第29話 8月19日 その3
主取さんの企画書を拝見させていただきました。よく考えられていると思います。これを全てひとりで?」
友梨佳が病院から持ってきていた企画書をテーブルにおいた。
事務所の机では狭いからと、高柳は丸テーブルを講壇の前に置き、テーブルを取り囲む様に三人が座っていた。
「父からヒントをもらって作りました。三方よしを意識しろと」
「近江商人ですね。よくご存じで」
「陽菜のパパ、公認会計士なんだよ」
「ほう。なるほど」
「それで、ママは同じ事務所で働いてるの」
「友梨佳」
小さい子をたしなめるように言った。機嫌が良いときの友梨佳は頭と口が直結して思考がダダ漏れになる。
呆れてやしないかと高柳をちらっとみたが、にっこりと微笑んでいた。さすが聖職者だと陽菜は思った。
「ですが、私たちは単なる高校生です。さらに言えば私は部外者です。イルネージュファームはともかく、アルテミスリゾートにこの企画書を持って行っても相手にしてもらえないでしょう。私たちに必要なのは、仲介役と後ろ盾になる優秀な弁護士です」
陽菜は姿勢を正してまっすぐ高柳を見た。
「高柳先生、私たちの代理人になっていただけませんか?」
「……え!?」
友梨佳は目を丸くしながら陽菜と高柳を交互に見る。
「報酬は私が何年かかってもお支払いします。ですので……」
友梨佳が陽菜の袖を軽く引っ張る。
「タコウナギが弁護士……え、牧師って弁護士もできるの?」
「ごめん、友梨佳。後で説明する」
陽菜がこそっと耳打ちする。
高柳は目を閉じ、ふうッと息を吐いた。
「私はもう何年も弁護士として活動していません。それに、弁護士として大勢の人を苦しませてきました。もう、そのような事はしたくない。そしてその贖罪のために牧師の道を歩んできました。もう弁護士としては活動しないでしょう」
高柳はゆっくりと十字架に目を向けた。
高柳の言葉と仕草に陽菜はうつむいた。
「そう思っていたのですが、主取さんは私の命の恩人です。それに、皆が幸せになれるあなたの企画は魅力的です。弁護士としてやりがいのある仕事になるでしょう。弁護士会に未練たらしく籍を置いていたのが役に立ちました」
「それじゃあ……」
「はい。やらせていただきます。夢の実現に向けて最善を尽くしますよ」
陽菜は顔をパッと明るくさせた。
「ありがとうございます」
逆に友梨佳は不安げに陽菜の肩を突っついた。
「ねぇ、報酬払えるの? まさかアダルティーな動画に出ようとか考えてないよね」
「そんなことする訳ないでしょう。そこはなんとかするよ」
こそこそと話す二人を見て高柳は苦笑いしながら、「まあまあ」と話しをとめた。
「私は現役時代から依頼主の支払える能力や資産に応じて報酬を決めています。ですので、そうですね……」
高柳はふたりを見比べる。友梨佳は慌てて自分の胸を腕で隠した。
「ラーメンをご馳走していただければ結構です」
「え、そんなので……」
意外そうな顔をする陽菜を見て、続けて高柳は言った。
「安すぎますか。それじゃあ寿司政か、うな和……」
「いえ、ラーメンでお願いします」
陽菜は寿司政もうな和もどんな店か知らなかったが、隣で友梨佳が血相を変えて首を振っていたので高級店なのだろう。陽菜は即座にラーメンで手を打った。
「それでは、進めて参りましょう。ところで主取さんはいつまでこちらに?」
「8月31日の飛行機で帰る予定です」
「9月もいればいいっしょ……」
呟く友梨佳の手を陽菜は優しく握った。友梨佳もその手を強く握り返した。
「そうですか。それでは早く進める必要がありますね。早速ですがこれから泰造さんのところに行って承諾をもらいましょう。泰造さんも企画書の中身はご存じですよね?」
「うん。ここまで考えてくれる人はいないって言ってたよ」
友梨佳の言葉に陽菜は自分の胸が熱くなるのを感じた。
高柳は頷くと、
「次に高辻牧場の当面の手当てをしましょう。友梨佳さん一人では管理は難しいでしょう」
高柳のはっきりとした口調に友梨佳は気圧され、「正直きつい……かも」とつぶやいた。
「ここはイルネージュファームに人員の派遣を頼みましょう。派遣に来てくれた時間分の給与を負担すれば貸し借りなしです。友梨佳さんも、とりあえずは青山さんの事を信頼するでよろしいですか?」
「あたしは陽菜の事を信頼してる。陽菜が大丈夫というなら取りあえず信じてみる。でも、ちゃんと本人と話してからじゃないと100%信用するのは……」
高柳は友梨佳の回答に満足そうにうなずいた。
「良い回答です。その点に関しても私の方で動きましょう」
友梨佳は陽菜と目を合わせて微笑んだ。
その間にも、高柳はスマホを手に取ると電話を掛けている。電話がつながると、高柳はスマホをスピーカーに切り替えてテーブルに置いた。
「もしもし。私、トシリベツ牧場の牧師の高柳と申しますが、代表の青山様とお話しできますでしょうか?」
少々お待ちください。と、スピーカーから女性の声が聞こえる。加耶の声だった。保留音がしばらくなった後に遥が電話に出た。
『高柳牧師、無事退院されたのですね。良かったです』
「ええ。その節はお世話になりました。それで今回は全くの別件でして、実は……」
高柳は事の顛末を電話口の向こうにいる遥に説明した。ひとつの無駄も不足もなく、情報を要約して伝える姿に陽菜は感動すら覚えた。ビジネスを進めるとはこういう事なのだと思った。
『お話は分かりました。その企画については当牧場としても前向きに検討させていただきます。このあと泰造さんのところへ行かれるのでしょう? いまから高辻牧場に人をむかわせます』
遥の言葉にホッとして陽菜の顔に笑顔がこぼれる。ふと友梨佳を見るとニコニコとしながら陽菜を見ていた。
「なに?」
陽菜がささやくと、「ううん。別に」とどこか嬉しそうに答えた。腑に落ちなかった陽菜がもう一度聞こうとしたときに遥の声が聞こえた。
『そこに友梨佳ちゃんはいるかしら?』
「うん。いるよ」
友梨佳がスマホに向かって答える。
『さっきはごめんなさい。多少痛みを伴っても、こういうことはちゃんと本音で話した方がいいと思ったのよ。あなた達なら大丈夫と思ったの。それに、これで疎遠になるくらいなら遅かれ早かれ疎遠になるわ』
「結構痛かったよ」
友梨佳にしては少し棘のある言い方だ。
『ふふ、ごめんなさい。それと陽菜さん』
「はい」
『聞いた限りでは良い案だと思うわ。さすがね。この前の話、諦めてないから』
陽菜は友梨佳が怒ってないか気になり、ちらっと見たが表情に変化はない様子だった。少なくとも怒ってはないらしい。
「……もう少し検討させてください」
やや遠慮がちに陽菜は答えた。
それから高柳と遥で今後の手続きや契約関係について話し合われた。
「ねえ……」
友梨佳が十字架に目をやりながら話した。
「もし全部うまく行って、陽菜が遥さんの所に就職したら、あたし達ご近所さんになるんだよね」
「そう……だね」
友梨佳の真意がイマイチ掴めず曖昧な返事になる。
「あたしとしては、東京に帰られるよりずっといいんだけど……」
「うん?」
「どっかに部屋を借りるくらいなら、うちに来ないかな……なんて」
友梨佳は最後におどけて言った。
「別に変な意味じゃなくて、遥さんの牧場まで近いし、バリアフリーだし、家賃もかからないし」
「別に嫌じゃないけど、泰造さんに迷惑かかるし。もし、彼氏とかできても気軽に部屋に呼べないよ」
「彼……」
友梨佳が言葉に詰まる。
「いや、もしもの話しだよ。色んな事を考えなきゃいけないから、今すぐ返事ができないだけ。別に友梨佳が嫌とかそういう話じゃないから」
思った以上に友梨佳の表情が硬かったので、陽菜は思わず焦ってフォローを入れた。
「あはは! ごめん、ごめん。ちょっと言ってみただけ」
陽菜の肩をパンパンと叩いてくる。たまに良く分からない反応をするな。と、陽菜は叩かれながら思った。でも、友梨佳の提案には一理ある。いきなり良く知らない土地で一人暮らしをするより、両親も安心するだろう。
「ありがとう、考えてみるね。泰造さんが迷惑じゃなければだけど」
友梨佳の表情がパッと明るくなり、大きくうなずいた。友梨佳は感情のさざ波が、そのまま顔の湖面に映し出される。
高柳も遥との会話がちょうど終わったようでスマホをテーブルに置いた。
「青山さんへの根回しは大体終わりました。それでは泰造さんのところに行きましょう」
「その前にラーメン食べに行く時間ある? あたし、朝から何も食べてなくて。さっきラーメンの話し聞いたらお腹減っちゃった」
そう話しながら友梨佳はお腹を抱えた。
「大丈夫だと思いますよ。早速報酬をお支払いいただけて助かります。いま車を回してきますからちょっと待っててください」
事務所に車の鍵をとりに入っていくのを見届けてから、陽菜は友梨佳の袖を引っ張り耳打ちした。
「私、タクシー代でお小遣い使っちゃって手持ちがないの。友梨佳お金持ってる?」
「あたしもないけど、今なら大丈夫。まかせて」
「え、今ならって?」
心配する陽菜をよそに、友梨佳は礼拝所を出てゆく。陽菜は慌てて十字架に一礼して、友梨佳の後を追いかけた。




