魔道具師イトと村の調理師カロア
イト工房。
そんな何をする店なのか、理解させる気があるのかないのかよく分からない名前が、イトの経営する魔道具店である。
店構えは立派な一軒家。貴族の住まう屋敷とは、大きさに差も、見た目の絢爛さも欠けるが、店としては十分な広さを誇っていた。周りはのどかな草原。魔道車や馬車が通る道に面して建つイト工房は、景色の良すぎる遠くからも、よく目立っていた。
時刻はそろそろ昼を過ぎる頃合い。入り口すぐのカウンターに手を置き、分厚い本を読んでいたイトの耳に、扉を開く音が届いた。
「こんにちは、イトさん。食材を届けに来ましたよ」
若く、華奢な女性だ。イトは本に落としていた目を女性に向けると、緩んだ笑顔を浮かべた。
「あぁ、こんにちはカロアさん。いつもありがとうございます」
カロア、そう呼ばれた女性は長い金髪を揺らし、足元に置いていた箱をカウンターに乗っけた。
「いえいえ、イトさんにはいつもお世話になっていますから、これくらいなんでもないですよ」
垂れ目がちな両目を細め、カロアはふわりと微笑む。
「今日は、注文の通り野菜と、調味料を持って来ました。どれも村で採れたものばかりですので、味は保証しますよ?」
ユビート村。イト工房から少し離れた所にある、小さな村からカロアはやってきている。ユビート村の特徴は豊かな土壌で、そこから収穫される作物は、商人から高い価値で取り引きされている。
この時期は一番の稼ぎ時、いわゆる収穫期だ。旬じゃなくても旬の味、が売りのユビート村。カロアが言うように、味は最高のものだろう。
「助かります、カロアさん。これでしばらくは生きていけますよ」
箱から覗く野菜は、どれも健康的な艶が見える。一瞥しただけで、味がわかるものだ。
「ふふっ。農家の方はもちろん、私もイトさんには大きな恩がありますからね。何かあればいつでも言ってくださいね?」
「大きな恩って、俺は大した事をしてませんよ。まだまだ勉強不足ですし、師匠には及びませんから」
苦笑を浮かべるイト。カロアも、何度か会ったことのあるイトの師匠を思い起こし、同様の笑みをつくった。
「もしかすると、その本も、そうなんですか?」
「え? あぁ、これですか」
イトはさっきまで読んでいた本を手にした。
「分厚い本ですよね。これでも、私も魔法を少しは扱えるんですが、何と書かれているか分かりません」
イトの持つ本は、外装も何もない黒い本だ。表紙はボロボロで、相当読み込んであることが分かる。そしてカロアの指摘した通り、題名と思われるそれは、文字のような何かで書かれていて、到底解読できるものではない。
形の良い眉を歪めるカロアに、イトはそりゃそうですよ、と言った。
「これは師匠オリジナルの本ですから。文字も師匠オリジナルになってるんです」
「え、この本は自作なんですか?」
「はい」
目を丸くするカロア。ただ者ではないと思っていたが、本まで作れるとは思っていなかった。そしてイトほどの人物が読みふけるならば、内容はかなり高度なものなのだろう。
「師匠の技術は門外不出ですから、他の人間やらに知られてはいけないんですよ。だから文字も師匠オリジナルで、解読できるのは師匠と、元弟子の俺くらいでしょうね」
あはは、と気楽に笑うイトだが、カロアは笑えなかった。
「そんな本を、無造作に置いておいていいんですか? 盗まれたらとんでもない事になるんじゃ」
「大丈夫ですよ。この本は特別で、僕と師匠しか開けませんから。それに、例え盗まれても、絶対にここに帰ってきますから」
へ? とカロアの口は半開きになってしまった。
「主人保有の陣、っていう特殊な魔法陣なんですけどね。まぁ、これがある限り盗まれても大丈夫なんです」
「あ、あはは……」
ユビート村で料理店を開くカロア。昔は料理の修行のために、王都へ行ったこともある。そこで知り合った戦士や、騎士、魔法使いは、皆国に名を売るほどすごい人だったが、主人保有の陣なんてものは聞いたことがない。何より今の時代、魔法陣を使える人はかなり限られているのだ。
本に陣を刻んだのはイトの師匠だけど、その人に師事を仰いでいたイトも、同様の、あるいは似たような事ができるのだろう。
一年前にとあるきっかけで知り合ったイトとカロアだが、底が知れないイトに、カロアは軽い戦慄を覚えた。
「もしカロアさんも絶対に盗まれたくないものがあれば、何でも持ってきてくださいね? 無償で同じ陣を刻みますから」
満面の笑顔で言うイトに、カロアは苦笑いしか浮かべる事ができなかった。