誤解
「美幸 今日は 遅くまでかかるし 夕食も食べてくるから 先に休んでいていいよ。」
「そう 忙しくなるのね。わかった 頑張ってね。」
今日からほぼ毎日 朝は早朝会議 夜も遅くまで残ってプレゼンの準備に入るため かなりハードになると思う。
きっと 朝しか美幸の顔を見られないかと思うと やはり寂しいが 今回の仕事は絶対成功させたいとスタッフの結束も固く
俺もいつも以上に真剣に取り組んでいた。
「行ってらっしゃい。」
「ああ ごめんな しばらく寂しいかもしれないけど この仕事終わったら また勝負でもしようか?」
美幸も俺もかなりのゲーマーなのだ。
「ふふっ 負けないわよ。この間 最高得点更新したんだから。」
「えーっ そうなの? もしかして 結構気合いれないと 俺 負けちゃうかもしれないな。」
そして 俺は美幸の腰にそっと手を回して 抱き寄せる
「・・・うん 覚悟しておいてね。」
少し照れながら 笑う美幸
「行ってくる・・・」
チュッ
「・・・行ってらっしゃい。」
まだ高校生の美幸に対して 俺はまだキスだけでそれ以外のことはしていない。
もちろん 俺も男だし
そういうことに興味がないと言ったら嘘になる。
だけど 彼女とのキスは もうそれだけで 心が満たされて
朝 こうして軽く唇を重ねただけで
ご飯なら三杯いけてしまうかもしれない♪
「プフッ。」
(あ いけね・・・)
まだ 通勤途中の満員電車の中なのに 思わず知らず 笑みがこぼれてしまう
俺の斜め前にたっている オヤジがちょっとムッとした顔をしてこちらを睨む。
(な なんだよ・・・ちょっと思い出し笑いしただけだろ?)
俺は目を合わさない様にして 下を向いた。
駅について どっと 動き出す人の流れ
俺も時計を気にしながら 階段に差し掛かると
「ちょっとばかり イケメンだからって・・・ 調子にのるなっ」
ふいに背後から 低いぼそぼそした声がして
ドンッ
いきなり背中を 強く押されてしまった。
「え?」
最上段から バランスを崩して ガタガタドン ドガッ あちこちぶつけながら転がり落ち
「あぶないっ!」
ボフッ!
途中の踊り場で 誰かの大きな鞄がクッションとなり
俺は最悪の結果だけは免れたようだった。
だが・・・
「う・・・」
「おい あんた 大丈夫かっ!?」
ガヤガヤ
通勤時間の駅の構内
人々の歩く靴の音や 俺のことを言っているのだろう
「ヤダ ちょっとやばいんじゃない? 頭から血でてるし・・・」
「おい あれっ」
という声が聞こえてくる
だが ちゃんと 俺の肩に手を添えて
「聞こえるか? あんた 頭打ってるようだから このまま 動くな。
今 救急車を 呼んだから。」
最初に声をかけてきた人物と思われる声が聞こえる
「ぁ・・・」
何とか返事をしようと思うが うまく言葉にならない
誰かの鞄 きっと今 俺の血で汚しているだろうと思うのだが 全身痛すぎて 体を動かす気にもなれない
(悪いな・・・でも わざと俺の落ちてくるところに差し出してくれたんだろうか・・・
もうちょっと 貸しておいてくれよ
今 とてもじゃないけど 動けねえ・・・
しかも・・・ こりゃ 早朝会議 無理かも
それより なにより どこか 折ってるのか?
ものすごく 痛え・・・)
「坂本 ・・・ちょっと来なさい。」
授業中 副担任が顔を出して 数学の教師と何やら 美幸を見ながら話した後 呼ばれてしまった。
(なんだろう・・・?)
「はい。」
美幸は すぐに立って教室を出たが
(坂本って 真面目そうなのに なんかやばい事やってるんじゃない?)
(そうかも なんか先生達 少し神妙な顔してたものね♪)
進学校の特進クラスである この教室は どこか殺伐としていて
美幸は 義兄の側に行きたくて選んだ学校であったが なかなか校風になじめなかった。
義兄がいれば満足だったので あえて友達を作ろうとも 思わない。
(作ったところで 結局 自分以外は誰もライバルと思っているこの学校では
いつか 傷つけあうのは 目に見えている・・・)
「はい 私語は謹んで。 次35ページからいきます。」
美幸の去った後の教室では 何事もなかったかのように まだ授業が再開された。
「実は ●△病院の方から電話があってね。
君のお兄さん 大怪我をしたらしいんだ・・・
たしか 君はお兄さんと 二人で暮らしているんだよね?」
確かめるように 副担は みゆきに訊ねてくる。
「はい そうです。
あの・・・ これからすぐ病院に行きたいんですけど・・・ 義兄の様子はどうなんでしょう?」
「ああ とにかく とても危険な状態にあるそうだ。 すぐに向かいなさい。」
「兄さん・・・」
美幸は副担の言葉に息を飲み 一瞬動けなくなったが
「坂本くん?」
と声を掛けられて 弾けたように駆け出した。
校舎を飛び出したところで 手を挙げてタクシーを止める。
「●△病院まで 至急お願いします。」
尋常ならぬ 泣き顔の少女を乗せた運転手は
「承知しました。シートベルトしてください。」
と すぐに走り出す。
裏道を通ってくれたのか 美幸の予想よりはるかに早く病院についた。
「2560円です。」
「ありがとうございます。 あ お財布・・・良かった。ポケットに入っていた。」
(鞄置いてきちゃった・・・ まあ いいか。)
タクシーを降りるときになって 初めて 上靴のまま 鞄も持たずに駆けつけてしまったことに気づく
だが そんなことは構ってられなかった。
「すみません 坂本 圭吾というものが運ばれたと思うんですが・・・ 私 妹です。」
通院患者達の並んでいる受付の脇から 訊ねる。
「坂本さまですね 2階のICUです。」
(ICUだなんて・・・)
美幸はここでまた涙が溢れてくる。
(兄さん お願い・・・どうか たいしたことありませんように・・・)
美幸は祈るような気持ちで 最上階当たりに行っているエレベーターを通り過ぎ 階段を駆け上る。
だが 美幸がICU前にたどり着くと
顔に布を掛けられた人物が運ばれるところだった。
「可愛そう・・・お若いのに・・・」
廊下をとおり行く入院患者がひそひそと話している。
あわただしく看護師たちが出入りをして
「そちらの患者さん もう運ぶんですか?」
「ええ オペをしている患者さんが これから入りますから。
まだご家族は お見えになってませんが 霊安室に運びます。」
美幸の横を通り過ぎようとした。
「兄さん・・・あの その人 私の兄じゃ・・・!」
「え あ 待ってください あなたは・・・」
看護師の制止を無視して
美幸はストレッチャーにかけより 顔にかかった布をパッと掴んだ。
「あなた まさか この方の妹さんじゃないでしょ?」
そこには 初老の男性が横たわっていた。
「す すみません。坂本 圭吾の妹です。」
先程 「お若いのに・・・」と呟いていた入院患者は かなり年配の人だったかもしれない。
「ああ 坂本さんなら もう ICUから出られましたよ。」
「じゃあ 兄は・・・」
美幸はそれ以上言葉を続けることができない。
「坂本さん 今意識が戻られてますから 305号室の個室に移しています。
今晩だけ様子を看て 大丈夫なら 大部屋に移しますから。」
「・・・そうですか ありがとうございます。」
緊張がとけて しゃがみ込みそうになるのを なんとか堪えて美幸は再び階段で3階に向かった。