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喫茶『コロロコロコロコロロコロ』


ーー店の土地を買い取られた。シロの言った台詞に、ニニは目を見開いて絶句した。


「……シロ、それはどういう事だ?」


ようやくニニが絞り出した言葉は、喉の先で出したような、掠れた声音だった。先程までの自信に溢れた語勢も消え、ニニはシロの華奢な肩に手をかけて問いかける。


「……さっき、ヤラサキ商会の人に会ったんです。それで、この紙を渡されて」


シロはポケットから折り畳まれた一枚の紙片を取り出し、ニニに手渡す。彼女はやや乱雑に折り込まれたそれを広げ、中身に目を通すと、


「っ! ふざけるなよ!」


ギリギリと、ニニは歯ぎしりをして紙を握る手に力を込めた。茶色の髪や耳を覆う毛は、激情のためか逆立っているように見える。


「お、お茶の葉を買いに行く途中でヤラサキ商会の人に会って、この紙を渡されて、三日以内に退かなければ強制的に排除するって言われたんです。この土地は買い取ったから、出て行けと。お金は三日後に渡すって」


「こんな事が許されるわけがないだろう!」


ドン! とニニは怒声を吐きながら足を踏み鳴らした。シロがその音で肩を跳ねさせると、ニニは我に返ったのか、すまないと小さく謝った。突然の展開に、傍から見ていた二人は、


「……えぇと、これは、僕らは何をすればいいのかな?」


「……さぁな。事情を知らなければどうすることもできまい。立ち入るわけにもいかないからな」


ギンは嘆息をつき、ガロンは腕を組んで呟いた。完全な身内事だから安易に首を突っ込めないし、藪の外状態だからできることはないのだ。その隣で、ルルは呟く。


「やっぱりだよ。嫌な事が起きただよ」


「ルルさん? どういうことですか?」


未だ渋い面持ちのルルに、イトは尋ねた。


「小生の鼻は嫌な事件の匂いを嗅ぎとるだよ。その時は決まってしょっぱくて辛くて苦い匂いがするだよ。さっきも、その匂いがしただよ」


「素晴らしい能力ですねそれ。一度ルルさんの体がどうなっているのか、真剣に調べたくなりますよ」


「ふっ、小生の体をかっ裂いても甘いものしか出てこないだよ。……でも、この嗅覚は甘いものに関連する事件の匂いしか嗅ぎとらないだよ。甘いもの限定だよ。流石甘いものに愛された小生だよ」


「……なんかルルさんらしくて安心しました」


ルルは甘いものに関しては規格外。それだけ覚えておけば何の問題もないだろう。この生物に真面目に付き合うだけ、時間の無駄だ。


「……えぇと、ニニちゃん? そっちの人達はなんですか?」


少し時間が経って色々と落ち着いたのか、シロはイト達四人に怪訝な眼差しを向け、訊いた。確かに、何も知らない人がこの構図を見れば、ガタイのいい精悍な顔立ちの男、にやけた面の金髪男、赤尽くしの女、黒髪の三つ編み男と、何ら関連性のない四人組が店内に、それも閉店している時間帯の店にいるのだ。しかも、そのうちの一人は帯刀している。加えて机には包丁。どう見ても犯罪集団にしか映らない。弁解のしようもない状況だ。


ニニもそれに気づいたのか、まだ怒りで強張る顔にぎこちない笑みを貼り付ける。ニニもシロ同様、少しは落ち着いたのだろう。多少固いが、声音は元に戻りつつあった。


「あー……こっちの人達はお客様だよ。私の相談に付き合ってもらってたんだ」


「ニニちゃんの相談ですか?」


まぁ、一番肝心な相談をする前に新しい問題が生まれたけどね。ニニはそう苦笑すると、シロは紙片に目を落とした。


「ニニちゃん、ちょうどいいから改めて自己紹介しようか。僕達も、その人のことが気になるしね」


「だな。そこの……シロさんだったか? その人も俺たちの事を怖がっているようだしな」


ギンとガロンは騎士団のトップ二だ。グルル王国の中に限らず、その知名度はかなり高い。それでもニニとシロは二人の事を知らなかった。ニニは獣人だからそれで当然かもしれないが、シロは見た所人間。グルル王国に住んでいて知らないとなると、よほどの世間知らずか無知か。


「そうだよ! 小生もその白い人が気になるだよ! まだまだ、苦い匂いはその人に付いてるし」


「匂い、というのはよく分からないが、ギンの言う通り、ここは自己紹介をしておこう」


じゃあまずは小生からいくだよ! 元気よく、というより喧しく手を挙げたルルは、一歩前に出て大きく無い胸を張った。


「小生はルル・クルビアだよ! 甘いもののために生まれ、甘いものに生涯を捧げる甘いものの伝道師だよ! 甘いものの事は小生に……」


「僕はギン・ティールクだよー。一応、グルル王国騎士団副団長を務めてるけど、あまり気にしないでねー。あと、この女には関わらない方がいいよ。先輩からの忠告」


「俺はガロン・サイズル。騎士団の団長を務めている。ギンと同様、そこの赤い女には関わらない方がいい。忠告だ」


「あ、俺はイト・ウルブドです。魔道具師を名乗らせてもらっています。…………え、あぁ、ルルさんには関わらない方がいいですよ。忠告です」


ギンに促され、最後の言葉を付け足すイト。もっと空気読まなきゃダメだよイト、と言われたが、ガロンの時点で滂沱の涙を流していたルルにトドメを刺すのはどうかと思ったのが本音だ。今は酷いだよー、と涙声でギンに掴みかかっているし。感情の起伏が激しい。


「あ、えぇと、ほらシロ、あなたも自己紹介しないとダメだよ」


いきなり繰り広げられた程度の低いコントに、ニニは軽く呆気にとられながら、シロに促した。


「え、は、はいです。……えっと、私はシロ・ワカンです。この店の店長をしています。……ニニちゃん、これでいいですか?」


シロも低密度のコントに気を抜かれたのか、先程までの緊張感はどこへやら、何とも間の抜けた自己紹介をした。


「いや、いいとは思うけど……私にもよく分からないよ」


「えぇー……」


「あ、別にこっちのノリは気にしなくていいよー。ルルがうるさいだけだから」


ギンの台詞に、シロはあからさまに胸を撫で下ろす。てか、そもそも自己紹介に正しいも間違いもあるのか。……それより、イトは一つの事が気になった。


自己紹介の最中、ガロンの名乗りの時だけシロの目の色が変わったのだ。もちろん蒼い色が実際に変わったわけではない。瞳の奥がガロンを睨めつけるというか、底冷えするような印象を受けた。


イトは怪訝に感じつつ、ニニとシロに気まずげに話しかけた。


「と、とりあえず、俺たちはどいた方がいいですよね? そっちも大変な事情のようですし、俺たちがいたら話もできないと思いますし」


「え、あ、と、その、ニニちゃん。どうしましょう」


しかし、シロのこの挙動不審な様子を見ていると、その疑惑も気のせいだと感じてしまうのも確かだ。判断材料はまだまだ少ない。イトはそれを心の片隅に置いておくことにして、ニニの答えを待った。


「いや、あなた方にはいてもらいたい。……むしろ、できることなら、協力もしてもらいたいんだ」


「協力だよ? 小生役に立つかだよ?」


「甘いものが絡まないと、お前は木偶の坊だからな」


「いや、それよりルルさん立ち直り早いですね」


さっきまで泣いていたのにと、イトはルルに視線を向ける。赤い眼は腫れているわけでもない、それどころかイトに褒められたと思ったのか、相好をダルンダルンに緩めている。


「こいつは放っておいて、話を戻そう。協力云々以前に、俺たちはあなた達の現在の状態も、問題も知らない。それでいて協力を仰ぐのは、いささか無理な話だ」


「僕も、団長に賛成だね。時間がないのは分かるけど、もうちょっとゆとりを持っていこうよ。ね? 慌ててもしょうがないことだしさ」


ギンに諭されて、ニニはすまないと頭を下げた。落ち着いているように見えるが、まだショックは残っているのだろう。大きく、一度深呼吸をしたニニは、ゆっくりと口を開いた。


「……まずは、そうだな。今の……いや、さっきまでこの店がどんな状況におかれていたか。それを説明させてもらう」


言いながら、ニニは四人に椅子を勧めた。長くなるのだろう。男達は長いソファに三人並んで座り、女性達はその対面に並んで腰を下ろした。


「お、お茶も用意しましょうか?」


「いや、まだ話を聞くだけだからいらん。気を遣ってくれて感謝する」


シロの申し出を、ガロンは断った。ルルは何か騒いでいたが、気にせずニニは話し始めた。


「この店は、元々前にあった店をそのまま譲り受けたんだ。前の店の名前は『コロン』。シロの親の、知り合いが経営していた店だ」


「わ、私達にとっては親みたいなものです。いつも気にかけてくれて、私が喫茶店を開こうと思ったのもあの人達がいたからなんです」


喫茶店『コロン』。行ったことはなかったが、イトもその名前には覚えがあった。ギルド員時代、当時の知り合いがよく通い詰めていた店の名前が確か『コロン』だったはずだ。妙な縁だなとイトは思い、話に耳を戻した。


「数年前にその人達が亡くなったから、私達が店を譲り受けたんだ。シロは店の経営の仕方や紅茶の淹れ方をあの人達に教わっていたし、私は元々料理人を目指していたからな。すぐにでも引き継いで店を開くことはできた」


でも、と、シロは俯いた。


「……王城の近くにあるこの店の立地は、他店からすれば喉から手が出るほど羨ましいものなんです。実際、ヤラサキ商会の人達から何度も嫌がらせを受けてきました」


「ヤラサキ商会って、あの大手の?」


ギンの問いかけに、シロは頷いて答えた。


ヤラサキ商会とは、グルル王国一二を争う大手の商会だ。あらゆるものに手を伸ばしており、武具屋、飲食店はもちろん、王都にある店の半分はヤラサキ商会経由で回されたものとなっている。最近では、カルルア共和国にも進出するとかしないとか、そんな噂も出ている。


商売の世界は信頼が命。いかに大きな商会とはいえ、小さな綻びから崩れないとも限らない。揉み消すこともできるだろうが、そんなリスクをしょってまで、どうしてこの場所に執着するのか。


「『コロン』だった頃から嫌がらせはあったそうです。店の嫌な噂を流したり、わざとケチをつけるような客を送り込んだりと……。ーーお母さんとお父さんが死んだのもおかしいんです! あんなに元気だったのに、急に体調を崩して死んじゃうなんて、変だったんです! なのに、お医者さんは病気だって……」


蒼い瞳に涙をため、声を荒げたシロをニニは横から優しく抱いた。嗚咽を漏らすシロの背中をポンポンとあやすように叩きながら、ニニは話を続ける。


「……まぁ、こういうわけさ。すまないね、シロはあの人達の事となると感情の制御が効かなくなるのさ。……まぁ、ヤラサキ商会の連中は異常なまでにこの場所を欲している。そして、だんだんと手段を選ばなくなってきたのさ」


「……成る程、ね。その果てが、買収か。どうする団長? 僕個人としては、協力してあげたいけど」


ガロンは腕を組み、目を閉じて黙考していた。九年前の災害魔獣事件でも分かるとおり、この男は正義感に溢れる男だ。九年前のあの時、ガロンはただ国を救うことだけを考えて魔獣に突っ込んでいった。そんな彼が悩んでいる。それはつまり、


「……悪いが、すぐには決断できない」


ガロンは重りがついたような声音で言った。


「騎士団は個人を守るために存在するんじゃない。あくまで、国民のために平等に働かなければならないんだ。だからせめて、ヤラサキ商会が実際にそういうことをしたという、証拠がなければ、騎士団は動かせない」


「なっ!? どうしてーー」


「おっと、あんまり怒らないでほしいな。僕達だって、本当はすぐにでもヤラサキ商会に突っ込んでいきたいよ? けどね、僕達騎士団が、秩序を乱すわけにはいかないんだ。騎士団が何の証拠もなくヤラサキ商会に突撃して、それで何も出ませんでしたじゃお話にならないでしょ? そんな事をしたら、騎士団は横暴だとか、国民の信頼がなくなっちゃうしね。国民の信頼を失ったら、一度取り戻すのは大変なんだよね。僕達が国を守っていられるのは、国民のおかげでもあるからさ」


ギンが述べるのは一方的な正論でしかない。あくまで騎士団をまとめる一人としての、意見だ。きっとギン本人の意見は違うのだろうが、それを主張できる立場にはない。


「なら、証拠があればいいんだろうっ? そんなものはいくらでもある! この紙だって、立派な証拠だ!」


ニニはギンにあの紙を突き出す。内容をかいつまめば、この土地を店ごと買い取った。出て行かなければ追い出すぞ。脅迫文にも近い印象を感じるそれは、ニニの言う通り、証拠になり得るかもしれないものだ。ギンはそれを目を細めて見ながら、


「残念だけど、これは正当な書類だね。この調印、この国の正式なものだよ。確かに同意を得られない買収はこの国では違反だけど、これが押された以上、覆すのは騎士団じゃ厳しいよ」


つまり国にもヤラサキ商会の息がかかっている、ということにもなるのか。場合によっては、王に進言することも考えなくちゃいけない。新しく発生した問題に、ギンは頭を痛めた。


「時間があれば、騎士団で解決することもできるが……この紙にある通り、残り時間は三日だ。とてもじゃないが、無理だ」


無情にも言い放たれた言葉に、ニニは脱力したかのようにシロにもたれかかった。一度店がヤラサキ商会の物となってしまえば、この土地はどのように使われるのか。少なくとも、先代から継いだこの店は形も残らなくなってしまうだろう。シロも泣き止んではいるが、言葉を発する力もないのだろう、さっきから声すらあげない。


「……ギン、どうにかならないのかだよ。あまりにも酷いだよ」


ルルもふざけている場合ではないと感じたのか、真剣な口調でギンに訊く。彼女としても、美味しい甘いものが食べられなくなるかの瀬戸際だ。協力はしたいのだろう。


「…….ギルドに頼む、っていうのも手だと思ったんだけどねー。そうなると今度は依頼料と報酬が大変なんだよね」


「依頼料も報酬も最低限に切り詰めたとしても、ヤラサキ商会を敵に回すことになるからな。余程酔狂な奴でもない限り、受ける奴が現れる可能性は無いに等しいだろう」


ギルドも国も頼れない。頼ったとしても、解決できる可能性は極めて低い。打つ手がない、とはまさにこのことか。


それに、ギンとガロンは明日になれば業務に戻らなくてはならなくなる。そうなれば、まさしく詰み、だろう。


ギンとガロンは頭を悩ませ、ルルは机に突っ伏し、ニニとシロは絶望に侵される。そんな暗澹とした雰囲気の中で、イトは躊躇いがちに手を挙げた。



「ーー俺に、一ついい考えがあるんですけど」



五人の注目がイトに集められる。一挙に五人の視線を浴びたイトはそれに、特にニニの鬼気迫るものに圧されながらも、考えついたものを口にする。


「俺の師匠の口癖、みたいなものなんですけどね? 相手の嫌がることをしろ、そして心ごとぶちのめせ、って言うものなんですけど」


そんなんが口癖の師匠は、何か嫌だ。よく五歳の頃からそんな師匠の元にいて、性格ねじ曲がらなかったなと、賞賛を与えてもいいくらいだ。


「ニニさん達はヤラサキ商会の人達に散々嫌がらせをされたんですよね? それも、悪評を流したりだとか、息のかかった客を送り込んだりとか。……だったら、こっちもそれをやり返してみましょう」


「……やり返すって、どうやって」


ニニが暗い声音で訊くと、イトは笑顔を浮かべた。


「商売の世界は信頼が何より大切です。ニニさん達も信頼を貶めるような事をされたんですから、こっちもそうしてあげましょう」


笑顔でえげつない事を言うあたり、やはり賞賛は取り消してもいいのかもしれない。まともに見えて、やはり毒されていたようだ。……それとも、イトも頭にきているということなのだろうか。


「相手はグルル王国一二を争う大きな商会です。一筋縄ではいかないでしょうが、何も商会そのものを潰すっていうわけではないんです。最低、ここを取り戻せるような、ボロを出させればいいんですから」


「ボロって、イト、そんな簡単に出すと思う?」


「証拠になるような物は処分されているだろうしな。だからこそ、強硬手段は使えないわけだが」


二人の言う通りだろう。完璧に証拠を処分したわけではないだろうが、探してそう簡単に見つかるとも思えない。


詰まりの根本をどうするのか。イトはそれでも笑みを崩さなかった。


「正攻法でいくのは無理でしょう。だから、ちょっとやり方を変えます」


そのためにもと、イトは五人の顔を見回した。


「皆さんにも協力してもらいます。……って、元々はニニさん達の台詞ですね、これは。ーーでもまぁ、大事なお客になりそうな人のためにも、今回は俺が音頭を取らせてもらいますよ」


「え……」


ニニの出世払いの件を、イトはまだ諦めていなかったようだ。呆気にとられるニニにふふっと笑いかけ、イトは静かに、何てことない口調で、


「ーーなるべく暴力には頼らないで、ここを取り戻しましょう」


はっきりと断言した。




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