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「ふう……」
だいぶ息が整ってきた。おかげで思考もクリアになってきた。
一息ついて、今の状況を整理を始める。
「とりあえず、この服、不思議なもんね。奴隷にメイド服って……」
いやいや、そんなことよりもだ。何なんだ、このメイド服は、と思考が更に深くなる。
魔法で具現化されている、はず。だが、このクオリティ、パフォーマンスは普通の魔法のソレとは一線を画しているではないか。
「再現度が高い、とかっていうレベルじゃないわね。ほんと、あいつは何者……」
未だ育ちきっていない自分の胸を眺めながら呟く。少しだけ胸に余裕があるのが、何故か無性に腹が立った。何なのだ、何故かバカにされた、というよりは、不快感を覚えた。
それに服は変わったが、下着は変わっていないのが、これまた奇妙である。何かの心遣いなのだろうか、そんなことを思いながら、首から下を服の表面から軽くなぞる。
「さっきもそうだったけど、普通に魔法使えるわね。忌々しい腕輪のせいで使えなかったのに。本当に制限ないみたいね……」
浄化の魔法で汗をかいたメイド服と下着を清潔にする。悔しいが服まで具現化する魔法は使えない。この時ばかりは本気で悔しくもあり、僅かに悲しくなる。
「さて、こうしてはいられないわね」
両の頬を平手で叩いて、自分に活を入れると、歩き始める。
活気ある声と人の魔力を感じる通りを目指す。
走っている時ほどの速度はないが、それでも常人の歩く速度と比較すればかなり速い。成人男性の早歩きのそれに近い速度で、ぐんぐんと、進む。
何だろう。不思議なことに、妙に足が軽く感じた。
「へえ……壮観ね……」
人が6人幅で歩いても余裕ある程の道。路面は等間隔に綺麗に整えられた石畳。魔力か魔法でコーティングしているのか、小さく光を放っている。
一直線に長く伸びるメインストリートの先には大きな屋敷が見える。距離はかなりあるにも関わらず、その存在感は不気味なほど強い。まるで目の前にあるかのごとく、感じる。そう感覚に訴えかけてくる。
「いったい、どういう魔法なのかしらね?認知の錯乱というか、阻害みたいなものかしら?」
屋敷から放たられる存在感を冷静に分析しながら、目的もなく歩く。目的はないが、美味しそうな匂いには無自覚ながら誘われているようだ。
「ありゃ、お嬢ちゃん、新顔だね?ん、それはアズワール様のところのメイド服だね!?」
思考にほとんどの機能を任せていたせいか、本能に委ねていた。そんな時、不意に声をかけられた。ふと、顔を声の方向へ向ける。
「お嬢ちゃん、こりゃ、綺麗な顔してるねえ。それに黒髪なんて珍しいね。遠くから来たのかい?アズワール様にはお世話になってる。だから、これでもお食べ!!俺のカミさんが焼いたパンだ!」
矢継ぎ早に紡がれる言葉。反論する暇などなく、胸に押し付けられた紙袋。中から香ばしく甘い香りが。鼻孔が刺激され、一気に脳と体を覚醒させた。
ぐぅ〜、っとなるお腹。うげっ、と恥ずかしそうに一瞬俯く。
「いい香りだろ?温かいうちに食べてくれよ!」
そう男性は言うと肩をポンポンと叩く。
「あ、あの、いいの、ですか?」
「いいよ、いいよ!アズワール様あっての、ここ、アズワール領だからね!今度、店にも来てくれよ!」
その言葉にますます好奇心が刺激される。アズワール。この名は、おそらくあいつだろう。そして、あいつは、領主か何かなのだろうか。そんなことを思った。
やたらガタイがよく気さくな男性と別れ、人通りの少ない路地のすみにちょこんと座り、パンを食べる。
「っ!?何これ!?美味しいわね!?」
思わず声が漏れた。初めて食べるパン。男性はメロンパンと言っていたが、なんたる美味か。パンの上部のクッキー生地のサクサク感と、中のしっとりふわふわ生地。噛むたびに広がる少し焦がした砂糖の苦味と甘み。バターの芳醇な香りと旨味。空腹だったこともあるが、一瞬でたいらげてしまった。
「なんなの、この街。凄いわね……」
文明の発達、食文化、それになにより、街全体に活気が満ち溢れている。皆が皆、楽しそうに、幸せそうにしている。とても眩しく写る。
自分が暮らしていた山奥とは環境が異なりすぎており、ショックが隠しきれないでいた。
幼少の頃から一人で野山を駆け回り、動物を捉え、木の実や少量の麦や米を食べてきた彼女にとっては言葉の如く、異世界であった。着たことのないメイド服に、知らない土地。ということもあるのだろうが、少しばかり現実味が弱く感じる。どこか他人事のように。
それでも、目の前の光景と自分が今はメイド服に身を包んでいる、ということ現実なのだ。そんな今、唯一の救いは言葉が通じること。隷属の腕輪の効果か、彼女の魔法によるものか、いずれにせよ、言語は自動で訳されている。が、時々だが微妙にノイズが混ざる。方言なのだろう。それが未だ、ノイズとして残っているようだ。
「ふう、こういう魔法はやっぱり疲れるわね……」
覚えていたが、いざ使う場面のなかった翻訳魔法に精神的な疲労が募る。たまに混じるノイズが余計に脳の疲労を蓄積させていた。
お腹を満たし、脳と体を動かすための燃料も補充ができた。さて、と、再び立ち上がる。メロンパンという究極のパンに後ろ髪を引かれる思いではあるものの、散策を再開する。
やはり、とくに行先は決めず、周囲を観察しながら歩き回る。
そんな中でいくつかの発見があった。1つは、異常なまでに直線ばかりであること。どの通りも綺麗な直線に見える。魔法でそう認知させているわけではなく、それは物理的に作られているのだ。交差点も完全な直角で、強いこだわりを感じた。
「人の手、というよりは魔法で下地を作ったとしか思えなわね。……なんて、出力なのよ……」
まさか、あの男が、と口から出そうになったが、あの若さだ。仮にあの男が領主だったとしても、彼が領主になったときにはこの街はある程度、既に完成されていただろう。まさか、ね……という言葉も、思いも封じる。
もともと聡い娘なのだろう。街のいたるところが気になる。その都度、足を止め、ゆっくりと思考を巡らせている様子が伺えた。時にはボソボソ何かを呟きながら思考を整理する姿も。大きな街が初めて、という訳ではないが、初めて、と感じるものが多くあったのだろう。
彼女が思考を巡らせつつ、徘徊を続けていたそんな時だ。
突如、「きゃーっ!泥棒よっ!」という悲痛な叫びが空気を切り裂いたのだった。
空気を鋭く震わせながら広がる声。その声に一様に反応する街の住人たち。だが誰もその場から動こうとしない。それどころか、直ぐに会話や買い物、それぞれが直前に行っていた動作に戻る。
なんて、気持ちが悪いの……と内心で呟き、じりっと踏ん張る足に力が入る。
右手を高く掲げ、目を鋭く細めた。その刹那――ふんわりとした風が砂埃や小石を巻き上げる。その直後、音もなく砂塵が泥棒と思われる男性目掛けて勢いよく進み出す。男性の走る速度の倍は出ているだろうか、その速度は目を疑うほど。買い物客や通行人を華麗に避けるソレ。気がつけば泥棒を包み込んでいた。
「あががが…………」
弱々しい悲鳴が静かにこだました。
男性の顔には細かい切り傷に、何かが当たった後なのか赤く染まった皮膚。見ているこちらが思わず、可哀想と思ってしまうほどに悲惨な姿に。
手足に力も入らないのか、その場で蹲る男性。
誰かが呼んだのだろうか、兵士なのか警察なのか帯剣をした男が2人走って現れた。2人で泥棒を取り押さえているが、その場面を叫んだ女性と思われる者以外、誰も見ていない。
あまりに異質な光景に気持ち悪くなり、ゆっくりと後退りをする。必要のないことをしたのだろうか。どうせ逃げきれないから誰も気にも留めなかったのだろうか。日常の風景なのだろうか。僅かな時間の出来事だったが、彼女にとっては強く記憶に刻まれた。異質なモノとして……。
「な、なんなのよ……」
手足と口を拘束する魔法により身動きを封じられた泥棒は引きずられるようにして、連れ去られた。そんな光景に思わず、声が漏れた。
自らが見聞きした今までのどの街よりも不可解で不可思議だった。もう一度、なんなの……と漏らす。
まるで――何も無かった、かのようではないか。
「これが、アズワール領……」
自分に言い聞かせるかのように呟く。そんな小さな声は街の活気にすぐに掻き消される。
なんとなくこの場を去りたくなった。だから踵を返す。少し路地裏で休みたくなった。何をするわけではないが、出鼻をくじかれたような感覚すら覚える。
「お待ちくださいな?」
しかし、運命とやらはそんな彼女を弄ぶかのように翻弄する。去ろうとし、体の向きを変えた直後だった。左手を急に掴まれ、声をかけられた。
「な……なんなのっ……です……か?」
語気が強まりかけて、踏みとどまる。何となく。何となく抑制した。あの男の言葉が脳内に響いた、なんてことはない。ないと信じたい。そんなことを1人思うが、相手にとってはそんなことは関係は無い。
「あなたでしょう?先程、お手伝いしてくださったのは?」
「な、なんのことよ?」
けれど、彼女にとって不慣れな言葉遣い。脆く剥がれやすいメッキだったようだ。