第九十話 魂の最初の母
前書き
この物語は、目には見えないものに耳を澄ませながら、自分自身の運命と向き合っていく少女・楓夏の物語です。
森の声。
魂の記憶。
ご先祖様から受け継がれる想い。
そして、まだ誰にも決められていない未来。
私たちは、日々の中で「どうしてこんなことが起きるのだろう」「なぜこの人と出会ったのだろう」と、不思議に思うことがあります。
もしかすると、その出来事には、目には見えない意味があるのかもしれません。
楓夏もまた、森から聞こえる不思議な声をきっかけに、さまざまな魂や未来と出会い、自分が何者なのかを知っていきます。
けれど、この物語で描きたいのは、特別な力を持つ少女の冒険だけではありません。
大切な人を想う気持ち。
失った人への愛。
自分では変えられない過去。
そして、これから先をどう生きるのかという「選択」。
どんなに過去を変えたいと思っても、起きてしまった出来事を消すことはできません。
それでも、その経験を抱えたまま、未来へ進むことはできます。
誰かに決められた運命ではなく、自分自身で選んだ道を歩いていく。
その先に、どんな未来が待っているのか――。
楓夏と一緒に、森の声に耳を澄ませながら、この物語の世界を旅していただけたら嬉しく思います。
あなたの心にも、いつか小さな「声」が届きますように。
そして、その声があなた自身の未来を選ぶための、優しい道しるべになりますように。
第九十話 魂の最初の母
『楓夏――』
本の中から聞こえた女性の声。
楓夏は息を止めました。
「……誰?」
ページに浮かんだ女性の姿が、ゆっくりと動き始めます。
長い黒髪。
優しい瞳。
そして――。
楓夏と同じ場所に、小さなほくろがありました。
「私に……似てる」
最初の守り手が頷きます。
「当然です」
「この人は、あなたの魂が最初に生まれたときに、あなたを守った存在です」
「魂が……最初に生まれたとき?」
楓夏は混乱します。
「私は一度しか生まれてないんじゃないの?」
「肉体は一度です」
女性は答えます。
「でも、魂には長い旅があります」
***
本の中の女性が微笑みました。
『やっと、ここまで来たのね』
「あなたは誰?」
『私は――』
女性は少し考えるように目を伏せます。
『あなたが最初に私を呼んだときは、「お母さん」と呼んでくれた』
楓夏の胸が熱くなります。
「……本当に?」
『ええ』
「じゃあ、私はあなたの娘だったの?」
『魂の世界では、そうでした』
楓夏は涙をこらえます。
「どうして今まで会えなかったの?」
『あなたが今の人生を生きるためです』
「……」
『過去の記憶を全部持って生まれたら、あなたは今の人生を自由に選べなくなる』
楓夏は黙りました。
『だから私は、あなたの記憶を封じた』
「私を忘れたの?」
『違う』
女性は首を振ります。
『私は、あなたを忘れたことなど一度もありません』
***
結花が楓夏の隣へ来ます。
『ママ、この人知ってるの?』
「ううん……」
楓夏は首を振ります。
「でも、なぜか分かる」
『何が?』
「この人のことを、私はずっと大切に思っていたんだと思う」
結花が微笑みます。
『じゃあ、私と同じだね』
「え?」
『私も、ママに会う前からママのことが大好きだった』
楓夏は結花を抱きしめます。
「そうだね」
二人の胸の紋章が同時に光りました。
本の中の女性も嬉しそうに笑います。
『あなたはもう、一人ではないのね』
「うん」
『よかった』
女性の姿が少しずつ薄くなっていきます。
「待って!」
楓夏が本に手を伸ばします。
「まだ聞きたいことがある!」
『大丈夫』
「あなたはどこにいるの?」
『ずっと、あなたの中に』
「私の中……?」
『あなたが誰かを愛するとき』
『誰かを守りたいと思うとき』
『私はそこにいます』
そして最後に――。
『楓夏。あなたは、私が守った魂です』
光が消えました。
***
楓夏はしばらく動けませんでした。
零が静かに言います。
「これで分かったでしょう」
「何が?」
「どうして楓夏が、魂の声を聞けるのか」
楓夏は顔を上げます。
「私の力は……」
「最初の母から受け継いだものです」
父も頷きました。
「だから、お前は昔から森の声を聞けた」
「魂の記憶が、無意識に残っていたんだ」
楓夏は自分の手を見つめます。
「じゃあ、私が今まで聞いてきた声も……」
「あなたの魂が覚えていたものです」
最初の守り手が微笑みます。
「あなたは、誰かの声を聞いていたのではありません」
「あなた自身の魂が――」
「世界に残された記憶を受け取っていたのです」
***
そのとき。
突然、本のページが激しくめくれ始めました。
バラバラバラ――。
「どうしたの?」
最後のページで、動きが止まります。
そこには一つの名前。
「凪人」
楓夏は驚きました。
「凪人くん?」
その下には、見覚えのない文章がありました。
『この魂は、楓夏と結花をつなぐ鍵となる』
「鍵……?」
凪人も近づきます。
「僕が?」
さらに文字が浮かび上がります。
『彼が未来で消えることは、決められた運命ではない』
楓夏の目が大きくなりました。
「じゃあ――」
凪人が息をのみます。
「僕は、消えなくていい?」
最初の守り手が頷きます。
「その可能性はあります」
「どうすれば?」
「凪人さんが、自分の未来を選ぶことです」
「僕の未来……」
凪人は楓夏と結花を見ました。
そして――。
「僕は、二人と一緒に生きたい」
結花が嬉しそうに笑います。
『パパ……』
凪人の目に涙が浮かびました。
「……その呼び方、初めて聞いた」
『嫌?』
「ううん」
凪人は結花を抱きしめます。
「嬉しい」
***
しかし。
その瞬間、本の最後のページに黒い文字が浮かびました。
『それを許さない者がいる』
楓夏が顔を上げます。
「誰?」
本から、低い声が響きました。
『未来を選ぶ者は、必ず私の前を通る』
「あなたは……?」
『私は、記憶を喰らう者でも、黒曜でもない』
ページが黒く染まっていきます。
『私は――』
文字が一つずつ現れます。
「運命」
楓夏の胸の紋章が、初めて震えました。
最初の守り手が険しい顔をします。
「……運命が、動き始めた」
楓夏は結花の手を握ります。
「だったら――」
凪人も隣に立ちます。
「今度は僕たちが選ぶ」
楓夏は頷きました。
「誰かに決められた未来じゃない」
「私たちが選んだ未来を生きる」
すると本の最後に、もう一つの文章が浮かびました。
『運命を変えたいなら、最初の約束を思い出せ』
「最初の約束……?」
楓夏は首を傾げます。
すると結花が突然、胸を押さえました。
『ママ……』
「どうしたの?」
『私、思い出した』
「何を?」
結花は涙を浮かべながら言いました。
『私が生まれるずっと前――』
『ママとパパに、最初に約束したこと』
楓夏は息をのみます。
「どんな約束?」
結花が静かに答えました。
『三人で、必ず同じ未来を生きるって約束』
その瞬間――。
世界樹の奥で、巨大な扉が開きました。
扉には――。
「運命の間」
と刻まれていました。
――第九十一話へ続く。
後書き
『世界樹の少女と、終わりの魂』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話。
長い旅となった楓夏の物語も、ここで一つの区切りを迎えました。
最初は、森から聞こえる不思議な声に戸惑っていた少女が、たくさんの人や魂、そしてさまざまな未来と出会いながら、自分自身の運命と向き合っていきました。
物語の中では、失われた未来や、選ばれなかった未来も登場しました。
けれど、どの未来も決して無意味なものではありません。
私たちの人生にも、「あのとき別の道を選んでいたら」と思う瞬間があるかもしれません。
過去に戻ってやり直すことはできなくても、その経験をこれからの人生にどう生かすかは、自分で選ぶことができます。
楓夏が最後にたどり着いた、
「未来は誰かに決めてもらうものではない」
という答えは、この物語を通して伝えたかった大切なテーマでもあります。
そして、目には見えない魂や森の声を描きながら、もう一つ大切にしたかったのは、「つながり」というものです。
大切な人との思い出。
亡くなった人から受け取った愛。
家族の絆。
言葉にできなかった想い。
それらは、姿が見えなくなっても、心の中から簡単に消えるものではありません。
もしかすると、ふとした瞬間に感じる懐かしさや、夢の中で出会う大切な人の姿も、心の奥に残った記憶や想いが、私たちに何かを伝えているのかもしれません。
楓夏は、森の声を聞くことで、たくさんの魂と出会いました。
そして最後には、自分自身の声にも耳を澄ませることができるようになりました。
物語は終わりました。
けれど、楓夏たちの未来は、ここからも続いていきます。
悠真がどんな人生を歩むのか。
結花がどんな大人になるのか。
凪人と楓夏がどんな日々を重ねていくのか。
それは、誰にも決められていません。
だからこそ、未来には無限の可能性があります。
この物語を読んでくださったあなたの未来も同じです。
もし今、迷っていることがあるなら、焦らなくても大丈夫です。
立ち止まってもいい。
遠回りしてもいい。
時には、最初から選び直してもいい。
あなたがあなたらしく歩いていく限り、その一歩一歩が、あなただけの未来になっていきます。
最後まで楓夏たちと一緒に旅をしてくださった皆さまへ。
心からの感謝を込めて。
そして、いつかどこかの森で風が木々を揺らしたとき――。
ほんの少しだけ耳を澄ませてみてください。
もしかしたら、楓夏の声が聞こえるかもしれません。
「大丈夫。
未来は、これから自分で選んでいけるよ」
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話――完結。




