異世界を歩く
ジャンル:異世界転移もの
2014年11月5日
青天の霹靂という言葉がある。
まったく晴れた清々しい空に、前触れもなく雷が轟くという意味だ。突然に異変や事件が起こったことを指す言葉であるが、今の私の状況を説明するに当たり、これほど序文にふさわしい言葉もないだろう。
この手記は、私の備忘録を主目的としているが、日本に帰った暁にはこれをもとに自伝本を出版する腹積もりなので、多少のエンターテイメント性を持つことになるだろう。
ゆえにいまから私が語る事柄はすべて真実であるが、一部脚色を加えているということはご容赦いただきたい。なにより私の記憶力はそこまで上等なものではないので、朝から晩までの一挙一投足を緻密に書き記すことは不可能だからである。
そもそもこの一日目の日記にしろ、執筆しているのはこの世界にやってきて三日目の夜である。こうやって腰を落ち着けて机に向かえる時間がとれるようになったのが、やっと今日なのだ。その辺は追って書いていくとして、まずはこの世界に足を踏み入れてしまった最初の日について、思い出しながら書き記していくとしよう。
さて、もし私の宿願かなって日本に帰り、この手記が読者の皆様に公開されているとするならば、先ほどからサラッと流している一文が気にかかっているのではないだろうか。つまり、「世界」云々の話である。
これが、当事者の私であっても一概に説明しづらい部分なのであるが、誤解を承知で端的に現在の状況を述べると、「道を歩いていたらいつの間にか世界転移をしていた」ということになる。
文字に起こすとなんと奇天烈なことか。まったく信じようがないが、残念ながら事実だ。私はT県のとある製造会社に勤務する一般的な成人男性のはずだったのだが、気がつけばこんな不条理の渦中に放り出されていた。
きっかけと呼べるような行動には、おそらくではあるが心当たりがある。というよりも、ソレを行った直後に異世界転移と相成ったわけだから、おそらくそうなのだろうという推測の域を出ない。明確にきっかけがわかっているのならば、私は早々にここを抜けて日本に帰っているはずである。
さておき、それは会社の昼休みに起こった。最近贔屓にしている喫茶店で軽く昼食をとった後、サァ午後からも仕事だと若干憂鬱な気分で会社へ向かう最中である。
突然、かついささか子供っぽいと言われるかもしれないが、私は電信柱と建物の塀の間にできた空間をくぐるのが好きである。特に意味はない。子供のときからそうしていたからだが、元を辿ってもそうする意味を見出すことはできないだろう。強いて言うならば、好奇心だろうか。
そして、好奇心は猫を殺すという。その時、何の気なしに電信柱と民家の塀の隙間を潜り抜けると、雪国であった。
若干川端康成のパロディを意識して気恥ずかしい言い回しになってしまったが、しかし実際そうだったのである。T県は日本では寒いほうに入る県だが、十一月の初めに雪が降ることはめったにない。降ったとしても、それは雪というよりはみぞれやあられだろう。しかしその時私の目の前に広がっていたのは、一面真っ白の雪景色だったのである。積雪は私のくるぶしくらいまでだから、おおよそ十センチあるかないかというところだったろうか。
幸いにも空は抜けるように青く、散り散りになった雲が未練がましく浮いている程度であって、十分に好天と言えた。私は雨具の類を一切持ち合わせていなかったから、荒天であればその場で野垂れ死んでいた可能性も高い。風は刺すように冷たかった。
私は防水なんて高尚な機能のついてない薄手のジャンパーの襟を慌てて合わせて、寒さに抗う。もっともこれは本能的に体がとった反射に近く、頭の回転はすっかり止まり、ただただ目前の雪原を眺めることに終始した。
やがて一陣の風が吹いて、そのあまりの冷たさに私は我を取り戻した。強い風に吹かれて表層の粉雪を飛ばす目前の雪原を見て、私はようやくのこと「えらいことになったぞ」と息を呑んだ。
ハッとなって振り返ってみたが、後ろにも同じような景色が広がっているだけで、ついさっきまで歩いていたはずのアスファルト舗装された道路の姿は微塵もない。ついでに付け加えるなら足跡もなく、拉致をされて意識がないうちにここへ運び込まれたという線も消えた。足跡が消えるだけの雪が降ったのならば、私にも雪が積もっていなければならないはずである。もちろん、雪の載っていた跡などは見受けられない。つまり背後の滑らかな雪原は、私が忽然とこの場所に現れたことの証左となっていた。
さて、さてである。私の頭は盛大に混乱していたが、少なくともこの場からは避難した方がいいという結論に至っていた。私の当時のいでたちと言えば、薄手のジャンパーの下には上下揃いの作業服に安全靴。今は晴れているから何とかなったいるとはいえ、風雪に耐えられるような代物では決してない。とにかく雪と風を防げそうな場所に移動しようと、私は混乱する思考を一時的に隅に追いやって周囲の観察を行った。
観察の結果、私が出現した場所は背後から前方の方向にスキー場の初心者コース程度の軽い傾斜がついており、また山側には緑色のもじゃりとしたものが顔をのぞかせているのが見て取れた。おそらく森だろう。谷側はそのままずっと傾斜が続いており、終端の様子は雪煙に霞んで見えなかった。風が強くなってきていた。
私は踵を返し、斜面を登ることにした。たかが十センチとはいえ安全靴で登る斜面は難儀なもので、途中何度かずり落ちそうになるのを必死にこらえての登攀だった。
白一色の景色は距離感を麻痺させるというが、まさにそのとおりで、目視で見えていた斜面の頂上は存外に遠く感じた。時計を見ていなかったので定かではないが、およそ一時間は斜面と格闘していたろうか。安全靴は防水仕様だったが上から入ってくる雪までは防げず、靴下はじっとりと濡れていた。このまま放っておけば凍傷の可能性があるだろう。私は焦った。散り散りだった雲が集まりだして、空をどんどんと白く侵食していっていたのもまた、私の焦りに拍車をかけた。
這う這うの体で斜面の頂上まで上がると、どうやらそこは尾根のようだった。私が登ってきた反対側もまた緩やかな斜面となっていて、その終端はやはり見えなかった。
私はすっかり上がった息を鎮めがてら、次に進むべき道を思案する。先ほど見えていた森のようなものは、やはり森だった。まったくの勘だったが、私は右手側に進むことにした。尾根自体が右側に傾斜していたというのもある。もう雪の坂道を登るのはこりごりだった。
尾根を歩くこと少しで、私は森の中にいた。存外に近く感じたのは、下りであったからだろうか。それにしたって、何度か滑って盛大によろめいたものであったが。
森に入ると、先ほどまで身を刺すようだった風が森のざわめきにざわざわと吸収されて、私はようやく一呼吸着いた。しかし濡れた靴下の温度はどんどん下がっているのを実感していたし、疲労もばかにならないほどには蓄積していた。
しかし捨てる神あらば拾う神ありとは言ったもので、せめて乾いた地面をと森の中を探し回っていると、不意に木々の狭間にひっそり建つログハウス調の小屋を発見したのである。地獄に仏とはこのことだ。私は疲れた体にムチ打って、小屋の前まで急いだ。徐々に日が落ちてきていたのだ。ばかに早い日暮れだがそれを考察するだけの余裕もなく、寒さは体感できるほどの速さでぐんぐん下がっていった。
数度扉をノックしてみたが返事はなく、無礼を承知でノブに手をかけると鍵はかかっていなかった。どうやら無人の小屋のようである。そういえば昔行った登山でもこういう形式の山小屋があったと思い起こすと、では遠慮なくつかわせてもらおうという考えに至った。今となれば自分でも迂闊だとは思うが、当時の私はそんなことを考えられないほどには疲労していたので、ずかずかと小屋に上がりこんだ。
中は中央に土間が通り、両脇に板の間というつくりで、土間の一番奥にはストーブが置いてあった。ずいぶん年季の入った薪ストーブである。幸い焚き木は脇にうず高く積まれていたし、火口になるようなおがくずも一緒においてあったので、私は胸ポケットからライターを取り出し、慣れないながらもなんとか点火に成功した。ずいぶん昔に山好きの友人から教わった方法が、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。何事も覚えておいて損はないという事か。
パチパチと火の粉を上げるストーブの前に靴と靴下を干して(干しヒモもあった)、板の間の隅に積まれていた毛布にくるまって暖をとる。もっとかび臭いかと思ったが、これが意外と上等な毛布で、疲労に疲労がたまっていた私の意識は瞬く間に刈り取られたのであった。
これが、私がこの地に足を踏み入れた最初の日の顛末である。