1-9 あの世では何を食べる?
それからおよそ一時間。
司命と司録が食事を終えるのを、食堂の扉の外で待たされた。
「あー。食った食った。
もう遅いし、さっさと寝ようぜ」
大あくびを見せつける双子を、すれ違いざまににらみつける。
確かに、雇用の話し合いのときに、そういう約束にはなったけれど。
いざ目の前で、タヌキのように膨れた腹をさすられると、腹が立つ。
後輩いじめだ。
しかし、そんな憤りは食堂に入った瞬間に忘れ去った。
厨房でせわしなく働いているのは、色とりどりの皮膚を持つ鬼たちだった。
わたしを地獄へ落とそうとした鬼とは明らかに性質が違う。
赤鬼に青鬼に、黄鬼…まるで昔話の中に迷い込んだみたい。
皆、エプロンを着けていて、なんだかかわいい。
適当な椅子に腰掛けた。
ひとりぼっち、だ。
霧に混じり、出汁のような懐かしい香りが立ちのぼっている。
胸いっぱいに吸い込んだ。
「新入りか」
背後から声をかけられ、飛び上がった。
割烹着をまくり上げた腕が、わたしの前に、お盆をドンと置いた。
四十代くらいの男性。
いや、黒髪の癖毛の間から硬く尖ったものが生えている。
立派な、鬼の角だ。
「はい。太野 礼阿と申します!」
「ふうーん……。おれ、桃鬼。冥府の料理長」
寝癖っぽい髪に、伸びかけのヒゲ。しわだらけの割烹着。
言葉を選ばずに表すならば、くだびれたおじさん、という印象だ。
盆に視線を落とす。
魚の煮つけに、白米、味噌汁。
完璧な和定食だ。
「建物の雰囲気から、カレーか何かが出てくるものかと」
「おれは和食しか作れんよ」
桃鬼さんが、頭を掻く。
「いただきます」
手を合わせ、箸を手に取る。
照りのある魚の切り身をほぐし、一口。
おいしい。
舌の上でほろほろと崩れ、甘辛い出汁が絡みつく。
味噌汁の椀にも口をつけた。
体が芯から温まっていく。
もう、死んでいるというのに。
「……変なの」
つぶやくと、桃鬼さんが「えっ」と言った。
「変な味だった?」
「あ、いえ、すみません。
死んでからも、おなかがすいたり、満たされたり、不思議だなあと思って」
「そりゃあ、なあ。そうでないと、おれや鬼たちは失業だ。存在意義がなくなる。
世の中から欲が消えれば、誰も要らなくなるだろ」
「誰かが空腹になるから、料理人が必要になる。その通りですね」
しかし桃鬼さんは、うーんとうなり、腰に手を当てた。
「ちょっと違うかな。冥府は、隅から隅までピカピカだろう」
「? はい」
言われてみれば、ほこりのひとつも見当たらない。
霧が充満しているのにカビも生えていない。
「掃除係も洗濯係もいないんだ。
それなのに、建物や衣類が美しいままなのは、なぜだと思う?」
「皆さんが、きれいに使っているから……?」
「そんなタイプに見える?」
桃鬼さんは、笑いながら首を横に振った。
「もしエンマ様が掃除係を雇ったら、冥府はすぐに汚れ始めると思うんだよなあ」
桃鬼さんが食堂を見渡す。
「汚れないから、掃除係がいないのか。
掃除係がいないから、汚れないのか。
鶏が先か、卵が先か、みたいな話さ」
働くということにまつわる、桃鬼さんなりの哲学らしい。
「……不思議な考え方をなさるのですね」
「冥府は不思議な場所だからな」
その言葉には、大いに同意した。
今食べている魚だって、どこか懐かしい味なのに、種類がわからない。
「これ、何の魚ですか?」
「うまい?」
「はい、とても」
「川魚だよ。三途の川の」
わたしはむせ込んだ。
究極の珍味!
ポケットから手帳とペンを取り出し、食リポを細かく綴り始めた。
すると、桃鬼さんが後ろから手を伸ばし、手帳を閉じた。
「食事中は、仕事はなし」
わたしは、はっとして手を止めた。
失礼なことをしてしまった。
でも、取材はしたい。
世間話を装ってたずねる。
「あなたは、どうして冥府で働いているのですか?」
桃鬼さんは、ぼんやりと食堂を見渡した。
「うーん。罰、かなあ……
ここで働く理由なんて、それくらいしかないでしょ」
「わたしは働きたくてたまりませんが」
「えー。気が合わないね、おれたち」
桃鬼さんは、けだるげに片手を机につき、わたしを見下ろしている。
「具体的には、何の罰ですか?」
「知らないの?」
桃鬼さんが茶化すように言う。
まあ、初対面のわたしに教える義理もないよね。
質問を変えよう。
「閻魔大王も、ここで食事を?」
「いや、あの御方はいつも一人で召し上がるね。
爺ちゃんと婆ちゃんが、毎日、執務室へ運んでいるよ」
桃鬼さんが厨房を振り返ると、男の子と女の子がこちらに大きく手を振った。
二人とも幼稚園児くらいだ。
エプロンだけでなく、小さな角まで色鬼たちとおそろいだ。
「あれ、おれの爺ちゃんと婆ちゃん」
「面白い冗談ですね」
桃鬼さんは、くっくっと笑い、わたしに食べ進めるよう促した。
お言葉に甘え、どんどん箸を動かす。
「閻魔大王って、どんな御方ですか?」
「きみ、エンマ様のことばかり聞くね。好きになっちゃった?」
「いえ、まったく」
わたしは迷わずに答えた。
「だよねー。他人に愛されるタイプじゃないよなあ。気の毒に」
桃鬼さんがため息をつく。
わたしは仕事初日を振り返っていた。
閻魔大王は、確かに冷たい。
同僚にも客にも容赦がない。
それはもう氷のごとく。
しかし、一日中見学していて気づいたことがある。
「閻魔大王は、死者に語りたいことがある限り、黙って聞くんです」
「うんうん」
「もちろん、明確な罪がある者を切り捨てることはありますが」
「うんうん」
「でも、それ以外は、どれほど長引こうと、最後の一言まで聞き遂げて……
そして、ようやく結論を出すんです」
「うんうん。で、好きになっちゃったの?」
「いえ、まったく。でも尊敬します」
わたしが思い出していたのは、黙ってひたすらに耳を傾ける閻魔大王の背中だった。
「あの姿が、ちょっと意外で」
桃鬼さんは、またもや箸の止まったわたしを見透かすような目で眺めた。
「地上で噂される〝閻魔大王〟の姿と、ここで生きる〝エンマ様〟の実体。
どこまでが同じで、どこからが違うのか。
きみが解き明かすといいよ。おれにできることがあれば言って」
「どうして助けてくれるのですか?」
「〝業務改善命令〟に応えなければ。でないと、おれたち、失業しちゃうからねえ」
「失業ということは——」
「存在が消えちゃうってこと」
桃鬼さんは、困ったように厨房に目を向けた。
色鬼たちと幼児が、まめまめしく皿洗いをしている。
桃鬼さんは、彼らのことが大切なんだ。
「ほれ、直接聞くといい」
桃鬼さんの言葉に振り返ると、食堂の扉から閻魔大王が入ってくるところだった。
空の皿を乗せたお盆を運んでいる。
わたしがいるとは思っていなかったらしい。
一瞬硬直したあと、怖い顔でそっぽを向いてしまった。
「エンマどのーっ」
高らかな呼び声とともに、男女の幼児がぱたぱたと駆け寄っていく。
「エンマどの、いけませぬ!
おぼんを運ぶのは、わしらの仕事ですのにぃ」
男児があどけない滑舌で言い、盆を受け取ろうと短い両腕を必死に伸ばした。
「結構。今日の皿は、おまえたちには重い」
閻魔大王は、幼児たちに見向きもせず、つかつかと厨房に歩いていく。
すると、女児が走り出て、閻魔大王の前に立ちはだかった。
背丈は閻魔大王の膝にも届かないのに、堂々たる気迫だ。
「これ、エンマどの。家事はわたくしどもの仕事じゃ。
とり上げられては、こまりますぞ」
その口調は容姿に似合わず、〝肝っ玉母ちゃん〟を思わせた。
閻魔大王はわずかに後ずさりをし、お盆を差し出す。
女児は、ふん、と言わんばかりの勢いで盆を受け取った。
男児と協力し、左右に分かれて盆を掲げ、運んでいく。
「きみが気になったことを、たずねてごらんよ」
桃鬼さんは、わたしの耳元でそう告げるなり、他の鬼たちを追い立てて厨房に入ってしまった。
少し離れた洗い場から、ガチャガチャと食器を洗う音が届く。
取り残された閻魔大王とわたしは見つめ合っていた。
やっと取材のチャンスがやってきた。
桃鬼さん、ナイスパスです!
料理上手のけだるいおじさん、桃鬼の登場です。
毎朝7時頃に更新いたします。
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