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色々な話


「ということは、イトさんは今日は外に出てこないんですね?」


「ん。仕事中」


ムムはイトから貸してもらった、重くてでかいだけの斧を振りながら、イト工房を訪れたカロアに返事をした。


白いワンピースを着て、その上に藍色のカーディガンを羽織っているカロア。両手で持つ籠の中身はいつもの食材が入っている。彼女は毎度の如く食材お届けのためにここまでやってきたのだが、生憎イトは作業中と聞き、軽く肩を落とした。


「一応聞きますけど、腕は治ったんですよね? イトさん」


「治った。保証する」


なにせ仕事禁止令まで出したのだ。治ってもらわなければ困る。それに、ムム自身の目で確認もした。


ここ数日、イト工房に来ていなかったカロアは、完治の報告を聞き胸を撫で下ろした。最後の帰り際に見たイトの様子では、また無理をして悪化するんじゃないかと心配していたのだ。


「それなら良かったです。やっぱり魔法陣の力は凄いんですね」


「使い手による。イトは腕が良い。だから」


正確には、魔法陣の描き手による、である。

魔法陣は一度描かれてしまえば、よっぽど酷い使い方をしない限り誰が使おうと等しい効果を発揮する。ゆえに、魔法陣の効果を左右するのはその描き手だ。同じ魔法陣を描いても、描き手の技量によって発揮される力は違ってくる。今回イトが用いたのは回復の陣。当然施術院の術師に比べれば効果は落ちるのだろうが、それでも全治半月はかかる傷を数日で治したイトの魔法陣は、やはり上等だと言えよう。


「今日来たのはイトさんの様子を見る事もあったんですけど、その分なら必要はなさそうですね」


「夕方には終わる。イトが言ってた」


今日、イトがしているのは昨日作った斧の刃の部分に魔法陣を描き込む作業だ。イトは鍛治の作業よりもこっちの方が得意なので、朝から始めれば夕方には終えられるらしい。


回数五百を振り終えたムムは一度斧を地面に突きたて、額の汗を拭った。


「いればいい。時間があるなら」


まるで我が家のように言ってのけるがムムだが、ここはイトの家である。ここ数日の間で、すっかりイト工房はムムの自宅扱いされていた。


「え、でもいいんですか? お邪魔になりません?」


「ならない。イトは美人好きだから。むしろ喜ぶ」


そして勝手に捏造されるイトの性癖。残念なのは、この場に訂正する人がいないことか。で、


「そ、そうだったんですか?」


真に受けるカロアは、全く悪くないと言えよう。初めて知る事実に瞠目するカロアに、ムムは畳み掛けるように言う。


「ん。イトも男。頭は獣。若いし」


「む、ムムさんの言ってる事も一理あります。私の会ってきた男は、皆そうでしたし」


かなり偏見が入っているが、貴族から散々求婚されてきたカロアとしては仕方のない事かもしれない。男嫌い、まではいかないものの、彼女の中で男は警戒対象に入っているし。


「カロアは美人。気をつけて」


「そうですね。気をつけます…………あれ?」


ムムの調子に引き摺られ、素直に頷いてしまう。……と、ここでカロアの脳内に疑問が一つ。ならなんでイトは前に泊まった時、襲ってこなかったのか。以前ムムと一緒にイト工房に泊まった時は、特に何かがあるわけでもなく、普通のお泊り会のように締め括っていた。何かをしてほしいわけではないが、あそこまで何もないと自分は女としてイトに見られているのか、ちょっと不安になったのを憶えている。


…………これは、もしかしたら。


もしかしたらのもしかしたら、だけど。


……ムムはイトの事が好きなんじゃないだろうか?


でなければ誘っておいて、行く気の失せる事をわざわざ言わないはず。更にもしかしたらを付けると、カロアはその恋敵に見られているんじゃないだろ……、


「さ。カロア。おいで」


…………。


………………なんて事はないようだ。


ムムのチョイチョイと招く姿と、裏のない声音に毒気を抜かれたカロアは、軽く自己嫌悪して中に入った。



グルル王国は貿易が最も盛んな国として有名である。


この地に無き物はない。そんな言葉が他国でも囁かれる程だ。穏やかな国民性も手伝ってか、グルル王国の、特に王都は商人達や、他国からやってきた観光客が絶えず行き交う地になっていた。


そんなわけで、王都は常に人で溢れかえっている。とすれば、自然とそこをつけ狙う犯罪者も多くなりそうなものだが、グルル王国の治安はカルルア共和国に次いで良いと評価されていた。王の統治が行き渡っているのもあるだろうが、治安の良さに一番貢献しているのは、やはり騎士団だろう。


正規の騎士団員、騎士団候補生、国民達によって立ち上げられた自警団。特に正規の騎士団に刃向かってまで犯罪を起こそうとする度胸のある奴なんて、余程の馬鹿じゃない限りいなかった。


そんな騎士団の本拠地は王城だ。王都の中心部に位置し、門が四つの方向にそれぞれ一つずつあるという、少し変わった造りをしている。主として用いた資材は、トロン石と呼ばれる物。真っ白い外見からは想像もつかぬ硬度を有したそれをふんだんに使った王城は、並大抵の攻撃では揺らぎもしない強固さを得ている。


広く、大きい王城で騎士団に与えられた場所は、外の演習場と地下の決闘場、後は演習場の近くに建てられた宿舎のみである。当然、騎士団の人間なら王城へ出入りする許可は得ているが、特に用事でもないと中に入る事はない。警備に当たっている場合は別だが。



騎士団副団長、ギン・ティールクはその王城の廊下を、重い足取りで歩いていた。


常に浮かべている笑顔にも元気が感じられない。明るい金色の髪も、今はどことなくくすんで見えた。


「…………はぁ」


彼の姿を見た城の人達は、その様子に心配そうに後ろから見つめる。明るく人好きをし、容姿も良い彼は城の人達のみならず騎士団員達にも人気があった。そんな彼が、いかにも憂鬱と言いそうな表情をして歩いているのだ。心配にもなる。


知り合いの何人かは大丈夫かと訊いてきたが、ギンはそれにも力なく大丈夫と返していた。どう見ても嘘だと分かるが、誰も深くは聞こうとしなかった。


時刻は丁度昼辺り。他の騎士団員達は、今頃食堂か街に繰り出して昼食をとっているだろう。いつもならギンも

一緒について行くのだが、今日はそうしていられない事情があった。


「……団長からの呼び出しって、毎回良い事がないんだよねー……」


団長からの呼び出し。それはつまり団長の愚痴を聞く事に他ならない。


内容はいつも同じだ。親が孫の顔を見せろとうるさいとか、どうしたら結婚できるのか、とか。未だ独身で彼女もいないギンに、何故そんな相談をするのか。いや、話を聞いてほしいだけなのだろうけど。


思えば、最近団長の元気がなかった。部下達の前では気を張っていたけど、ギンと二人だけになると途端に弱音を吐いてきた。これが愚痴の前兆だという事くらい、分かっていたはずなのに。


「……はぁ」


もうため息しかでない。団長に惹かれたからこそ、ギルドから抜けて騎士団に入ったというのに。憧れは結局憧れのままの方がいい、って事なのかな?


ズルズルマイナスな思考を続け、重たい足を引きずってやって来た騎士団団長室前。任務などを言い渡される時などはノックをするが、今はきっと……いや、絶対違う。


ギンは半ば自棄になって扉を開ける。と、中には椅子に腰掛け、机に両肘をついている団長の姿があった。


「よく来てくれたギン。座ってくれ」


白を基調にした騎士団の制服を着た団長、ガロン・サイズル。椅子に座っていても分かるくらい、彼は長身で、それと痩せ型に見える。九年前に現れた、あの馬鹿でかい魔獣を倒した男とは、まるで思えない体つきである。彼の主武器が銃である事を考えても、騎士団の団長には見えない。むしろ、宮廷魔術師と言われた方が、よっぽど説得力がある。しかし制服の下には無駄をこそぎ落とした筋肉や、魔獣と戦ってついた施術院でも治しきれなかった傷跡が残っている事に、一体何人が気づいているだろうか。ギンは腰につけていた剣を外す。そして机の前に置いてあった椅子に座りつつ、思った。


顔立ちは、まぁ良い方だろう。精悍で、いかにも男らしい。しかし、眼光が鋭すぎるのは良くない。彼にしたら見ているつもりでも、見られている方は睨まれているとしか感じないのだ。変に長い前髪も、余計に印象を悪くしている。二日前切ってこいと言ったのに、ギンは内心ため息をつく。


「悪いなギン。昼はとったか?」


「団長、昼になったらすぐ来いって言っといてそれはないですよ? 昼なんかとれるわけないじゃないですか」


「む、それは悪かったな。今から食堂に行くか?」


仏頂面で悪かった、と言われても困る。その表情の無さが怖がられている事の原因の一つだということを、何度も忠告しているのに。


「いいですよ、別に。昼を抜いても問題ないですからねー」


嘘ではない。確か、午後の訓練は騎士団候補生への座学だったはず。普段の訓練より時間は短いから、空腹でも問題はない。


「そうか。助かる」


「団長、そこは嘘でもいいから、すまないな、夜は奢るぞ、くらい言えなきゃダメですよ」


「む、俺はそんな声してないぞ?」


「あーもう。何でそこに目がいったんですか」


ちょっとした事で目を尖らせるのはやめてほしい。あと、ギンの言っている意味が全然分かってない。


「部下を気遣え、って言ってるんですよ。団長は表情固いんですから、別の所でできる上司っぷりを見せないと」


「気遣っているつもりだが」


「なら、何で他の奴らは団長に声をかけないんでしょうねー。顔が怖くても、中身が優しいって知れば、自然と輪も広がるはずなのに」


本当に、何でこの人は三十二にもなって年下に説教されてるんだが。ギンは嘆息をつき、更に顔が厳しくなった団長に目を合わせる。


「……まだ、怖がられてるのか? 俺は」


「今日の様子を見て、どこが改善されたのか、詳しく説明してほしいですねー」


むむむ、と眉までひそめる団長。せっかくの顔立ちが台無しだ。


「団長は固すぎるんですよ。もっと表情を柔らかくして、部下を飲みに誘ったらどうですか? 僕もついて行きますよ?」


「酒は好かん」


「だーかーらー。団長は弱みを見せなさすぎなんですよ」


騎士団の人間どころか国民すら畏れる天下の騎士団団長が、実は下戸でした、なんて意外性を見せれば、今までのギャップも相まってすぐにイメージが変わると思うのに。


この世に完全無欠の人間もエルフも獣人も魔人もいない。例えいても誰からも好かれはしない。団長はそれに近いのだ。でも、どうあがいても完全無欠にはなれないから、こうしてギン相手に腑抜けた姿を見せて息を抜く。ギンにしたらいい迷惑だ。


酷く重い嘆息をつくギンは、椅子の背もたれに体重を乗せる。これで騎士団団長としても駄目だったらぶちのめす事もできるが、この人は有能だ。実力だけじゃない、有事の際には騎士をまとめ上げ、常に前線に立つ勇猛さも備えている。



「……あんたがいるからここに入ったっていうのに」


誰にも聞こえない声でギンは呟き、むぅ、むぅ唸っている団長を見つめた。




「……そろそろ、時間だな」


懐から懐中時計を取り出した団長は、時間を見ながら言う。


「あれ? もうそんな……あぁ、そういえば言うの忘れてました」


「ん?」


立ち上がり、背筋をグッと伸ばしたギンはふと、イトの事を思い出した。


「魔道具師のイト、知ってますよね?」


「あぁ、知ってる。俺の銃も、イトに作ってもらったからな」


なら話は早い。ギンは剣を腰に付けて言った。


「イトにも手伝ってもらう事になりましたから。団長の改造計画」


「は?」


厳しい目つきで口をポカンと開ける団長。部下達からすれば新鮮、ギンにしたらよくある光景を眺めつつ、彼はなんて事ない口調で話を続けた。


「毎回毎回僕と団長で話し合ってもどうしようもないって事がわかったんで、イトにも協力を仰いだんですよー。いい加減行動を起こさないと、いつまで経っても団長に奥さんなんてできないですからね」


「ま、待て。改造計画とは何だ?」


「その名の通りですよー。さ、早く行かないと遅れますよ?」


背後で待て待て言ってる団長は置いておき、ギンはさっさと、部屋を後にした。

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