プロローグ
使命や主人公感。何者かになりたい、社会や人の輪に必要不可欠な存在になりたい。愛されたい、愛したい。人間が人間として生きる上で当然の欲求。影響され考え、自分がそのとき持つ知識と経験という歯で噛み砕く。幼い楽しいその咀嚼。今は成長なのか、愚かになったのか、身の程を弁えたのか。進む道のりの立ち位置や、置かれている状況を分からないくせに理解した気になって。楽しかったその行為は今や、歯に触れる度に肉が削がれるような痛みが伴う行為に変わってしまった。特別で人と関わる心地の良さと、そこに居場所をハッキリと感じた頃に比べ、自由に行動できる幅が広がった現在。前者には後者が多幸的に思える。だが縛られて懐疑的になって、素直に喜んで笑い合うなんて行為は後者の人間関係の中では限りなく減ってしまったと思う。特別でもなんでもなくて、大好きなキャラクターのようにカッコよくも可愛くもない。ルックスや名前の虐め。運動や勉強などの能力不足。そんな周りと比べて比べられて泣いていた毎日から立ち直って頑張り続けている、と思っていた。でもそれはただ開き直っていただけで変わらず弱いままだった。環境や周りの人間に責任と自身の能力不足を押し付けて、相手の優れた部分ばかりに視線を向けて、自分はどんどん醜くなって。くどいほど醜く弱い。特別に能力があるわけが無いと自覚に自覚を重ねておいてなお、やはり、相手に自分を知って欲しい。気持ちが悪い。この欲求はあまりに醜くい。醜悪すぎてとても自分では目を当てられない。
世間体では満20歳から「大人」として責任と能力が求められるが、歳をいくら重ねてもこの欲求を持つ者はいつまで経っても子供のまま。進んできたはずの道すら暗闇を覗くだけで。「コンプレックス」は新しく得た情報に付随してまるで対価のように私たちを蝕む。抉られ続け爛れた傷に触れてほしい。だが自分を晒すという行為が美学に背き醜い。八方塞がりの坩堝に悶え苦しむ。地獄かこの世はと。こんなの全然、あのキャラクターじゃない。自分語りをせず、人のために与えられた使命を全うして、人々に愛される。真反対じゃないか。この世界に私は必要ない。そうだろう、みんな。
西暦1989年1月15日。世界で、ある報道が流れる。
「仮称:青井 空 (23)、仮称:ラティ・M・カルム(67)ら二名が、それぞれ異なる姿の怪物に変態し、暴走。公共物を破壊し、殺人行為を行い、後に地元武装部隊に政府から殺害許可が下り駆逐された」というものだった。
二人にはなんの関係性も無い。全くの原因不明。それから2〜3ヶ月で爆発的に世界各地で人種、年齢に問わずに広がり、小さな街は防護策が間に合わず荒廃。大都市も回らなくなって物流が滞り市場が腐った。以降、変態してしまった者たちを「Emgler(略称:EGL)」と呼称した。EGLは身体能力が異常に向上し知能は低下。個体によって様々な能力を持つ。その能力は変態後の生物、カタチ、物質に依存していて、ビジュアルは抱えたコンプレックスの具現化といったものだろうか。そして、この破壊的行動は本人のコンプレックスの合理的な解決からくるもので、個体の本能となっていた。人々は誰しもが怪物になってしまう可能性。変態者の親族は否応無しに愛する者を駆逐された。なす術もなく唐突に日常を失った悲しみ。無情にも政府は親族に対して危険因子と判断せざるを得ない。また、同じ境遇の人民を集め隔離政策を取った。この未曾有の恐怖にその先の愚行に走った国も少なくは無いだろう。
あまりにも非人道なこの行為は本来、許される筈も無いものである。だが一般人は愚か、隔離された人々からも反感の声は少なかった。何故か。それは、「共通の恐怖」だったからだ。殺し殺され、理性を失い、愛するものを傷付けて。そのどれもが大切なものを失う結果になる。その絶対的な恐怖に怯えた。声を挙げられる筈も無かった。助けて。なんて口に出せる筈がなかった。生きる意味がなくなった。だが、このパンデミックがもたらしたのは皮肉な事にマイナスなことばかりでは無く、人々の願いは望まぬ形で叶われてしまった。
当時、アメリカ合衆国・ソビエト連邦・ベトナム・キューバ等の国々を中心に続いていた冷戦。各国は対象国民の隔離、EGL駆逐掃討、物資の枯渇、配給不足による暴動の鎮圧により戦争に割ける予算が尽きたことにより、この40年以上に続いた争いが西暦1989年12月3日マルタ会議にて、こんなにもあっさりと最初の症例発見からわずか一年足らずで終わりを迎えた。どの先進諸国も板挟みの問題に憔悴し国家存続がこの先2年内不可と算出。この状況に手を取らざる得ず、国境廃止、関税廃止、を発表。それにより西暦1991年1月、世界は一つの大きな国となった。名は「パンゲア_panGaia.」。首都はバチカン。法皇、世界の王族は実質的な権力を放棄し、バチカンに集う。その結果、完全な国民主権の国となった。
それまで使われていた国々は政令指定都市として旧国境をそのまま使用。「エリア」として棲み分けた。さらにエリアごとに分権し、代表を選出。それは「総領」と言う呼称になった。立候補者はそのエリア出生者のみしか認められず、選挙は「国民」選挙制。さらに国民の批判が募り、「エリア際連盟_United Areas」において過半数が可決。以上の場合には即刻選挙戦のやり直しとなる。それにより、それぞれのエリアの歴史や信仰、国民性は尊重されたグローバルに自由な世界となった。それまで植民地化されていた国々は、枯渇し続けるマンパワー対策により徴収され兵士として解放される。だが新たな迫害はどの史実の背景には必ず起こってしまう。矛先は言うまでも無いだろうが、残されたEGL遺族。今までの人間格差の構図は根本的には変わらなかった。
西暦が変わり2000年代前後。前述の政策等によって市場は首の皮一枚繋がったが物資の枯渇は変わらない。実質的な政治的問題は本件のみになったが、人々の心は依然、変わらない恐怖に蝕まれていた。
そんな世界に光が刺す。
EGL化を克服する者が現れたのだ。
ある報告書にまとめ上げられていた情報には、
「韓国エリア在住の仮称:キム・ピョンヒ(19)、ロシアエリア在住の仮称:オリガ・ミール・イワノフ(8)を始めとしたその他9名が変態後、自我が残り、人を判別、理性に基づく行動を示した。そして数分後、力尽きたかのように倒れ、変態以前の人型に戻った。」そう記されていた。
エリア際連盟は、これら発言者を迅速に保護。この検体をもって研究を革命的に躍進させた。そして後に克服した人類を「Comtionix(通称:CMX)」と呼称した。EGLの身体能力、個体固有能力はもちろん。さらに自由自在に部分変態や完全変態が可能だった。
西暦2008年、ついにワクチンが完成する。これにより、変態による脅威は確実に減少傾向に向かった人々は歓喜し涙を流し、隔離されていた遺族らも解放され誰しもが収束すると確信した。新しくなった世界だけが残ってみんなが幸せになれると。しかし、現実はそう甘くはなかった。既存発症者、EGL化してしまった個体にはワクチンが効果を示さず、どうすることも出来なかったのだ。さらに、ワクチンを接種したにも関わらず、ごく稀にEGL化してしまう例外が発生。CMX人口は世界人口の約2割、EGL数はCMX人口の約3割。不幸中の幸いなのだろうか、この変態は「人間のみ」に現れる症状であった。各総領及びエリア政府はこれにより、CMXのみで構成されたEGL掃討鎮圧部隊、「EAC_ EGLAgency Countermeasure」を発足する。EGLとなってしまった対象はその時点で亡くなった事になり、速やかに掃討。後に死亡届が政府に提出され、遺骨、遺品は遺族に届けられる。これは仕方の無い、地震や津波と同じ。そう割り切って生きるしか無かった。
問題はそれだけではなかった。CMXの中から変態で得た力を使い、犯罪を企み、実行する者が現れた。人々とEACはこれらを「Evilonixer(通称:ELX)」と呼称した。後に、EACの目的にはELX鎮圧も含まれた。ELXはEACのことを彼らが訓じている「獲物を追いかけ、発見し回収する。」という思想と政府の犬という皮肉をこめて「猟犬」と呼んだ。
そして国はEAC発足時、一つの法律を定めた。
「EGL、ELXの掃討、及び鎮圧はにEAC所属し、首都バチカンから祝福を賜った者でなければならない。
これは人権を最低限保障し、命の尊びを軽んじない為である。禁を破り、個の矮小な裁量で制裁を下した場合、その者をELXと判断し鎮圧後、極刑に処す。又、その者の制裁に加担した者にも同様の刑に処す。」このようなものだった。だが、この不利益にしかならないような行為を行い、法に背く者が一定数いた。豊かになった国で人生を謳歌していれば、苦労することもない。「普通」に生きればそれでいいのに何故か。答えは簡単だ、ニーズがあったのだ。EACは組織であるが故に現場に到着するのが遅く、通報が入ってからでは被害がかなり出てしまっていた。そこに現れEGLを代わりに掃討し、金を揺すると言う事件が多発した。これらのELXはもともと戸籍が無い戦争孤児や冷戦の隔離政策撤廃後の漏れによるもので完全には救い切れなかった人々、言うなれば最大の被害者たちだった。
そんな中、そのような境遇ではなく、一般家庭に生まれ育ったにも関わらず法を破った者がいた。
名前は「和福 蘭」。法律の一文の通り、自身の感情でEGLとELXを殺している。舞台は西暦2025年、日本エリア。本書はそんな彼の日常を記す俯瞰的日誌である。