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腕を引かれ、扉をくぐる。
「おかえり、エルスタ。ん?そちらは?」
中は執務室なのだろうか?大きな机の奥に、灰色のスーツに身を包まれたオールバックの男性が。キャロラインと同じ、金色の髪に茶色い瞳。肌は少し焼けているのか、小麦色に近くなっている。
「お父様、こちらはキャロライン!先ほどの協力者ですわ!見つけたので、連れてまいりましたの」
「なるほど、彼女がそうなのかい」
目を通していた書類を机に預け、眼鏡を外すと立ち上がる。身なりとは反対に、かなり使い古された椅子。アンティークな雰囲気がある木目調の机とのアンバランスな感じが、何故かいい調和をしている。
ゆっくりと歩むその姿といい、先ほどの眼鏡を外す所作といい、丁寧さと気品が漂っている。数歩離れた前に立っている男性のその体格は、座っていたときには分かりづらかったが、かなり筋肉質。偏見にまみれているキャロラインは貴族の中年は太った汗まみれか華奢なイメージしか持っていなかった。
「『うん、そうだね』……という場面かもしれないけれどね。あいにく私は、そういった感性は持ち合わせていなくてね」
と軽く微笑む。その言葉だけで、キャロラインの緊張は一気に和らぐ。気を許したわけでなく、不必要に身構えていた、その緊張が解けた。
「お父様ったら、それはアゾワール様の口癖ですわね」
と、手を口元にもっていき、つられるように笑うエルスタ。そんなエルスタの様子を横目に、キャロラインは口を開く。
「あの、わたし、言葉まだ、上手く翻訳できない、だから……」
「……ん。ああ、そうか。うんうん。気にしなくていいよ?我が家のピンチを救ってくれた英雄様だ。何、きちんとした心遣いがあれば言葉遣いなんておまけさ」
ここまでエルスタに文字通り、連れてこられた。誰かの行動に無理やり合わせてばかり、自分を抑えてばかりだったキャロラインにとって、ほんの少しだけ輪の中の一員になれた、そんなものに近い感情が小さく芽吹く。
「ん、ああ、それから私のことはディとでも呼んでくださいな。なんとなく察しているかとは思うけどね、そこのエルスタの父でディレスト・バルドリシュトと言います。よろしくね」
ディレストはそう言うとキャロラインに椅子を用意し、座るように促す。
「あ、ありがとうございま……す……」
言いかけて、気がついた。誰かに言ったのは初めてかもしれない。なんのことはない。よくある感謝の言葉。そんな言葉1つもキャロラインにとっては大事な意味をようやく持ち始める。
キャロラインの言葉にエルスタとその父、ディレストは顔を見合わせ、小さく微笑む。
「何言ってるのキャロ。私たちこそ、『ありがとうございます』ですわよ!!」
場所は移り、ディレストとエルスタに連れられ、次に向かった先は大きな門構えをしている立派なレストラン。
あの後、ディレストから感謝の気持ちをちゃんと伝えたいということで、夕方まで打ち合わせに使う別部屋でゆっくりと過ごした。コーヒーを出され、黒い飲み物に最初は戸惑いながらも、コクや酸味、香ばしさに感動を覚えた。何度かおかわりをしながら、隣でよく喋るエルスタの話に相槌をうちながら時を過ごしたのだった。
「それじゃあ、キャロラインさん。改めて、貴女の働きに感謝の気持ちをっ!乾杯!!」
ディレストの宝石店からアズワール邸により近い場所に建てられているそのレストラン。外観はどこかレトロチックで儚さや憂いのような雰囲気があるが、店内は違った。落ち着いた雰囲気ながらも少し明るめのライティングにゆったりとしたBGM。クラシックのオーケストラのような、いろんな楽器の音たちが見事に調和している。
それは店の奥にあるステージから聴こえてくるのだが、楽器たちは宙を浮き、誰にも頼ることなく自ら音を奏でている。弦楽器は弦と弓が優しく語らい、打楽器は自らを鼓舞するように踊っているようだ。
そんな光景に呆然としながら、ディレスト、エルスタとの食事を始める。
乾杯などという不思議な動作にも戸惑いながら、見様見真似でグラスを半ば力任せにぶつけた。
その時だけは店内に不協和音が加わり、キャロラインはい心地が悪かった。が、そこは紳士のディレストの出番。
「キャロラインさん、俯かないで下さい。貴方の奏でた音は私たちにとっては祝福のようなものです。天が誰かに対して祝福し、恵みを与える時、その反対では誰かが何かを犠牲にしているものです。雨が降れば喜ぶ者もいます。迷惑に思う人もいます。そういうことなんですよ。だから、気にしないでください。気にしなくていいんですよ」
そう言いながらフォークを手から滑らせ、重力に任せる。見慣れた不自然にまで綺麗な大理石のような床の上でフォークが跳ねて、音を立てる。
その一連の流れの終始を見守っていたキャロラインは、視線をディレストに戻す。
視線の先には両手を肩の辺りまで上げて、肩をすくませて苦笑いするディレストが。
「ああ、英雄様の前だからか、私は緊張しているようですよ……」
「ふふ……。もうお父様ったら。そんなに畏まってしまうとキャロが緊張してしまいますわよ。ほら、ちゃんとしてくださいな!!」
2人の自然なやり取りにキャロラインは我を忘れる。これが、親と子のやりとりなのか。これが父というものなのか。
自分の記憶にはないその存在に、その衝撃に……。
「んっ!?キャロ!?」
突然の風に瞼が塞がる。その後、エルスタは慌てて声を上げた。
急に立ち上がり、走り去ったキャロラインに対して何も出来なかった。
遠くなるその背中。遠のく背中は、店の扉が閉まるよりも早く見えなくなった。
行くあてもないキャロライン。何故か飛び出してしまったが、自分でもどうしてこんなことをしているのか分からずにいた。
そんな状態で夢中で走っていた。風を切る速度が徐々に弱まる。足を動かす速度は変わっていない所をみると、強化か何かをやめたのだろうか。
遂には足がとまる。気がつけばそこは地下通路の入口のある扉の前だった。
「はっ……逃げたのに……」
まさか、こんな所に戻ってくるなんて、と、言いかけてやめた。夜風が気持ちよく、走って上がった体温とのその差が心地よく感じる。昼間の活気に比べ、静かだったな、とどうでもいい事を思考する。
扉の前に腰を下ろし、膝を抱えてうずくまる。
「何がしたいんだろうなあ……」
ぽつりぽつりと言葉が続いていく。
「家族……本当の、家族……あんな感じなのかな……」
胸の辺りが何か締め付けられるような感覚に服を掴んでいる手に力が入る。
「はあ……なんなのよ。よく分からない事だらけすぎるわよ、ほんと……」
顔を上げて空を眺める。
メイド服を着せられ、謎の圧を感じ、メロンパンという最高のパンに感動し、人助けをして感謝され。
山を駆け回っていただけでは経験出来なかったことだが、あまりにもインパクトが強すぎたのだろう。キャロラインは目をつぶり、風を感じながら再度、思考に耽る。
「この街はね。アズワール領はね、基本的にああいったことは出来ないようアズワール様の魔法で抑制されてしまうんだよ。認識阻害の一種なのかな?
領民が怪我をしたり損害を受けないよう、守るためなんだけどね。私はやはり両面を考えてしまうよ。その人の意思に反しているかもしれないだろ?
だから君がまだこの街に来て間もないということが分かるんだよ。そんな染まり切っていない君にしか出来ないこともあるだろう。私みたいな異物もいるにはいるんだけどね、弱すぎる力じゃ何も成せないからね」
レストランの移動中に耳元で囁かれたディレストの言葉を不意に思い出す。
あの時の無関心な人々の気持ち悪さが腑に落ちた言葉だった。移動中には、ああ、だからあの人たちの反応はあんなものだったのか、としか思わなかったが、今は他にも何か大きな意味があるのではないか。何かが気になる。
そもそも領内にそこまで強く影響を与える魔法が個人に扱えるのだろうか。思考は更に深まり、疑念が拡大する。
もう1度、星空に目を向けようと瞼を開いた。
「死んでるのかと思ったけど、ちゃんと生きてたか……。お前が逃げた新しいヤツだな」
目の前に同じ白と黒のメイド服を着ている女が立っていた。
何故か睨まれ、気だるそうに立っている。
「お前、まだ言葉分かんねえの?あー、でも腕輪あるしそんなことはないか……返事しろよ、なあ……」
口元を軽く掴まれ、口がぶにゅっと伸びる。
キャロラインより身長の高い彼女のその行動は第三者がいた場合、憲兵を呼ばれてしまいかねないが、そんなことは気にもとめていない様子。
鋭い目元に女性らしさを感じる細身の体にそぐわない力強さを感じる雰囲気。赤い長髪が腰の辺りまで伸びているが、背中の真ん中あたりで束ねられている。体を動かす度に揺れる後ろ髪が緊張感を台無しにしていた。




