久々の再開と自業自得
ーー何もない。
黒のコートを纏い、両の目を布で塞いだ女性ーームムは草原に一人立ち、辺りを見渡してそう思った。
確かにイトに忠告はされた。「見て面白いものは、ありませんよ?」と。でもまさかここまで何もないとは予想外だ。昨日の経験を生かし、暇潰しがてら歩いてきたはいいが、これではたいして差はないじゃないか。
周りを見回す。視えてくるのは青々とした草が広がる草原、ちょん、と生えている木、腰掛けによさそうな石。娯楽施設はもとより、家かなにかないかと来たが、そもそも人の気配すらないとはどういうことか。
はぁ……。ムムはため息ををつくと同時に肩を落とし、自分の手に目をやった。
ぐっぱ、ぐっぱ。
指を閉じて開いて、閉じて開いて。更にもう一度閉じ、その右腕にグッと力を込めると、
「ーーっ!」
地面に叩きつける。瞬間、ズン、と微かに揺れが起こる。叩きつけた拳は土にのめり込み、引き抜くと白く長い指に土がこびりついた。
ぐっぱ、ぐっぱ。
付いた土を気にもせず、指をまた閉じて開くと、ムムはふぅと息をついた。
「まだ平気」
ーームムの膂力は、男性ギルド員のそれを遥かに上回る。手で持てる石であれば握力で握り潰せるし、全力で石を蹴ればその石は砕ける。……まぁ、そんなことしたら足も多少怪我をするかもしれないが、そもそもそんな馬鹿らしい事を、ムムはしない。
そんな筋力があるからこそ、あの馬鹿でかい斧を振り回す事ができるのだ。軽量のアトラス鉱石を主体に作られた斧とはいえあの大きさともなると、重量はかなりある。一般人はおろか、ランクの低いギルド員でも持つだけで精一杯だろう。実際、コートの下に隠れているムムの腕は、細いながらもしっかりした筋肉がついている。力を込めた状態で誰かが触れば、「固っ!」、というだろう。……それ以前に、彼女は他人に肌を触らせることはまずないが。
今度は薄く魔力を纏わせてみる。肘から指先にかけて、ゆっくりと丁寧に。強力な魔獣屠るためには力と知恵が大切だということは、、ギルド員や騎士団員のみならず多少知識のある一般人でも知っていることだ。でも、とムムは思う。
本当に大切なのは魔力、詳しくいうならば、魔力を正確に操る力だ。
人と魔獣の間には、絶対に埋められない力の差がある。どんなに鍛練をし、力をつけても魔獣の怪力には到底敵わない。知恵を用いて魔獣を嵌めても、圧倒的な力を持つ魔獣の前には無力なこともある。この前イトが対峙していたゴアアグリズリーくらいならまだいい。しかし、この世には人の何十倍という体格をもつ魔獣だっているのだ。人間のみならず、人間より高い力をもつエルフ、獣人、魔人でさえ災厄と恐れる存在に、チンケな力や知恵がどうして役にたとうか。
だからこその魔力だ。
魔力は小さな火から、この草原を焼き払う炎まで生み出すことができる。非力な人間には過ぎた力だろう。でも、魔獣と戦うならそれくらいでなくちゃいけない。事実、ムムは今まで身につけた知恵と経験、物理的な力に、魔法を駆使して魔獣と殺し合いを演じてきた。……しかし、と問題もある。
いかに大量の魔力を有していたとしても、扱う技量が無ければ宝の持ち腐れ。幼子に大量の魔力を与えても、御しきれずに身を滅ぼすだろう。魔力は強大な力となることもあれば、何にもならないゴミにもなる。それはムムが小さな頃に、経験して得た知恵だ。だからこそ、ムムは日々の鍛練を欠かさない。
昨日は料理をカロアという、近くの村の料理人に教わっていたからできなかったが、今日までサボるわけにはいかない。ムムは魔力を纏わせた状態で拳を作ると、さっきと同じように、地面にドンと叩きつけた。
ーードゴン!!
地震かと錯覚するくらいの強い揺れが辺りを襲う。それは周囲に伝いーー
☆
「痛っ!」
「地震、ですかね。珍しい。ギン、大丈夫ですか?」
イト工房を襲ったムム発の人工的な地震は、壁にかけてあった時計を落下させ、ギンの頭へと見事に着地した。
「いったー……うん、大丈夫だよ、痛いけど」
涙目になりつつ、ギンは頭を摩る。
「にしても、何でいきなり地震なんて……全く運が悪いなぁ」
「ここに来てからは初めてですね、地震は。ギンが連れてきたんでしょうか?」
「そんなわけないから。僕はそんな体質じゃないし」
全く、と言いつつギンはカウンターに置かれたお茶に口をつける。イトはそんなギンの様子に頬を緩めた。
「副団長になっても相変わらずみたいですね、ギンは。部下の人達にナメられたりしませんか?」
「だいじょーぶ大丈夫。多分慕われてるよ、僕は」
グルル王国には王国騎士団と呼ばれる部隊が存在する。国中から選ばれた実力者などで構成され、国を魔獣から守り、犯罪者の取り締まりをする役割を持っている。正規の部隊人数はおよそ三百人程度。訓練隊、と呼ばれる騎士団候補生の人数が大体五百人程度。
合計八百人のトップに立つのが、騎士団長、騎士副団長と呼ばれる地位につく二人だ。ギン・ティールクはその騎士副団長。実質ナンバーニの人物だ。
「てか、あれ? イトはうちの団長とも面識あるんだよね?」
「もちろん。お得意様ですから」
騎士団はイト工房のいいお客でもある。元々騎士団のお客様は少なかったが、ギンが贔屓にしている事も手伝い、いつしか団長までもが通うようになった、というどうでもいい経緯があったりする。
「なら、知ってるはずだよ、イト。うちの団長が、怖がられてるって」
「あぁ……」
一言で表すなら鬼。それが騎士団団長の印象だ。
「団長があんなだからさ、他の奴らは僕に色々伝えてくるんだよね。連絡事項とか、演習のアドバイスとか。皆も団長との付き合いが短いわけじゃないからさ、団長が本当の鬼じゃないことくらい、知ってるはずなんだけど……」
「まぁ、一度ついた印象は簡単に払拭できませんからね。団員を誘って遊びにでも出かけたらどうですか?」
「それもやってみたんだけどさ。怖がって来ないのよ、どいつもこいつも」
参ったね、とギンはカップに手を付ける。ギン自身、団長とはよく飲みに行く仲だから、余計にそう感じるのだろう。
「なんせ、一部では英雄って呼ばれてる人だからねー。そりゃ並大抵の奴じゃ、臆して話しかけられないよ」
ーーおよそ九年前の事。グルル王国に、一体の魔獣が攻めてきた。名前も分からない新種の魔獣。それは突如として現れ、国の一部を一瞬にして消し炭にした。
あまりにもいきなり現れたその魔獣に人々は逃げることすらできず、騎士団はおろか、フットワークの軽いギルドですら魔獣の対応に遅れてしまった。当然、他国からの助けは期待できない。誰もが絶望に打ちのめされた時、その魔獣に立ち向かったのが今の騎士団長ーーガロン・サイズルであった。
当時は一騎士団員であったガロン。彼はたった一人で、双銃を手にその魔獣を倒してしたのだ。
それ以降、ガロンは国中の人から英雄と呼ばれるようになり、魔獣討伐から二年後、騎士団団長に任命された。
災害レベルの魔獣を一人で打ち倒し、英雄と称される団長。そんな人物を前にして、正常に話しかけられる奴など、そうはいないだろう。
「何らかのきっかけがあればいいんですけどね。それまでは、時間が解決してくれることを祈るしかないでしょう」
「そうなっちゃうよなー」
団員は団長を尊敬してないわけじゃない。むしろ、裏では崇めたて祀られるくらい、団員から信頼を得ている。なにせ災害クラスの魔獣を倒したのだ。その強さに惹かれて騎士団に入団する人もいる。だが、それが余計に近寄り難い雰囲気を強調させてしまっているのだろう。カルルア共和国には歌姫と呼ばれる人物がいる。歌姫は国民からそれこそ神のごとく崇められているが、直接会って話したい、とはほとんどの人が思わないだろう。
遠くから観ていた存在が目の前に来る。それが尊敬していた人物なら、感激するよりも先に緊張がくるものだ。団長も、それと同じような現象が起きていた。
「団長も苦労してるんだよねー。よく僕に愚痴ってくるしさー」
「あぁ、俺にもよく愚痴を吐きますよ」
「イトにも言ってるの? 何て言われた?」
「誰も近づいて来ないから彼女ができない、と。そのせいで、親に孫の顔が見せられないと、言ってましたね」
「あははっ! 僕もその話をされたよ。どうやったら嫁ができるのか、ってね」
なんとも悲しい話でもある。鬼や英雄と称される団長が、実は嫁探しに夢中だなんて、誰が想像するだろうか。
もしその情報を言いふらしでもしたら、国中が驚きに包まれるだろう。騎士団の人達はある種のショックで寝込むかもしれない。嘘だと言う人物もいるかもしれないが、団長本人が認めればその声もなくなる。イトとギンが話している内容は、それほどの衝撃を秘めているのだが、イトもギンもそれには気づいていない。
「ホント、二人になる度に聞かれるもんだから疲れちゃってさー。いっそのこと見た目の印象をガラッと変えちゃおうかとさえ思ったよ」
「見た目の印象、ですか?」
イトは言いつつ、ギンのカップにお茶をポットから注ぐ。ありがとさん、とギンはカップに口をつけると、話を続けた。
「そ。団長ってさ、顔を見れば結構カッコいいんだよね。精悍、っていうか、男らしいっていうか、さ。だから少し若々しい格好してれば、話すきっかけになるかなってねー」
「あれ、団長さんて今いくつでしたっけ?」
「三十ニ。これ以上待ちの戦法は年齢的にキツイし、ここらで何か一発かまさないとねー」
団長はああ見えて奥手だし、とギンは付け加える。いざ仕事、となるととんでもない行動力を発揮する団長だが、それ以外となると別人のように大人しくなるのがガロンという人物だ。しかも、黙っていると機嫌が悪いと思われる悪循環。これでは結婚はおろか、恋人すらできないだろう。
「……もしかして、ここに来たのは俺に協力を求めて、ですか?」
ジト目で尋ねるイトに、ギンは苦笑して返す。
「その通り。察しが良くて助かるよ。事情を知ってる奴ってあんまりいないからさー、イトにも協力をお願いしたいんだよね、団長改造計画」
「改造計画って……団長さんは了承しているんですか?」
「まさか。僕が勝手に計画している事だよ」
おどけるように笑うギンに、イトはため息を返した。
「いいんですか、それ? 怒られません?」
「だいじょーぶ大丈夫。イトもいるから、悪いようにはしないよ」
多分。そう付け加えられて、言い知れない不安がイトの背筋を触った。こう、ぞわぞわ、っていう風に。
まあ、とイトもギンの計画について考える。ギンも決して面白がってこんな計画を実行しようというわけでもあるまい。団長の今後のためを思って、この頭の悪そうな計画を考えついたんだろうし、協力するのはやぶさかではでもない。団長さんも、この店のいいお客だし、これからもご贔屓にしてもらうためにも、協力しておいたほうがいいか、と。
熟考すること五分。イトは細い目をギンに向け、ようやく、といったように言った。
「………………分かりました。腕の怪我が治って、ムムさんの武器を作り直してからなら、協力します」
「流石イト! そう言ってもらえると思ってたよ!」
破顔一笑。ギンは満面の笑みを浮かべ、イトの肩を叩いた。
「いやー、助かったよー。僕って交友関係広い方だけどさー、こんな計画に乗ってくれそうな奴はいなかったからさー。うんうん、イトはいい奴だね」
「イタっ、イタっ。痛いですよギン」
「いいじゃんかー、イト。僕とイトの仲じゃんよー」
「暴力的なお付き合いは遠慮しときますよ」
あっはっはっは。よっぽど嬉しいのか、ギンは緩めた相好を戻そうとしない。
「……てか、あれ? ムムちゃんいたんだね」
「え? あぁ、いますよ。武器の修理に来たんですけど、俺の腕がこんなんになっちゃってましたから、ちょっと待っていただいているんです」
「待つって……ここで?」
えぇ。そうイトが頷くと、ギンは表情を一転させ、目を大きく見開いた。
「え、イトとムムちゃんって付き合ってるの?」
「へ?」
まさかの発言に、イトが固まった。
「何でそうなるんですか?」
「いやいや、だって男と女が一つ屋根の下、だよ? 何かないとおかしいでしょ」
「まぁ、確かにそうですけど……」
よくも考えてみてくれ。いくら女とはいえ、めちゃくちゃ強い力を持っているのだ。どんなに容姿が良くても、手を出そうだなんて思えるはずもない。美しい薔薇には棘がある、この場合、眼帯女には斧がある、だろうか。怖すぎる。
「……ないですね」
「…………イトって、本当に男? 僕だったら間違いなく間違いを起こしてるよ?」
「そりゃギンは強いですからね」
騎士団副団長の名は伊達ではない。ギンは間違いなく国で十本の指に入る強さを持つ人物だ。イトでは到底及ばない強さを誇るギン、そりゃ思考だって及ばないこともあるだろう。
「いやー……、うん。イトってすごいねー」
「嫌な感心のされ方ですね」
「いやいや、尊敬できるよ? だってあの不思議で人嫌いで強くて短気で不思議なムムちゃんと一緒に寝て、何にもなかったなんて考えられないもん」
「言い過ぎですよギン。ムムさんはそこまで……」
「ギルドでは関わるな、危険、で通ってたけどさー、ムムちゃんって結構可愛いから、人気はあったんだよねー。誰も口説きに行こうとはしなかったけど」
「…………」
「あ、今気づいたけど、団長とムムちゃんって共通点あるね。対人関係壊滅的。あの二人を会わせたら合うかな?」
「…………」
「会わせたら面白そうだねー……って、イト? 何でさっきから黙ってるの?」
「短気。危険。対人関係壊滅的。よく喋る口だね。ギン」
「えっ?」
ギンがここにはないはずの声に振り返る。真後ろ。ギンよりいくらか小さい体躯のムムが、そこに立っていた。
「む、ムムちゃん!? あれ? 何でここに……」
「久しぶり。死ね」
「ちょ!? まーー」
目の前で行われた凄惨な現場に、イトはそっと目を閉じた。