変わった居酒屋Ⅲ
「どゾ」
ごとりと目の前に置かれた平皿には、香ばしさを漂わせるきつね色をした料理が山のように盛られていた。赤色と白色のソースが注がれた小皿が添えられている。……どう見ても竜田揚げだ。
「これは?」
「ドラゴン肉のフリットでス」
ドラゴン肉! ドラゴン肉と来たか、なるほど。なるほど。徹底している。やはり、ここはそういうコンセプトの居酒屋なのだろう。
まあ、名前は仰々しいが、日本人の例にもれず竜田揚げは大好物だ。大ぶりのそれをさっそく一つとって、白いほうのソースにつけた。おそらくマヨネーズだろう。
お上品に行く必要はない。一思いにかぶりつく。前歯が衣を貫通した瞬間、じゅわっと肉汁が、閉じ込められていた蒸気があふれ出た。熱い。だが、怯むわけにもいくまい。これはいわば、竜田揚げの醍醐味だ。はふはふと口内に空気を取り込みながら、さらに肉に歯を突き立てていく。
やけどしそうな熱と格闘しながら噛みしめた肉は、鶏肉に比べて幾分かしっかりとした歯ごたえがあった。冗談のようだが、筋繊維の一つ一つがしゃきしゃきしている。牛や豚とも違うその食感は、まったくの初体験だった。味は鶏肉に近い。近いが違う。濃厚だ。揉みこんであるのも、醤油ではないらしい。もっとこう、スパイシーな味がする。詳しいところまでは、わからないが、とにかくうまい。
また、ソースのほうもマヨネーズではなかった。強めの酸味と多少の乳臭さからして、どうもヨーグルトソースの類らしい。意表を突かれたので驚きはしたが、決して悪くはない。……好き嫌いはわかれると思うけれど、結構好きな味だ。
そうなると、赤いソースも試さねばなるまい。白いソースの着いた部分をかじりとって、ソースをつける。どうせ一人呑みだ。憚ることもない。
かじる。
辛い。
火を噴くというほどではないが、しっかりと辛い。唇と舌がじんじんと熱を持つ。お子様バイバイな辛さだ。堪らずエールビールを煽る。熱くなった口内がさっと冷めて、えも言われない幸福感が襲いきた。これは会う。このソースで食べる竜田揚げは、にくったらしいほどにビールに合うのだ。それも、キンキンに冷えていれば冷えているほどいい。そう直感したので、ジョッキに残っていたのを一息で飲み干すと、間髪入れずお代わりをオーダーした。
店主がビールを注いでいる間に新しい肉に取り掛かり、迷わず赤いソースをつけてかぶりつく。
熱い、辛い、美味い。
ちょうどいいタイミングで店主がジョッキをカウンターに置いた。待ってましたと肉を嚥下する。喉の入り口を少しやヤケドしてしまったかもしれない。が、かまわない。ジョッキを盛大に傾け、よく冷えたエールビールを喉を鳴らして胃に落としていく。
うまいなんてもんじゃない。うますぎる。
すっかり、このコンビネーションにやられてしまった。100hitで一発K.O.をもらった気分だ。
「お客サン、すごク美味しそうに食べてくれるかラ、これサービスするヨ」
「これは?」
店主がそういって皿を置いたので、慌てて口の中の肉を飲み込んだ。店主の置いた皿は、同じく揚げ物のようで、一粒がさっきの竜田揚げとは比べ物にならないほど小さいのに量は同じほどある。店主の言うとおり、どうやらこの店は本当に豪勢のようだ。
「ソレ、コカトリスの軟骨揚げヨ。毒ナイから安心しテ。スダチで食べるとオイシイ」
「コカトリスねえ」
コカトリスというと、半分鶏半分蛇の怪物だったか。つまり、これは鳥軟骨揚げということだろう。まさか蛇軟骨揚げってことはあるまい。
竜田揚げはいったん中断して、軟骨揚げに取り掛かる。店主の進め通り、添えてあった酢橘を絞って果汁をまぶす。こういうのにはレモンが定番だと思っていたが、酢橘だとどのような味になるのだろう。一つつまんで口に放り込む。
結論から言おう。うまい。
コリコリとした軟骨特有の食感は、硬すぎず柔らかすぎずの絶妙な塩梅を見事にクリアしている。酢橘もいい。レモンほど酸味は強くなく、変わりに独特の渋みというか、そういうのが見事に軟骨揚げの魅力を最大限に引き出していた。
一粒が小さい分、箸が進む。軟骨揚げだけを食べる機械になってしまいそうだ。これではいけないとから揚げを辛いソースで食べ、エールを呑む。そしてついつい軟骨揚げに手が伸びる。美しいまでのルーチンワークがここに誕生した。
その後も、たった5千円にも満たないコースだとは思えないほどに多種多様なRPG風の名前の料理が供された。シーサーペントの御造りだとか、ミノタウルスの筋煮込みだとか、お化けきのこのスープだとかだ。どれも奇抜な名前の割に、実に美味しかった。
いい店を見つけたなと、何杯目かも忘れたエールを傾けながら自然と笑みがこぼれ出る。これは是非とも、同僚たちにおすすめせねばなるまい。
「この紙マッチって、もらって行ってもいいかな」
「どうゾ、ご自由ニお持ちくださイ」
料理も出尽くしたのか、コップを磨きながら店主は答えた。僕は紙マッチを上着のポケットにしまってから、またエールのお代わりを注文する。すっかりくせになってしまった。酒は強いほうだが、少しくらくらするから、飲みすぎてしまったのかもしれない。
「おまちどオ」
僕は店主からジョッキを受け取って、満面のだらけきった笑顔でエールを味わった。
目が覚めると、借家の煎餅蒲団の上だった。背広も脱ぐことなく、だらしなく寝っ転がっていたようだった。窓から差し込む光を見るに、日はすでにそうとう高い。昼を過ぎているかもしれない。
しかし、どうして帰ってきたのだろう。思い返そうとすると、頭がガンガンして、ひどく気分が悪い。完全な二日酔いだった。最後のエールを受け取ったあたりからの記憶が判然としない。記憶が飛ぶほど痛飲したのは、久しぶりだった。せっかくの休日は、寝床で過ごすことになりそうだな、と思い、なんとも遣る瀬無い気分になったのはこの際だ。
痛む頭をおして、半身を起きあがらせる。せめて背広だけは脱いでおこう。手遅れかもしれないが、しわになっても困る。
背広を脱ぐと、胸ポケットからぽとりと何かが落ちた。拾い上げる。
それは、全国展開しているチェーン居酒屋の名前が印刷してある紙マッチだった。
おわり