変わった居酒屋Ⅰ
ジャンル:飯
数か月にわたって手を焼いていた物件にようやくカタがついた。ずいぶん前に申請していた有給休暇が受理されて、明日はしばらくぶりの……あまり、思い返したくないほどしばらくぶりの休日だ。
このまま借家に直帰して夢の世界にダイビングするというのも悪くなかったが、せっかく明日は休みなのだからと、一杯ひっかけてから帰ることにした。
ちなみに同僚にも声をかけてみたが、みな疲労困憊で今すぐにでも寝てしまいたいという連中ばかりだったので、今日は一人呑みということになる。……ハブられているわけじゃないと思いたい。
さて、そんなわけですっかり夜のとばりの落ちた飲み屋通りを歩いているわけだが、どの店にしようか絶賛悩んでいる。
いつもの焼き鳥屋でもいいのだが、たまには違う店というのも悪くないな、なんて思いながら歩いていて、すっかり飲み屋街の奥まで入ってきてしまっていた。
車がぎりぎりすれ違えないほどの路地の両脇に、ぽつぽつと看板が上がっている。時刻はそろそろ10時を回ろうかという頃で、田舎もいいところなこの街では人通りも少ない。そもそもが裏路地だ。既に暖簾をしまっている店もちらほら見受けられた。
「おっ」
そんな中で、一軒の店がふと目に留まった。それは背の低い雑居ビル同士の隙間に押し込めるように建てられた、どこか不思議な佇まいの居酒屋だった。異国情緒が漂うというか、何というか。
店名の書かれた看板はない。しかし、ビールジョッキがかたどられた看板がドアのところにかかっているから、おそらく居酒屋なのだろう。なんとなく、昔のRPGによく出てくる酒場を彷彿とさせる。
妙な懐かしさに心を惹かれ、やけにがっしりした作りの木戸を開いた。
「いらっしゃイ」
来客を知らせるカウベルが鳴りやむより前に、この店の店主と思しき男性が声をかけてきた。
店主は上背があり、見るからに筋骨隆々。ごわごわとしたひげを蓄えて、額から右頬にかけて大きな傷跡が走っている。一見すると、明らかにカタギではない。しかし独特なイントネーションの付いた口調は外見に似合わず柔和で穏やかであり、どこか安心感を覚える。
店内は実に狭かった。カウンターに椅子が4脚で、それだけである。まさに、こういうのを猫の額というのだろう。
カウンターの端には、先客が一人いた。真っ黒なフードつきのジャンパー? コート? ローブと言えばいいのだろうか、それをしっかりと着こんだ小柄な人物だ。そろそろ夏だというのに、暑くはないのだろうかと少し思う。まあ、個人の勝手か。
反対側の端っこに腰を下ろして、改めて店内を見回してみる。狭い店内は、これでもかというほど異国情緒にあふれていた。なんだかよくわからない刺繍の入った幟が壁からいっぱいさがっているし、西洋風のロングソードがバックラーと言えばいいのか、小型の盾と一緒に飾ってあったりする。こう、何というか、質感というか重厚感がすごい。あれは本物だろうか? いや、まさかな。
メニューの書かれていると思しき黒板も掛かっていたが、何やら見たこともないような文字で書かれていたのでさっぱりわからない。
総じて、何というか本当にファンタジーもののRPGっぽい。
「何にしまスか」
おしぼりを受け取って、しばし考える。困った。メニューが読めないと白状すべきだろうか。
アツアツのおしぼりを手の中で遊ばせて、いや、どうせなら冒険してみようという結論に至った。
「とりあえず、ビール。ジョッキで。で、料理は5千円くらいの範囲で適当に」
そうオーダーすると、店主は少し難しそうな表情を浮かべた。さすがに注文がアバウト過ぎたろうかと慌てて言い直そうとすると、それより先に店主がいう。
「ウチの料理は量おおイから、5センえンぶんも作っちゃウと、ヒトリじゃ食べ切れないかモしれなイ」
なるほど、そういうことか。
「あ、それなら予算のほうも適当に、5千円超えない範囲なら、まあいいんで」
「アイヨウ、じゃアそうするネ。まずこれ、ビール」
店主はゴトンと音を立てて、ジョッキをカウンターに置いた。このジョッキがよく見知ったガラス製のものではなく、銅か何か、とにかく金属で作られたもので、それだけで新鮮味があった。
ジョッキは、しっかり冷やされていた。まずは一杯、今日は来れなかった同僚たちに一人で乾杯してから、ぐっとジョッキを煽る。
「っ!?」
それ口に含んだ瞬間、舌先から脳髄へ強烈な違和感が駆け上がった。
つづく