってもたらされたものだった。

 放っておけば、致命傷にも成り得る傷だ。


「そろそろ諦めてくれねぇかな?」


 路地裏に反響する、中途半端な低さの声。

 軽薄そうな声だ。

 出来れば、黙ってさっくりやって欲しい。


 暗殺者の癖に、この男は良く喋った。

 ペラペラと喋りながら、確実に自身のペースを乱して行ってくれた。


 オレが苦手な部類だ。

 おかげで、言葉にも行動にも振り回される。

 ある程度の訓練を受けているオレでも、流石に耳に入ってくる言葉の全部を遮断する事なんてできない。


 更に言えば、コイツがオレの過去の任務を知っていたとなれば、耳を塞ぐ事は許されなかった。

 動揺したところを、ばっさりと裂かれた。

 縦に一閃。

 それでも、肋骨に引っ掛かったのか、傷の長さは広いが、内蔵までは達していない。

 それが、まだ不幸中の幸い。


「捕まってくれるだけで良いんだって。アンタ、顔だけは良いからさぁ?手足達磨にすりゃ、死んだも同然だろぉ?」


 だが、オレの不幸は、この暗殺者に追い詰められた事。


 男の言葉に、嫌が応でも反応する。

 耳朶を震わせる声の中には、下卑た魂胆が透けて見えた。


 眼は、捕食者のそれ。

 声には、軽薄な侮蔑を含み、言葉には嗜虐が滲む。


 捕まってくれるだけ?

 手足達磨にする?

 死んだも同然?


 それは当たり前だ。


 その後、どうしてくれると言うのだろう。

 売られるのか、それとも飼われるのか。


 この男のニュアンスだけを聞くと、後者に思える。

 いや、どのみち売られたとしても、飼われたとしても末路は同じだ。

 考えたくも無い。


 ならば、いっそ殺された方がマシだ。

 誰が、男の慰みものになりたいと思うか。


 痛みをは発する脇腹。

 この男に傷を付けられ、更には蹴り飛ばされた。

 先ほどから、呼吸すらも怪しい。


 しかも、毒でも仕込まれていたのか。

 徐々に体の自由が奪われている自覚も持っている。


「んー?…あ、そろそろ、体も痺れて来たかい?そりゃそうだろ?…オレの相棒の毒は、優秀だからねぇ」


 男の袖から、ずるりと落ちた何か。


 その何かへと目を移したと同時に、体に仕込まれた毒の答えは分かった。


「……そりゃ、ねぇよ」


 うねうねとしなる細長い体。

 若干湿った表皮が、宵闇の中で怪しく光を反射していた。


 蛇だ。

 ちろちろと、赤い舌を覗かせながら、ゆったりと頭をもたげた、男が裾から現した蛇。

 それも、コブラ科マンバ属、ブラックマンバ。


 強力な神経毒を使う毒蛇だ。

 即効性の神経毒を持ち、その神経毒は神経の放電を塞ぐことで、麻痺やしびれ、呼吸や心臓の停止を引き起こす。

 処置が遅れれば、ひいては死に至る。


 日本には、動物園以外には存在していない筈。

 多くは、アフリカ大陸などのサバンナにしか生息していないこれを、この男は相棒と呼んでこうして現代日本に持ち込んでいるという事だろうか。


 背中に流れ落ちた汗。


 毒の種類は分かった。

 蛇毒。

 しかし、分かったところでこのままではどうしようもない。


 オレの足が限界を訴え、崩れ落ちる。

 蛇の毒は即効性だ。

 ついでに、動き回れば毒の回りも早くなるというのに、オレは先ほどまで全力疾走で駆け回っていた。


 どうりで、呼吸すら怪しくなっている筈だ。


 身体は既に、毒によって犯されている。

 毒に対する耐性を付けてはいた。

 しかし、その耐性の中には、ある程度の蛇毒ぐらいしか、レパートリーはなかった。

 ブラックマンバの毒は、当然のごとく無かった。

 耐性を付ける前に、死んでしまうからだ。


 ただ、そのある程度の蛇毒の耐性を付けてしまっていた分、気付くのも遅れてしまったようで。


 オレは、今毒蛇に捕食される獲物となっている。


 手詰まりだ。


 脳裏に、諦めが浮かぶ。


「…まだ、目が死んでないねぇ。相棒の毒、まだ回りきってはいねぇかな?」


 崩れ落ちたオレを、男が靴底で詰る。

 そして、うつ伏せだった体勢を、仰向けにされたところで、


「うん。やっぱ、顔は良いな。…血清は打ってやるから、目が覚めてからは大人しくオレ達(・・・)の玩具になってくれよぉ?」


 男は、わざとオレに見せ付けるようにして、その手に持った銀色を反射させる。

 懐から取り出した注射器。

 話の内容から言えば、おそらく血清だろうとは分かる。

 だが、この状況では、それを打って欲しいとは到底思えない。


 オレの呼吸音に混じって、ブラックマンバの慟哭のような息遣いまで聞こえる。


 男から受けるだろう、責め苦は何だったか。

 出来れば、このまま意識すら全て塗り潰して、殺してくれれば良いのに。


 手足を落とした達磨?

 男の玩具。

 基、慰み者だろうか。


 いや、待て。


 さっき、この男はオレ達(・・・)と言った。

 つまりは、この男は組織がらみで行動している人間の可能性もある。


 冗談じゃない。

 男の相手なんて、一人でも御免だ。

 それを、何人も相手にするぐらいなら、いっその事殺してほしい。


「……ころ、せ、」

「んー?駄目。…オーダーは、捕獲だから」


 命令オーダー

 この男は、今確かにそう言った。


 やはり、バックに何者かが潜んでいる。

 ………というか、今更ではあるけど、もしかしてコイツの依頼は、オレの捕獲だった?

 商売敵としてでは無く、最初からオレを目的にしていた?

 そうだとしたら、オレは無駄な時間を使ってしまったんだろう。

 任務を片付けるよりも先に、敵の排除に乗り出してしまった。

 そのせいで、このザマだ。


「…殺すってのは、無理だなぁ。オレだってアンタと遊びたいしぃ、そもそも依頼人クライアントがメスを片手に、手薬煉引いて待ってるから、さ」


 男は、苦笑とも付かない笑みを浮かべながら、手に持っていた注射器を無造作に、オレの首筋に打ち込んだ。

 薬液が流れ込んでいく感覚が、冷たい。

 嫌だと心底から叫んでも、オレの体は身動き一つできない。

 せいぜい、小指が動いた程度だ。


 軽薄そうな声の中。

 男は、少しだけ依頼人の事を洩らした。


 裏社会人失格だな、と内心で毒付いてみても、現在進行形で捕獲され掛けている自分が言える立場では無い。

 ただ、少しだけ分かった。


 依頼人は、メスを片手に。

 つまり、医者か科学者、大きくぶっ飛べば解剖好きのマッドな検死官。

 いや、命令オーダーが生きたままの捕獲ならば、検死官はねぇな。


 そして、その職業が意味するもの。

 もしかしたら、オレの体を使った生体実験でも考えているのかもしれない。


 最悪の情景が浮かぶ。

 先ほどの男の言葉通りに、達磨にでもされるのか。

 それとも、何か物騒なものでも埋め込まれて、人間とも思えない姿形にでもされるのか。

 改造人間に鞍替えか?


 どのみち、オレに五体満足で何事も無く切り抜けられる未来は、見えない。


 意識が、段々と霞んでいく。

 目の前も、ほとんど見えなくなって来た。

 このまま眠れば、どうなるかも分かっているというのに、出血多量の身体は言う事を聞いてくれない。

 血清を打たれて毒は消えても、傷が無くなった訳では無い。


 脳裏にこびり付いた睡魔に、オレの体はもう抗うことも出来ない。


 ああ、畜生。

 こんな任務、受けるんじゃなかった。


 ついでに言うなら、こんな職業にも就くんもんじゃねぇ。


 暗殺者アサシンなんて、なるものじゃない。

 ましてや、こんな目立つ髪と顔でなるものではない。


 後悔は先に立たず。

 そんな当たり前の言葉を自覚して、オレの意識は暗い奥底へと落ちていった。



***



「先生っ!先生…っ!?」


 誰かが、オレの肩を叩いている。

 誰だ、オレを先生なんて呼ぶ奴は。


 いや、


「…あ…?さ、…榊原さかきばら…か?」

「そうそう!先生、お願いだから起きてくれよ!今は頼れるのアンタしかいないんだってば…ッ!!」


 聞き覚えのある声だった。


 オレの肩を叩いて揺さぶって起こした青年。


 赤茶けた髪を、男の癖にカチューシャでアップした青年。

 あどけない顔立ちながらも、シャープな印象を与える彼は、この特別クラス(・・・・・)でも人気者だった。


 その実、天才ハッカーとして、警視庁からマークされているなんて誰が知っているだろうか。


 いや、待て。


「…っ……ひゅう…!」


 そこまで自覚した瞬間、オレの喉は張り付いた。


 呼吸が可笑しい。

 先ほどまで見ていた夢の影響なのか、


 脇腹に疼く痛みを思い出した。


 毒に犯された、熱に浮かされた脳髄を思い出した。

 喉に張り付く、焦燥感を思い出した。

 絶望と後悔を味わった捕食の時を思い出した。


 未だに、目を覚ました自覚が薄い。

 あの夢の影響は、少しばかりオレの弱った心には刺激が強すぎたらしい。


 目の前に、自身の生徒がいると分かっていながら、上手いこと脳も体も機能してくれない。


 そこへ、榊原とは別に視界に入りこむ青年の姿。


「ちょ…っ、頼むから、落ち着いてくれよ!…おい先公!…黒鋼くろがね!」

「…香神こうがみ…?…ああ、クラスで…倒れたのか?」

「違ぇよ!…いつまでも寝てねぇで、外を見やがれ!とんでもねぇ事になってんだぞ!?」


 今度は茶がかった黒髪の青年。

 いつも、右目だけは髪で隠している彼。

 榊原同様、顔立ちは整っている為、クラスの人気者ナンバー2。


 確か、香神は日本でも大手の建設業者の時期跡取りだった筈。

 それが、どうしてオレの特別クラスに参加していたのかは、コイツだけが知っている。

 ……いや、オレも知っているけど。


 そこまで考えて、ふと呼吸が治まった。

 関係ないことを考えていたのが、功を奏したようだ。


「…外が、どうしかしたって?」


 これ以上、寝ていても事態は好転しないだろう。

 うつ伏せだった体を起こす。


 体に痺れは無い。

 脇腹に傷も無い。

 喉を焼くような灼熱の痛みも、もうある筈は無いというのに。


 夢の影響か、体が鈍い鈍痛を訴え続けている。

 だが、大丈夫。


 今の自身の体には、その痺れも痛みも無い。


「…ね、ねぇ…先生大丈夫?顔色、真っ青…!」

「生徒に叩き起こされる方が問題だろ。心配はそっちにしてやれよ…」


 金色の髪の、2人組。

 片方は姉。

 杉坂・ソフィア・カルロシュア。

 オレを心配してくれた方の、今時のギャルの格好をしているくせに、口調だけがやんわりとしていて、違和感だらけの少女。


 片方は妹。

 杉坂・エマ・カルロシュア。

 オレを問題扱いして口が悪い、今時珍しい三つ編み丸眼鏡女学生というこちらも、格好と口調が一致しない違和感だらけの少女。


 その実、この2人がアメリカ領事館の責任者の娘達で、日系3世というのはこのクラスでも有名な話。

 ついでに、妹が○ッチなのも、有名な話だ。

 姉がじゃない、妹がだ。

 ただし、真偽は定かでは無い。


 ソフィアに心配されたオレの顔色は、そこまで酷いのだろうか。

 彼女は、よくオレの顔が好きと、先生としては慕ってくれるが(※決して男として慕われている訳では無い)、彼女が心配するほどのものか。


 ……あんまり、見られたくなかったなぁ、と今更ながら羞恥心が湧きあがる。


「…うわ…先生、汗も酷い。…しかも、どうしたの…唇まで紫色だよ?」

「…気にするな…夢見が悪かっただけだ…」


 ふらりと、オレの足元が覚束無い。


 そんなオレの背中に手を添えて、オレの顔を真下から覗き込んだ少女。

 黒髪碧眼と少しだけ変わった容貌の彼女は、どうやらソフィアと同じく、オレを心配してくれたのだろう。

 彼女も特別クラスの女の子。

 と、いうより見た目が少女のように幼過ぎるが、伊野田 みずほ。


 発育不全で、今でこそ18歳だが、見た目で言えば13~15歳ぐらいにしか見えない。

 将来の夢はCAだそうだが、身長で引っ掛からないか心配だ。


 ただ、オレはそろそろ自分の心配をした方がいいかもしれない。

 伊野田が、オレにハンカチを差し出して、悲しそうな顔をしている。

 そこまで、オレの顔色は酷いらしい。


「まずいよ、先生。外が、可笑しいんだ!!こんなの漫画の世界だよ!!」

「落ち着いてくれよ、浅沼。オレも、今起きたばかりだからお前が暴れ出しても抑えられない…」


 そこで、慌てた様子の声が掛けられる。

 地味に驚いた。


 オレに、大慌ての報告をくれたのは、出席番号1番の浅沼 大輔。

 彼も彼で、漫画から飛び出して来たとしか思えない様相なんだがな。


 所謂、オタクという人種の彼・浅沼は、頭にギャルゲーか何かのキャラクターの鉢巻を巻いて、瓶底のように度数の高い眼鏡を付けた小太りの青年。

 元は引きこもりのニートだったが、父親がとある証券会社の重役とかで、このクラスに無理矢理参加させられていたのだったか。


 彼は、心因的障害を抱えていて、怒りやパニックに陥ると暴れ出す。

 クラスに来た当初は毎日のように暴れていたものだったが、オレの鉄拳で何度も沈められてからは大人しくなっていた。


 そんな彼が、窓にへばり付くようにして見ている、外の情景。


「…なぁ?先公…俺ら、帰れんの?」

「状況によるな…」


 浅沼に続いて、窓の近くに立ったオレ。

 その隣に立ったのは、白髪と化した髪を角刈りにした、ガタイの良い青年。


 永曽根 元治。

 20歳。


 永曽根ながそね家という、由緒正しい武道家の家に産まれた彼は、昔気質な父親に猛反発して実家を飛び出した長男坊だ。

 その所為で高校も中退し、暴走族に転向。

 ヤの付く自由業への転落人生真っ最中の最中に、この特別クラスの存在を知って入学して来た青年だった。


 元々、武道家の家の生まれとは言え、勉強は好きだったらしい。

 元暴走族の頭という立場ながらも、クラスではトップの成績を誇っている。


「さっきの、光の爆発みたいなのはなんだったんだ?」

「はてさて…何かが起きたのだろうネ…」

「…こんな時まで、落ち着いている場合かよ」


 これまた見事な白髪の2人兄弟。

 常盤ときわ 河南かなんが兄、紀乃きのが弟。

 ひょろ長いように見える河南と、車椅子の紀乃。


 紀乃が、半身不随の車椅子で生活をしている為、兄の河南が世話をしているという常盤家の兄弟だ。

 実は、有名な代議士の長男次男だという。

  

 紀乃は、顔にも神経劣化が及んで、語尾が上がる傾向がよくよく見られる。


 事故で半身不随になり、冷酷な父親から施設に入れられそうになった紀乃を、河南が家出同然で連れ出し、母方の親族の家で厄介になっていたらしい2人。

 現在は、この校舎に隣接した寮生活だが。

 兄弟愛が微笑ましい。


「…こんなの、可笑しいだろ!先生、これ夢だよな!」

「オレもそう思いたいんだがな…」


 オレの左腕に、仔犬よろしく張り付いた、茶髪の少年。

 ただし、力加減が子犬とは程遠い。

 いつもは、榊原とつるんでいた徳川 克己かつき

 あの徳川家の分家の末裔との事で、防衛担当大臣の息子だか孫だかだと聞いている。


 焦って、見境が付いていないのだろうが、散々注意した力加減を間違っているようなので、しがみついている手を叩いて落す。

 左側は条件反射で、手や足が出そうになるから、頼むからやめて。


 それに、オレは彼のように少々の事では怪我すらしない、頑丈な身体をしている訳ではないのだ。

 補色の時の自分に、少しでも力を分けて欲しかった。


 しかし、まぁ、


「…(全員が無事、怪我もなし。一番の重症者は、オレか?…我ながら情けないもんだが、)」


 一番最後の起きたのが、オレ。


 榊原やエマの言うとおり、これは色々と問題があるかもしれない。

 ほとんど全員が、オレより先に目を覚ましている。


 そして、問題なのは、もう一つ。


 オレの目の前に広がった光景だ。


「…どこの樹海だ、ここは?」


 それは、想像に絶するものでしか無い。


 まず、校舎の周りには見渡す限りの森。

 樹海と言った言葉の通りに、薄暗い森の中。

 月明かりすら見受けられない闇の中で、真っ暗というよりも真っ黒と表現できる。

 そんな森林が、校舎を取り囲むようにして存在していた。


 更には、その黒い森林から先に、奥に広がった荒野地帯。

 朽ち果てた木や岩、そしてどこまでも続いていそうな荒れ放題の土地。

 テキサスでも、ここまで荒れ果ててはいないだろうに。


 まず、現代日本ではお目に掛かれない光景だ。

 今時分、どこの樹海に行こうと麓でも山でも、確実に人が暮らした形跡はあるものだと言うのに。

 だが、今オレの目の前に広がった風景の中に、そのような建造物は一切見受けられない。

 

 そもそも、電線が無いな。

 それに、見渡す限りの荒野には、道すら見受けられない。

 この光景は、はっきり言えば異常だ。


 唯一見えるのは、荒野の遙か彼方に棘のような形で突き出した山脈だ。

 しかも、黒く覆われている所為で、全貌すら見受ける事は出来ない。


 思った以上に、この状況は不味いかもしれない。

 どこだよ、ここ。



***



 次に、オレは振り返る。

 教室の中は、静まり返っていた。


 不安そうな顔をしたオレの生徒達・・・


 事態が飲み込めていないのだろう。

 夢だ、と呟いている浅沼。

 同じように、香神は頭を掻き毟り、伊野田は涙を零し始めている。


「どうしたら良いの?」

「分からない」


 オレの隣に並んだソフィア。

 心許無い様子で、オレのしわくちゃになった背広の裾を引っ張っている。


「なんで、こんな事になったの?」 

「…知るかよ、そんなのっ」


 伊野田の問いに、いつもは余裕を持って対応している榊原ですら、おざなりな対応をしている。


「落ち着けよ、まずは状況を把握して…」

「なんでそんな風に落ち着いていられるんだよっ!気が付いたら、景色が変わってるんだぞ!?」


 冷静だった永曽根が状況把握を申し出ても、パニックを起こしているだろう徳川が反発する。

 まだ言い合いに発展する程、パニックには陥っていない。

 それにしても、少し心理状況としては全員が危うい状況だろう。


 かく言うオレも、怪しいものだが。


「(くいくい)」

「あ、ああ…間宮…お前も、無事でよかった…」

「(大丈夫ですか?)」

「…オレは、な…お前も大丈夫か?」


 唐突に、袖を引かれてやっとその存在に気付いた。

 見た目が少し幼く見える15歳の少年、間宮 奏。

 榊原とはまた別の、見事な赤髪がトレードマークの生徒だ。

 彼は、この髪の色と、言葉を発せない先天的な病気を生まれ付き持っていた所為で、親に捨てられ、施設で育ったのだったか。

 彼の気持ちは、同じ施設育ちとしては分からんでもない。

 だが、しかし、喋りもしないから、存在自体が希薄な少年だ。

 ごめんな、間宮。

 忘れてたよ。


 オレが頭を抑えているのを心配してくれたらしい。

 この状況で、まだ他人の心配を出来るソフィア、伊野田、間宮は素晴らしいな。

 オレを含めて、全員の余裕が足りない。


「これ、所謂異世界トリップって奴なのかなあ…。やだなぁ。何も無さそうだもん、ここ」


 ふと、オレの耳が拾った、色々と突っ込みどころが満載の言葉。

 窓に張り付いたまま、ぶつぶつと呟いている浅沼だ。

 どちらかというと、彼はパニックを通り越して呆然としてしまっているようだ。


 見た目はこうでも、この中では一番冷静かもしれない。

 いや、もしかしたらパニック障害を引き起こしているからこその、茫然自失なのかもしれないが。


 クラス全員。

 そう、これで全員だ。


 出席番号の名前順。

 1番が、浅沼 大輔(あさぬま だいすけ)

 22歳。

 2番が、伊野田 みずほ(いのた みずほ)

 18歳。

 3番が、香神 雪彦(こうがみ ゆきひこ)

 同じく18歳。

 4番が、榊原 颯人(さかきばら はやと)

 19歳。

 5番が、杉坂(すぎさか)・エマ・カルロシュア。

 17歳。

 6番が、杉坂(すぎさか)・ソフィア・カルロシュア。

 17歳。

 7番が、常盤 河南(ときわ かなん)

 18歳。

 8番が、常盤 紀乃(ときわ きの)

 16歳。

 9番が、徳川 克己(とくがわ かつき)

 19歳。

 10番が、永曽根 元治(ながそね げんじ)

 20歳。

 11番が、間宮 奏(まみや かなで)

 15歳。


 以上、11名。

 それが、オレの担当している夜間学校特別クラスの生徒達。


 ついでに、オレが担任の黒鋼 銀次(くろがね ぎんじ)である。


 年齢層は、ばらばら。

 生まれも育ち、ばらばらだ。

 中には、東京都外から来たという生徒もいる、ばらけっぷり。


 更には、このクラスは普通のクラスとは違う。

 言わずもがな、夜間学校の特別学級だ。

 そもそも、学生に22歳の浅沼と、20歳の永曽根が混じっている時点で可笑しい。


 そんなオレだって、未だに20歳前半なのだ。

 教師にしては、少し若すぎるきらいがあるのは、自他共に認めている。


 とは言え、今は彼等の生い立ち云々を話しているべきじゃない。


 問題は、このクラスの生徒達は勿論のこと、校舎ごとどこかの樹海に転移してしまった事だ。

 この状況は、今更ではあるが手に余る。

 人為的にしても、手が掛かり過ぎているとしか思えない。

 いったい、どこのドッキリだ?


 と言う訳で、


「…浅沼、異世界トリップって奴は、どういうものか説明してくれるか?」


 オレは、唯一この状況への答えを持っているだろう生徒を名指しで指名した。

 指名された本人は、きょとんとした表情で、眼を瞬いた。


「えっ?」


 驚いたのは、浅沼だけでは無かっただろう。


「…お前ら、椅子と机を元に戻して、とりあえず座れ」


 次に続いたオレの言葉。

 それに対し、生徒達は揃って絶句していた。


 余裕が足りないと、先ほども思った事だ。

 ならば、その余裕も何もかも、取り戻してやる事が先決だと考える。


 それなら、やる事は変わらない。

 いつも通りにすれば良い。

 今日も変わらず、授業を開始します。


「出席を取ってから、浅沼に説明をしてもらう。それから、今までの事を全員で話し合って、そこからどうするか決めるぞ」


 オレの言動に、更に生徒達は絶句していた。

 そして、唖然としていた。


 どんな時でも、冷静であれ。

 状況把握を怠るな、とは師匠の台詞だった。


 その教えを、今は存分に発揮させて貰おう。


 元、暗殺者アサシンにして、引退後は夜間学校のクラス担任となったオレ。

 ここが異世界かどうかは別にして、通常運転でいつも通りに頑張らせていただきます。


 オレも、少し落ち着いて状況を把握したいから。


 先ほどまで、見ていた夢の影響か。

 昔、オレが依頼に失敗して、引退を余儀なくされた時の地獄。

 思い出して、未だに体の芯が凍り付いたかのように、冷たかった。


 まるで、今回のその夢が、予知夢のような気がして、正直心臓が痛かった。



***

誤字脱字乱文等失礼致します。

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