二人のお話。
「またのご贔屓、よろしくお願いします」
イトが一礼しながら言うと、二人組の男達はおうよっ! と威勢のいい声を返して店を出た。ゴツゴツした鎧に、剣を下げた男達を見送ったイトは、ふぅと息をつき椅子に腰をかけた。
「こんにちは」
それと同じタイミング。扉を開いて入ってきたのは、ユビート村に住む、カロアだった。
「あぁ、カロアさん。こんにちは。こんな時間に珍しいですね」
イトはおろした腰をすぐにあげ、壁にかけてある時計の時刻を確認した。朝と昼の間と言うべき時間だろうか? なんにせよ、カロアがこんなに早い時間帯に来るのは珍しいことだった。
「ちょっと外に用事があったんですよ。そこで一泊しまして、朝の早い時刻に宿を出たんです」
よく見れば、カロアの服装も外向き用というか、それなりに装飾の施されたワンピースだ。いつも着ている質素なワンピースにエプロンではない。
だけど、それだけの情報でイトは何の用事があったのか、すぐに察する事ができた。
「お見合い、ですか。大変ですね、いつも」
ユビート村という小さな村で料理店を開くカロアだが、その容姿は異性を惹きつけるものがある。他の女性より高い身長だが、ワンピースから覗く腕や足は細く華奢で、背筋も立っている。白い肌を際立てるような金の髪は艶やかで、いつも明るく光っている。おまけに庇護欲を掻き立てられる垂れ目、緩んだそこから見える瞳は蒼く、同性であろうと振り返りざるをえない魅力を有していた。
そこに料理上手、性格も良いとくれば、見逃す男の方が少ないだろう。現にイトも、初めて見た時はしばらくは目が離せなかったと記憶している。
お見合い、と見抜いたイトの言葉にカロアはため息をついた。
「本当に、大変なんですよ。これが贅沢な悩みだと分かってはいるんですけどね」
好んでもいない男性から言い寄られるのは、はっきり言えば迷惑の一言でしかない。カロアは言外にそう言った。
「はは、まぁ、そういう運命だと割り切るしかないですね」
言いつつ、イトは奥から椅子を持ってきてカロアに勧めた。
「あ、すいません。ありがとうございますイトさん」
「お疲れでしょう。今お茶を持ってくるので、少し待っていてください」
言いながらイトは指を立て、くいっと回す。魔法か何かだろうか、椅子に座ったカロアがその仕草を見ていると、奥からティーカップが二組み、浮きながら出てきた。
「え?」
カロアが呆然とする前で、ティーカップは二人の前に置かれる、いや着地する。中は紅茶だろうか、透き通った茶色の液体は、甘いいい香りを匂わせていた。
「カロアさんが来る前からお湯を沸かしていたんですよ。飲む人数が一人増えただけですので、気にしないでいいですよ?」
「あ、あはは……」
言いたかったのはそういうことじゃないんですけど……。カロアは言いたいことを飲み込み、引きつった笑顔でお礼をした。
「お見合いをしたという事は、今日はお店もお休みするんですよね?」
「え、あ、はい。仕込みもしてないですし、今から帰っても間に合わないので、お見合いのある時は二日間、お休みしてるんですよ」
「二日も店が休みになると、村の人も抗議をしたいでしょうけど、相手が相手ですしね」
「そうですね。貴族相手となると、変に口答えできませんから」
この国で、お見合いをするのはほとんどが貴族だ。一般人は大概が自由恋愛が許されているが、貴族となるとそうもいかない。身分もあれば体裁もある。貴族を名乗る以上は、そこら辺の人を引っ掛けて結婚、というわけにもいかないのだ。だから大抵は貴族同士、お見合いをして合意に至ったら婚約、という流れになる。
となるとカロアは一般人だから、それに当てはまらないはずだが、
「あまりに婚約の申請が多くて、暗黙の特例が生まれるくらいですからね。ある意味すごいですよ、カロアさん」
「私としては、全然嬉しくないんですけどね……」
苦笑する元気もないのか、カロアは大きなため息をついて肩を落とす。
「早いとこ結婚するのがいいんでしょうけど、そうもいかないですしね」
「これでもまだ私は二十歳なんです。料理のこともありますし、色々自由な事をやりたいんです」
「確かに、まだまだ若いですからね。ちなみに、今までお見合いをした中で良いと思えた人はいなかったんですか?」
単純な疑問だ。イトがカロアと出会ってから約一年。知っているだけでも五回はお見合いをしているはずだが、どうなのだろうか。
「うぅん……いませんね。貴族の人たちって、何というか、合わないんですよ。私は村で生まれて村で育ってきたので、貴族の人達の優雅さといいますか、肌に合わないみたいで」
「あぁ、何となく分かります。妙に格式ばっているんですよね。俺も昔師匠関連で貴族と食事をしたんですが、何とも食べづらかったのは覚えています」
あの時の料理の味は、今になっても思い出せない。何を食べたのかすら覚えていない状態だ。
「そうです、居づらいんですよ。だから、私が貴族と結婚する事はないと思います」
きっぱり言い切るカロア。これからもお見合いを申し込むであろう貴族の方々へ心の中で手を合わせるイトだった。
「そういえば、私と入れ替えにお客さんが来てましたが、何か買われたのですか?」
この話は終わり、とばかりにカロアは話題を変えた。本人もこの話題は散々突かれてきたのだろう。イトもこれ以上追求はせず、話に乗った。
「買ったとは、また違いますね。魔法陣を刻んでくれと、依頼されたんですよ」
「魔法陣をですか?」
紅茶を口にしつつ答えるイトに、カロアは首を傾げた。
「あれ? カロアさんは魔法陣の知識はありませんでしたっけ?」
「いえ、魔法陣そのものは知っています。魔法とは別種のもので、文字や記号に意味を持たせ、発動させるものですよね? 私は使えませんけど」
「でしょうね。魔法陣は理解しにくいものですし、戦いを生業とする人達は魔武器に陣が刻まれていても、意味を知らずに使っている人がほとんどでしょうから」
一般に、魔具と呼ばれるものはそのほとんどが、魔法陣によって効果を発動するものである。魔具はピンキリで、魔力を込めるだけで小さな火を出すものもあれば、家を一軒焼ける炎を出す物もある。一般家庭に普及されているものは危険がないものが少なく、その分魔法陣も単純なものになる。しかし、魔法陣の意味を知って使っている人は、さほどいないだろう。
「私の調理場にも、イトさんが作ってくれた魔具がありますけど、どうやったら火がでるのか、さっぱり分かりませんでしたから」
「あれは簡単な陣ですよ。とはいっても、俺も魔法陣を理解して覚えるまではそれなりに時間がかかりましたからね。だからこそ、魔道具師が減っていってるんですけど」
男の子は騎士や戦士になることを夢見、女の子も騎士や、優秀なギルド員になることを目指す今。育っていくにつれ、女の子は大概が血生臭い道へ進むのをやめるが、男の子はそうもいかない。グルル王国の就職状況を見るに、女性は従事業になるのがほとんどで、男性は騎士やギルド員になるのが半数以上だ。魔道具師なんていう、地味でなりにくい職業は、圧倒的に人気がなかった。
「でも、魔道具師さんがいなければ大変な事になりますよね。下手をすれば、生きることそのものができなくなりますよ」
「大丈夫ですよ。国も魔道具師を育てていますから、完全にいなくなることはありません。国だって、魔道具師を蔑ろにしているわけじゃありませんから」
不安げなカロアを安心させるように、イトは言う。魔具だって、よほど粗末な作り方と使い方をしていなければ、数年やそこらで壊れることはない。大事にしていれば、三十年はもつものだ。
「カロアさんは変な心配をせずに、美味しい料理を作り続けてください。いくら生活を便利にするものがあっても、食事をしなければ人は生きていけないんですから。俺にとっては、魔道具より大事なことですよ、それは」
「……ありがとうございますイトさん」
「? どうしましたか? 顔が赤いですよ?」
「い、いえ、何でもないです。…………素でいうのは、質が悪いですよ、イトさん」
顔を赤くするカロアに、首を傾げるイト。カロアが立ち直るまで、イトは静かに紅茶を口にしていた。