4.氷の城の住人たち
目を覚ますと、窓の外には淡い朝の光が差し込んでいた。
氷の城の中なのに、部屋は不思議と暖かい。暖炉の炎は夜の間も灯されていたらしい。静かに薪が燃える音が聞こえ、オレンジ色の光が壁に揺らめいている。
少女は、昨夜の夢を思い出した。
――紅い炎。燃え盛る街。誰かの声。
夢の中で聞いた「逃げて」という言葉が、耳の奥にまだ残っているような気がした。
あれは、ただの夢なのだろうか。それとも……
少女は小さく息を吐き、ゆっくりと身体を起こした。
毛布を押しのけると、ベッドの傍らに置かれた小さな机の上に、新しい衣服が畳まれて置かれていることに気がついた。
――わたしのために?
白い布地の柔らかそうなドレスに、青の刺繍が施されている。袖口や裾に細かい装飾が施されていて、とても丁寧に作られたものだった。
何も知らないはずのこの場所で、自分のために用意された服。
それが、どこか不思議な感覚を伴って、少女の胸に広がった。
彼女は静かにベッドを降り、裸足のまま床に足をつける。ひんやりとした石造りの感触が伝わってきた。
壁際の大きな姿見に映る自分の姿を見つめる。
青い髪。
冷たい光を宿した瞳。
やはり、この姿にも違和感があった。
「……わたしは、誰なの?」
呟いた言葉は、虚空へと溶けていった。
部屋を出ると、長い廊下がどこまでも続いていた。
壁には氷の彫刻が並び、天井からは豪奢なシャンデリアが下がっている。青白い光が静かに輝き、城全体がまるで氷でできているようだった。
しかし、不思議と寒さは感じない。
空気は澄んでいて、肌を刺すような冷気はどこにもなかった。
少女は、ゆっくりと歩きながら、城の作りを確かめるように周囲を見渡した。
すると、ふいに足音が近づいてくるのが聞こえた。
廊下の向こうから、ひとりの女性が現れる。
長い銀色の髪を背に流し、落ち着いた雰囲気をまとった女性だった。
黒と青のドレスを身にまとい、その姿はどこか優雅で気品に満ちていた。
「お目覚めになられましたか」
穏やかな声でそう言った。
少女は、彼女を見上げた。
「あなたは……?」
「私はクラリス。この城で、主であるレオニス様に仕えております」
クラリスと名乗った女性は、柔らかく微笑んだ。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「……はい」
少女は、曖昧に答えた。
本当は、夢にうなされて目覚めたばかりだったが、それを言葉にする気にはなれなかった。
「お身体の具合はいかがですか?」
「大丈夫……です」
クラリスは静かに頷いた。
「それは良かった。では、まずは朝食を召し上がってください。こちらへどうぞ」
クラリスは少女を案内しながら、歩き出した。
少女は少し迷ったが、彼女の後を追った。
案内されたのは、広々とした食堂だった。
長いテーブルが中央に置かれ、大きな窓からは雪の降る景色が見える。
すでにテーブルには食事が用意されていた。
温かいスープ、焼きたてのパン、新鮮な果物、そして香ばしく焼かれた肉料理。
どれも湯気を立て、美味しそうな香りを漂わせていた。
「お口に合うか分かりませんが、どうぞ召し上がってください」
クラリスがそう言いながら、少女を席へと促す。
少女は、少し戸惑いながらも椅子に座った。
目の前に並べられた料理を見つめる。
――こんなにちゃんとした食事を食べるのは、いつ以来だろう?
それすらも思い出せない。
だが、空腹を感じていたのは確かだった。
少女はゆっくりとスプーンを取り、スープを一口すくった。
温かい味が口の中に広がる。
じんわりと、体の奥まで染み渡るような感覚。
それだけで、不思議と安心するような気がした。
「……美味しい」
思わず、ぽつりと呟いていた。
クラリスは優しく微笑む。
「それは良かったです」
少女は、次第に落ち着きを取り戻しながら、少しずつ食事を進めていった。
ふと、クラリスが尋ねる。
「お名前は……思い出せましたか?」
少女は、手を止めた。
そして、小さく首を振る。
「……まだ、分かりません」
「そうですか」
クラリスは、それ以上は追及せず、ただ静かに微笑んだ。
「大丈夫ですよ。きっと、少しずつ思い出せます」
その言葉が、不思議と心に染みた。
少女は、ゆっくりと頷く。
――わたしは、何者なのか。
その答えを見つけるために、彼女はこの城での生活を始めることになった。