2-1 八岐大蛇は地獄行き?
ヤマタノオロチと名乗った男は、半分人間、半分蛇のような容姿だった。
皮膚の大部分を覆っているのは鱗だ。背筋が曲がり、重心が低い。何だろう、空気が湿ったような、この感じ。説明のつかない気配で落ち着かない。
上半身を浮かせてのぞき見たが、エンマ様の横顔にひとにらみされた。すごすごと腰を下ろす。
「帳面は? エンマ様に渡さないの?」
司録だけに聞こえるよう、小声でたずねた。
「エンマ大王による裁きが始まるよりも前に生まれた者の帳面は存在しません。かわりに、彼らの物語は〝神話〟として語り継がれています」
司録はこちらを見もせずに答えた。
「帳面がないなら、どこに判決を書くの」
「決まっているでしょう。すべてが叶う、閻魔帳ですよ」
司録は鼻先をつんと上げた。
エンマ様が、オロチに重々しく声をかける。
「久しいな。地獄道での刑期を終えたか」
オロチは細い首をかしげた。頭を動かすたびに、遅れて体がついてくる。
「ええ。あんたに放り込まれた地獄で、誰よりも長い歳月を耐え忍んだ」
開いた口から、先が二つに割れている舌が見えた。
エンマ様を逆恨みしてもおかしくない状況だが、オロチの声色は妙に平坦だった。
「おまえの罪は重い。再び地獄へ落ちることになるが、弁解はあるか」
エンマ様が問いかける。
「ないね」
オロチの即答に、わたしは唖然とした。
ここまでさっぱりと言い切ったのは、オロチが初めてだ。願いも言い訳もない。その感情の空白が不気味だった。
エンマ様とオロチは、ただ視線で対峙していた。どちらも冷静なのに、取り巻く圧が凄まじい。
オロチは一度もまばたきをしない。先に視線を外したのはエンマ様だった。閻魔帳をめくる。筆を取り、その先端が空白部分に触れそうになる。
わたしは反射的に立ち上がった。
「待ってください。判決が早すぎやしませんか。彼の帳面がない以上、照らし合わせはできないのに」
その横やりに、エンマ様のこめかみがぴくりと跳ねる。
双子に左右から衣の袖を引っ張られ、「黙れ黙れ黙れ」と制止された。椅子へ引き下ろされるが、わたしの唇は止まらなかった。
「何と書くおつもりですか」
エンマ様が答える前に、オロチがくつくつと喉を鳴らした。
「聞くまでもない。また無間地獄行きだろう。なにせ、おれは〝完全悪〟だからな」
無間地獄。その名を耳にするだけで背筋が冷え、全速力で逃げ出したくなる。地獄の最下層。最も残虐な苦しみを与えられる場所。
それなのに、目の前の罪人は抵抗ひとつしない。軽薄な笑みを浮かべるばかりだ。
司命が景気よく膝を打った。
「話が早いじゃないか。そうさ、何度ここへ戻ろうと、おまえの行き先は決まっているんだよ。この大罪人が」
ゴミを放り捨てるような物言いが、癇に障った。当のオロチが何も言い返さないことは、もっと気に入らない。
「あきらめないでよ!」
オロチに向かって声を張り上げた。
「わたしが全部聞くから。それでも無間地獄と決まったら、ハンカチを振って見送ってあげるわよ。だから、対話から逃げないで!」
「勝手なことを——」
叱咤を始めた司録に、反論する。
「そもそも、こちらの領域に招いている時点で、相手の分が悪いのよ。こんなおぞましい城で、腹を割ってぺらぺらと話せるわけがないでしょ」
いい機会だから、この七十年間、引っかかっていた不満を訴えた。
双子がたじろぐ。少しだけ胸がすっとした。
オロチの視線がこちらを捉えた。
白目が極端に少ない。鬼灯のように真っ赤な虹彩を、縦に細い瞳孔が貫いている。他者と通じ合おうとする意思は微塵もない。獲物を待つ捕食者の目だ。
「おれは八つの頭を持つ怪物だぞ。質問次第では、おまえの首を食いちぎるかもしれない」
「今となっては、物理的に無理でしょう。ガリガリの青年にしか見えませんよ」
ここは、ぴしゃりと言ってやった。
司命と司録は困惑し、エンマ様の判断を仰ぐ。
わたしもその背中を祈るように見つめた。
「彼女の好きにさせろ」
下された指示に、双子ががっくりと肩を落とす。
わたしは、ようしと腕まくりをし、オロチの前に進み出た。
生臭い。古い血と、朽ちた森の底のような臭いだ。
「お嬢さん、おれは二枚舌だぜ。質問されたって、正直に答えるとは限らない」
不敵ににやつくオロチ。試しているのだ。
ペンをぎゅっと握り直す。
「嘘でも、はぐらかしでも、ご自由に。それもひっくるめて、今のあなたの感情なのだから」
オロチの笑みが消えた。
「では、最初の質問です」
この余裕ぶった蛇の皮を剥いでやる!
礼阿の取材、スタート!
あなたなら、何から質問しますか?
土日祝は正午頃に更新いたします。




