1-1 死んだらどこに行くの?
「やおよろずのしょうにん」と読みます。
人は、死んだらどうなるのだろう——
生きていた頃、なんとなく抱いていた疑問。
まさかこんなに早く解消されるとは。
三途の川の終着点は、
インド風の立派な宮殿だった。
入り口から階段を延々と上らされる。
ひどい話だが、これを三十四日間。
大広間にたどり着く。
墨の匂いが濃い。
壁一面に築かれた本棚から漂っているのか。
床には蓮の文様。
まるで巨大な曼荼羅の中心に立たされるみたい。
霧の立ちこめる玉座から、
低い声が落ちる。
「名前」
ぞくぞくぞくぞく!
興奮が背骨を駆け上った。
死んでから三十五日目。
ずっとこの瞬間を待っていた。
十中八九、わたしは今から、
閻魔大王に今世の行いを裁かれる。
「太野 礼阿です」
思ったよりも、声が高く跳ねた。
玉座の左右には、
涼しげな顔立ちの双子が座っている。
白髪だが、せいぜい十代後半か。
その右側が口角を歪める。
鳥の糞でも見つけたかのような目つきだった。
「つまんなさそうな女。
なんで作業着とヘルメット?」
確かにわたしは、
くたびれた灰色のつなぎ服を着ている。
茶髪のボブをマトリョーシカのように覆うヘルメットは、
一部が大きくへこんでいた。
なんでと咎められても、
この状態で死んだのだから仕方がない。
双子の左側が片手を上げ、指先を縦横に動かす。
すると、壁を埋め尽くす本棚から
一冊の帳面が抜け出し、
宙を渡って、彼の手元に収まった。
「太野礼阿。享年二十三歳。
孤児院で育つ。
都内の出版社の契約社員。雑誌担当の記者」
へこんだヘルメットを一瞥。
「工事現場を取材中、
落下した鉄骨で頭部を強打し、死亡」
……なるほど。
帳面一冊につき、一人分の人生。
生い立ちから死に様まで、
余さず記されているのね。
それを元に、天国か地獄か、
行き先を割り振られるというわけだ。
隠し事はできなさそう。
個人情報を流し読みされた挙げ句、
こう言われた。
「本当につまらない人生ですね」
「死んで間もない人間に、そんな言い方をしなくても」
思わず、むっとする。
記者の仕事に没頭した人生だった。
政治家から俳優、経営者、農家、路地裏の店主、
名も知られぬバイオリニストまで、
肩書きの違いを越えて取材してきた。
好奇心はわたしの原動力だ。
それを、つまらないとは。
そして死人となった今、
その好奇心は一点に注がれている。
悪名高い地獄の門番、
〝閻魔大王〟とは、どんな人物か。
閻魔大王の素性を探る機会なんて、
文字通り、一生に一度しか訪れない。
死んだからこそ巡ってきた。逃す手はない。
燃え上がる記者魂。
それなのに。
「つまんなすぎて、
エンマ様のお手を煩わせるまでもないな。
さっさと人間に生まれ変わるこった」
双子の右側の言葉に、血の気が引く。
ヘルメットをかぶりっぱなしで、
三十四日間も階段を上り続けたのよ。
閻魔大王の顔も拝まないまま、
すんなりと片付けられてたまるものか!
「ま、待ってください」
焦りから、
とんでもないことを口にした。
「わ、わたし……悪いことをしました!」
言ってしまってから、
その意味をはっと理解する。
取り返しのつかない一言だったかも。
これで地獄へ落とされたら?
しかし、次に期待通りのことが起きた。
わたしを観察するため、
玉座の男が上半身をぬっと前に傾けたのだ。
影を裂き、輪郭が浮かび上がる。
「太野礼阿。おまえは悪いことをしたのか」
感情という温度を削ぎ落とした声色。
ついにロウソクの炎が主を照らし出す。
……?????
こぼれ出たのは、想定外かつ不躾な質問だった。
「あれっ。
失礼ですが、あなたが、
かの閻魔大王でお間違いないですか?」
広間がしんと静まり返る。
「いかにも」
上機嫌とはいえない返答。
わたしは矢継ぎ早にたずねた。
「このお仕事に就かれて何年目でしょうか?」
というのも、男はあまりに若々しかった。
地上で噂されるところの〝閻魔大王〟の姿とは、
似ても似つかない。
真っ赤な顔、おどろおどろしい牙、
眼球が飛び出るほどにかっ開かれた目——
そんなものはどこにもない。
それどころか、たぶん
世間で言うところの〝美形〟に属する。
二十代後半から三十代前半くらい。
結われた長髪は濡羽色。
昔の絵巻に出てくるような深紅の官服に、
玉飾りの垂れる冠。
気品と凛々しさを備えている。
そして何より、腹の底から冷え切っていた。
人間の想像の産物よりもよほど恐ろしい。
そのギャップが記者魂に火を点けた。
「遥か昔、神話の時代から、おれは〝閻魔〟だ」
そっけない答えに、ぞくぞくが止まらない。
神話の時代?
ということは、
日本という国が形を成すよりも前から?
この冷酷無比の男は、一体全体、
どれだけの死者を裁いてきたのだろう。
「それで、太野礼阿。
おまえの悪事というのは——」
閻魔大王の言葉が止まった。
わたしの手が、作業着のポケットを
まさぐっていることに気づいたのだ。
攻撃に身構えるかのように、
双子が同時に腰を浮かせる。
しかしわたしが取り出したのは、
取材用のペンと手帳だった。
ためらわずに新しいページを開く。
「——何をしている」
閻魔大王の問いはこう締めくくられた。
わたしは猛スピードで書き殴りながら、
「はい?」と生返事をした。
ペンからぶら下がる
鶴と亀のマスコットが跳ね回り、
チャラチャラと場違いな音を立てる。
「何のつもりだ」
「書かないと、忘れてしまうので……」
「書いたところで、おまえはじきに転生する。
その行為は無意味だ」
ペンを止めるつもりはない。
だってわたしは記者だから。
「そういう性分なので。
思い残しのないまま死にたいじゃありませんか」
「おまえはもう死んでいる」
このセリフが、こんなにもしっくりくる場面があるとは。
「死んでも死に切れない、という意味です」
ため息をつきそうになった。
なんてロマンのない人だろう。
閻魔大王もまた、
これ以上話すのはまっぴらだと思ったのか、
視線を外した。
「司録、帳面を」
司録と呼ばれた双子の左側が、
恭しく両手で帳面を差し出した。
「一通り目を通しましたが、
目立った悪事は見当たりません。
子どもの頃、夜な夜な、孤児院の台所で
味付け海苔を盗み食いしていたことや、
夏休みの宿題の日記を
最終日にまとめて書いたこと以外は」
死人のプライバシーは守られないらしい。
じろりとにらみつけたが、
司録はどこ吹く風だった。
「生後まもなく、
焼き芋屋のドラム缶の脇に放置されたところを
保護されています。
それ以前の記録はありません——
司命、太野礼阿の生年月日は把握していますか」
司命と呼ばれた双子の右側は、
露骨に顔をしかめた。
「こんな小物のことまで、
いちいち覚えているわけがないだろ。
ぼくの仕事は、生死の大まかな仕分けなんだから」
わたしはペンを走らせながら、
耳をそばだてていた。
どうやら、向かって右の司命は
人間の生き死にのタイミングを、
左の司録は
その間に積み重ねられた人生模様を司るらしい。
すごい。
運命のすべてがこの場で完結している。
それでもわたしは、
帳面をめくり続ける閻魔大王に夢中だった。
双子も面白いし、
他の誰かの帳面をのぞいてみたい気もするけれど……
やはり目の前にいるこの大物を深掘りしたい。
そのためには、
悪人のふりでも何でもして判決を引き延ばし、
なるべく長くこの場に留まらなければ!
初めて投稿させていただきます!
いつかは誰もが対面するかもしれない〝閻魔大王〟。
どんなイメージをお持ちですか?
感想、応援、アドバイス、いただけましたら幸いです。




