表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/34

第23話 8月18日 その4

 気が付くと窓の外から夕陽が差し込む時間になっていた。友梨佳はベッドからゆっくりと体を起こした。

 頭が重い……。

 昼間の話がショックで、正直今日はもう何もしたくない。しかし、馬を放っておくわけにはいかない。

「おじいちゃん一人でやればいいんだ……」

 そうつぶやいて再びベッドに身を投げた。アルテミスリゾートから買収の打診があったことをずっと隠されていたこともショックだった。

 今日くらい一人で牧場の作業をやらせても罰は当たらない。あたしの気持ちを分かってくれるだろう。子供じみた考えが頭に浮かんだ。

 それと同時に肩で息をしていたり、大汗をかいたりしている泰造の姿も浮かんでくる。

 友梨佳は深くため息をつき、ゆっくりと体を起こした。

 一階には誰もおらず、薄暗く静まり返っている。

 長靴を履き、玄関を出る。冷たい風が髪をなびかせる。夏の終わりはいつも物悲しいが、今年は特にそう感じる。

 友梨佳が厩舎の中に入ると、泰造が馬房で寝藁を敷いていた。友梨佳は先端が丸みを帯びている爪が数本ついた140センチほどの長さの干し草フォークを黙って手に取り、無言でとなりの馬房の寝藁を敷く作業を始めた。

 泰造は隣から寝藁を敷く音に気づき馬房から出ると、友梨佳が作業をしている姿を見た。

 泰造は干し草フォークを馬房の壁に立てかける。

「アルテミスリゾートのこと、黙っていてすまなかった。具体的な話になってから話そうと思ったんだ」

 友梨佳は黙ったまま作業を続けている。

「お前がこの牧場や馬を大切に思っているのは分かっている。だが、この牧場の経営がギリギリだってことはお前も分かっているはずだ」

 友梨佳は一瞬作業の動きを止めたが、すぐに寝藁を敷く作業にもどる。

「別にこの牧場の売却を決めたわけじゃない。どういう形が一番いいか一緒に考えよう」

 友梨佳は返事をしない。

「友梨佳、今日は疲れたべや。じいちゃんも疲れた。今晩は出前でも他のむべ」

「……」

「スノーベルを連れてくる」

 泰造が厩舎から出ようと歩き始めた。

「……ピザ」

 友梨佳の小さな声に泰造が歩みを止める。

「ピザが食べたい……」

「ああ。ピザにするべ」

 泰造は厩舎の外に出ていく。いつの間にか空に夜のとばりが降りようとしていた。


 タクシーがトシリベツ教会に着いたときには辺りはだいぶ暗くなってきていた。教会を取り囲む木々の枝の隙間から星がひとつ、ふたつ瞬いている。

 教会の扉の脇に『わ』ナンバーの乗用車が停まっていた。

 来客? 込み入った話なら日を改めよう。そう思いながら、インターホンを押そうとして扉が開いているのことに気が付いた。扉から中を覗くと礼拝所の電気は消されて薄暗く、正面の壁にかけられた十字架だけが教会の外にひとつだけある街灯の光を鈍く反射させていた。

「……失礼します」

 陽菜は薄暗い礼拝所に車椅子を進めた。

 礼拝所に人の気配はない。

 礼拝所の奥にある事務所の扉が半ば開いていて、事務所の蛍光灯の光が礼拝所に漏れているのが見えた。

 陽菜は事務所の前まで車椅子を進め、扉の隙間から事務所のなかを覗き込んだ。

「……!」

 陽菜はその光景に驚きと恐怖のあまり目を見開き、両手を口に当てて絶句した。

 目の前に30代後半くらいの男性が背中を向けて立っていた。その奥では左腕を押さえながら痛みに顔をゆがませている高柳の姿があった。目の前の男に目を移すと、その右手には果物ナイフが握られ、ナイフの刃先からは高柳のものと思われる血が滴り落ちていた。

 陽菜は反射的に顔を扉の隙間から引っ込めた。今そこで起きている事に思考が追い付かない。ただ、なにか恐ろしい事態が起きている事だけは感じ取れた。陽菜の全身は震え、頭の中は空回りをして考えが浮かばない。恐怖で目には涙が浮かんでくる。

「……飯沼直宏君だね。マスクをしていても目を見て分かりましたよ」

 事務所の中から高柳の落ち着いた声が聞こえた。陽菜は固まったまま事務所に意識を向けた。

「25年ほど経ちますか。ずいぶん大きくなりましたね」

「黙れ。25年間、俺とおふくろがどれだけの地獄を味わったかお前に分かるか。一家は離散し莫大な借金を抱えて隠れるように生きてきた俺たちの気持ちが。お前が……お前が家族を壊したんだ!」

 高柳牧師が⁈ 家族を⁈ 陽菜は叫びたくなる気持ちを必死に抑えながら何とか状況を理解しようとしていた。

「……その通りです。すべては私の過ちです」

 高柳は悔恨の表情を浮かべながら話した。

「私は強引な手段で、顧問を務めていた会社に君の父の工場を奪わせた。その結果、君の父は自ら命を絶ち、君の家族は崩壊した……。そして今まさに復讐を受けている。それは全て、私が招いたことだ」

 高柳の声は重く、痛々しかった。

「おふくろが先月癌で死んだ。借金を返すためにずっと働き詰めで病院にかかる暇もなかった。ようやく借金の返済ができたときには、もう手遅れだった。おふくろの人生って何だったんだろうな……。ひたすら借金を返すためだけに働いて、働いて。ようやく終わったと思ったらこれさ。本当に俺はすべてを失った。そう思った時、あんたのことが頭によぎったよ」

「君の怒り、悲しみを癒す言葉を私は持たない。そのナイフで私を刺すことが君の望みなら、甘んじて受け入れましょう」

 高柳の言葉に飯沼のナイフを握る手に力がこもる。

 高柳牧師が危ない! そうだ、警察! 陽菜は膝に乗せたショルダーバッグから震える手でスマホを取り出した。


 泰造がスノーベルを連れてくると言ってから30分以上経つ。スノーベルは厩舎近くの円形の馬場に入れてあるから、いくらなんでも遅すぎる。

 厩舎の外からスノーベルがいななく声が聞こえた。

 友梨佳は胸騒ぎを覚え、厩舎の外に出る。外は薄暗く、友梨佳の視力ではほとんど何も見えない。

「おじいちゃん?」

 友梨佳が叫ぶが返事はない。

 友梨佳は厩舎を出ると、スノーベルがいる円形の馬場に行き、柵沿いを一生懸命目を凝らしながらゆっくり歩く。半周ほどしたところで友梨佳のつま先に鈍い感触が伝わる。友梨佳は急いでその場にしゃがみ込んだ。

 泰造が仰向けに倒れていた。

「おじいちゃん! しっかりして! 目を開けて!」

 友梨佳は悲鳴のような声を上げながら泰造の顔を覗き込む。泰造の顔は青白く、汗が額から流れていた。泰造はかすかに目を開け、友梨佳の顔を見たが、その目にはいつもの力強さが感じられなかった。

「おじいちゃん! しっかりして!」

 友梨佳は震える手で泰造の肩を揺さぶったが、彼はうめくような声を出しながら再び意識を失いかけていた。友梨佳はスマホを取り出して救急車を呼んだ。

「お願い、早く来て!」

 友梨佳は動揺しながらも、必死に冷静さを保とうとしていた。

 泰造の呼吸は浅く、汗に濡れた彼の体は異常に熱く感じられた。

「どうしてこんなになるまで無理をしたの……」

 友梨佳は目に涙を浮かべ、泰造の手を握りしめた。彼女の手は小刻みに震え、心の中には後悔が渦巻いていた。もっと早く無理をさせていることに気づいてあげられたはずなのに。そんな思いが彼女を責め立てた。

「誰か、誰か助けて……」

 意識を失いかけている泰造を見ながら、咄嗟に陽菜の顔が頭に浮かんだ。

 友梨佳は震える指で電話をかけた。

「お願い。陽菜……助けて!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ