1.氷の牢獄の奥で
雪が降っていた。
静かに、冷たく、白い粉雪がしとしとと、王国の空を覆い尽くすように舞い落ちていた。風はほとんど吹かず、ただ静かに降り積もるだけの雪。それはまるで、世界がすべて凍りついているかのような錯覚を与えた。
この王国に春は来ない。
何年も、何十年も前から、ここには冬だけが存在している。かつては緑が広がり、花が咲き誇る美しい国だったはずなのに――今ではただの白銀の大地と化していた。
その中心にそびえ立つのが、《氷の城》だった。
巨大な氷の塊から削り出されたかのような城は、青白く輝き、そこに住む者たちの冷徹さを象徴していた。城の壁は分厚く、外界の暖かさを拒絶するように冷たい。まるで氷そのものが生きているかのように、微かに青い魔力を帯びていた。
そして、その城の最奥に玉座を構えるのが、この国の王――レオニス・グラキエスである。
王は、静かに窓の外を見つめていた。
その瞳は氷のように冷たく、感情を宿していない。白銀の髪が肩にかかり、漆黒の衣をまとっている彼の姿は、誰よりもこの国にふさわしい。
「……王よ」
低く響く声が、静寂を破った。
レオニスはゆっくりと振り向く。そこにいたのは、黒衣をまとった補佐官ヴァルターだった。整った顔立ちを持つ彼は冷静沈着で、王に忠実な臣下である。
「牢獄の最奥にて、奇妙な魔力の反応が確認されました」
牢獄。
それは、この城の地下深くに築かれた監獄のことだ。反逆者や罪人を幽閉する場所であり、そこに囚われた者は二度と外の世界を見ることはない。
「……何か異変があったのか?」
「詳細は不明ですが、通常の囚人のものとは異なる、強い魔力です」
ヴァルターの声は淡々としていた。しかし、その目はわずかに警戒の色を帯びていた。彼がこうして報告に来るということは、それほど重大な事態ということだ。
レオニスは、しばし考えるように目を閉じた。
牢獄の最奥にいる者たちは、王ですら忘れた存在だ。長い間封じられ、誰にも顧みられることのなかった者たち。
――なぜ今になって、そんな場所で魔力が?
「……私が直接確認する」
レオニスはそう言い残し、白銀の外套を翻して立ち上がった。
なぜか、胸の奥がざわついていた。
地下へと続く石造りの階段は、薄暗く、ひんやりとしていた。
レオニスが歩みを進めるたびに、革の靴が硬い床を打つ音が響く。青白い魔法の灯火が壁に埋め込まれ、かろうじて足元を照らしているが、それでもこの空間は陰鬱だった。
扉を開くと、冷気がぶわりとあふれ出す。
そこに広がっていたのは、《氷の牢獄》――王が築いた、決して破られることのない監獄だった。
幾百もの氷の柱が並び、その一つ一つの中に、人間が封じ込められている。
反逆者、裏切り者、異端者。
彼らは氷の中で静かに眠っている。凍りついたまま、老いることも死ぬことも許されず、ただ永遠にそこにあり続ける。
レオニスは、無言でその奥へと進んでいった。
牢獄の最奥――そこにいたのは、ただ一人の少女だった。
レオニスは、その氷の棺の前で足を止めた。
透き通るような氷の中で、少女が眠っている。
白い肌、炎のような赤い髪。微かに揺れるまつげ。
――どこかで見たことがある気がする。
彼は無意識に、氷に手を触れた。
すると、胸の奥が強く締め付けられた。
何かが呼びかけている。
「……誰だ?」
レオニスは、思わずそう呟いた。
少女の名を思い出そうとするが、記憶にはない。だが、彼の中の何かが告げていた。
この少女を知っている。
そのとき――
氷が、ひび割れた。
鋭い音が響き、細かい破片が空気中に舞う。
少女の閉じられたまぶたが、わずかに震えた。
そして、ゆっくりと――その瞳が開く。
紅く深い瞳が、レオニスを映した。
次の瞬間、少女は震える唇で言った。
「……レオニス……?」
レオニスの呼吸が止まった。
なぜ、この少女は自分の名を知っているのか。
なぜ、自分は彼女の声を聞いただけで、胸が締めつけられるのか。
氷の牢獄の奥で、凍りついていた時間が動き出した。
それは、王が決して思い出してはならない記憶の始まりだった――。