臨時居候の挑戦。
「そういえば、ムムさんは今夜どうされますか? 一度王都に帰ります?」
「泊まる」
「は?」
「ここに泊まる。反対は受け付けない」
「…………」
☆
イトの朝は結構早い。
見渡しの良すぎる草原の地平線から日が昇ると、それと同時にイトはむくりとベッドから起き上がる。綺麗に結われていた三つ編みも今は解けている。毛先はあちらこちらに跳ね、いかにも寝起きな風体である。
まぁ実際寝起きだからしょうがない。イトは大きく欠伸すると、ゆっくりベッドから立ち上がった。
そこで、イトは手にふにゃりと柔らかい感触を感じた。
「……あぁ、ムムさんが泊まっていたんでしたっけ」
この家、というか工房に人を泊まるなんて初めてではないだろうか。それも女性。間違いがなくてよかったと、イトはもう一度欠伸をした。
「まぁ、手を出そうものなら返り討ちに合うでしょうからね」
一見普通の女性に見えてギルドランク八の猛者だ。ただでさえ赤い布が両目に巻かれていて、手を出してはいけないオーラが放たれているのに、むざむざ襲いかかるほどイトも馬鹿ではない。
手がどこに触れたのかは頭から除外し、イトは寝室から出た。
イト工房は、全体的に作業場にほとんどの面積を取られているが、その奥にはキッチンや寝室といったスペースもきちんと存在する。が、この工房を建築した時の費用がギリギリで、キッチンはかなり狭く、居間もテーブルと椅子を置くだけで目一杯な状態だ。なにせ建築を担当した人が「これで、本当にいいんですね?」と、念を押すほどだ。
かといってイトは気にしていない。イトからすれば、第一は作業場で、その他は二の次なのだ。そのイトは今日も、狭いキッチンで朝食を作っていた。
「ムムさんの分も作らないといけませんね。昨日のムムさんの反応からして、味付けは薄めの方がいいですかね」
イトが作ったのは野菜が入ったスープに肉を細切れにして野菜と炒めたもの。後は、行商の人から買っているパンを、テーブルに並べた。
「こうして人に料理を作るのも、たまにはいいですね」
一人にやけていると、居間にムムが入ってきた。
「……おはよ」
朝は強くないのか、大きな欠伸をするムムの声音は緩んでいた。
「おはようございます。まずは、顔を洗ってきたらどうですか?」
「ん」
頷き、キッチンの方へ消えるムム。ほどなくして、帰ったきた。
「……眠い」
「ならまだ寝てていいんですよ? ムムさんは特にやる事もないでしょうし」
布に遮られて見えないが、今ムムの目は眠気でたっぷりなのだろう。眠い、眠いと口にしつつも、彼女は椅子に腰をおろした。
「……イトが起こした」
「いや、俺は何もしてませんよ?」
「匂い。美味しそう」
つまりは、イトの作った料理の匂いにつられて起きた、ということだろう。徐々に言葉の意味を理解したイトは困り顔で言った。
「俺のせいにされても困りますよ」
「ん。美味しい。イトは主夫になれる」
イトの言葉もそっちのけ。ムムは何も言わずに料理へ手を伸ばしていた。
「…………まぁ、美味しいならいいんですけどね」
長いことムムと付き合っているが、彼女のマイペースというか自分勝手なところは変わらない。イトは早々に会話を諦め、遅れて朝食を口にした。
しばらく、カチャカチャと食事をする音だけが居間に流れる。窓から覗く光は、大分明るくなってきていた。
「そういえば」
そんな時、ムムが、不意にイトに目を向け、言った。
「腕。治ったの?」
ムムの言う腕とは、先日魔獣に抉られた左腕のことである。昨日一日中回復の魔法陣をかけていたおかげか、傷が出来た当初よりは塞がってきている。
「まだ治ってませんよ。上辺は治しましたが、中身がまだまだですね。無理に動かすと、痛いですから」
笑うイトに、ムムは眉を寄せた。
「なら痛かった? 朝食作り」
「多少は、ですね。まぁ、動かせない程じゃないので、大丈夫ですよ」
昨日の夕食は作り置きしていたものを食べたが、流石に朝食に回す分は残らなかった。だからイトは朝食を作ったわけだが、ムムの不機嫌顔はまだ治らない。
「なら言って。私が作った」
「え? ムムさんがですか?」
心底意外な表情を作ると、ムムが何、と落とした声で返した。
「いや、ムムさんて料理できませんよね? 前に作ってもらった時は、暗黒物質ができあがっていましたヘブゥッ!」
「ごちそうさま」
ムムの投げた皿はイトの顎にクリーンヒットした。
☆
「さて、俺はこの子を直す作業に取り掛かりますね」
朝食を終えて早々、イトはムムの斧を肩に担いだ。その顎はまだ赤く腫れているが、自業自得だ。気にはしない。
「腕は?」
しかし、顎はともかくとして、先程言った通り、イトの腕は完治していない。そんな状態でやって大丈夫なのか、ムムは言外に心配する。
「平気ですよ。俺は両ききですから、大した支障はでません。まぁ、いつもよりは遅れてしまいますけどね」
笑顔でいいのけるイト。遅れる時点で結構な支障が生まれてるんじゃないの? といった疑問はさておき、
「私はどうする?」
「好きにしてて構いませんよ? ただ、作業場には入らないでくださいね?」
それは知っている。一人でここで何をしていればいいのだ、とムムは訴えかけた。
「あぁ……、残念ですがムムさんが興味を示すようなものはありませんね。……まぁ、暇でしたらこれでも読んでいてください」
と言って、渡されたのは本。ムムは受けとり、表紙に顔を向ける。
「魔道具の本です。色々な魔道具が載っているので、面白いですよ?」
この男はムムが盲目であることを忘れているんじゃなかろうか? 確かに本は読めないこともないが、この場で渡すものか?
ムムの愚痴は届くことなく、イトは作業場の扉を閉めてしまった。
☆
時間にしてもう午後を回った頃だろうか。ムムは店のカウンターに突っ伏し、本を枕代わりにして頭を乗せていた。
昼食は朝の残りを食べた。イトは作業場から出てこなかったから一人で食べたが、朝よりは美味しくなかった。それでも、最近やっと料理らしくなってきた自分よりはマシだったが。と、考えていて悲しくなってきたムム。
「…………暇」
普段から、自分の時間を使うのは苦手だった。だから依頼をこなし、その時間を埋めていたが、今は依頼もできない。いや、斧がなくても戦えることは戦えるが、危険だ。主力の武器がないまま魔獣を討伐しに行く程、ムムも馬鹿ではない。
「暇」
さっきから何度も呟くも、それでこの何とも言えない退屈が消えるわけでもない。ムムは頭の向きを変え、大きく息を吐いた。ちなみに、イトから貸してもらった本は一度たりとも開いていない。ずっと枕の役割をこなしてくれている。
「暇。暇」
退屈は人を殺す、とかなんとか言う言葉を聞いたことがあるが、まさしくその通りだ。とムムは思う。そしてもう何回目かのため息を吐こうとした時、店の扉が開いた。
「こんにちは。イトさんいますか?」
入ってきたのはカロア。手には何かが入った鞄を持っている。
「イトさん、て、あれ? あなたは」
店内を見回すと、カウンターに突っ伏すムムの姿。見たことのない人物に加え、両目を塞ぐ赤い布が視界に入り、カロアは怪訝な表情を浮かべた。
「えぇと、あなたはどなたですか?」
カロアの言葉を受け、ようやく、ムムが身体を起こした。
「あなたから」
「え?」
カロアは首を傾げた。
「名乗り。あなたから」
ムムの言葉足らずは、初心者にはキツいものがある。理解もそうだが、こいつはなんだ、という疑問が入るのだ。
「あ、えぇと、カロア・トロビト、と申します。近くにあるユビート村で、料理店を開いているんですが……」
徐々にしりすぼみになる言葉。料理店、というワードを言った所で、ムムの上半身がカウンターに前のめりになったからだ。
「料理店? 料理人?」
「え? あ、はい」
急に食いつきだしたムムの様子に、たじろぐカロア。両目が塞がった人物がカウンターを乗り上げんばかりにぐっときたのだ。軽くホラーだ。
「カロア。頼みがある」
「へ?」
もうすでにムムワールド全開。ムムは名乗ることも忘れ、カロアの前まで来てこう言った。
「料理教えて。イトが唸るようなの」
鬼気迫る様子のムムに、カロアはただ、頷くしかなかった。