第17話 8月15日 その2
友梨佳は自分の部屋で急いで髪の毛にブラシをかけていた。
朝の段階では普段のままで良いだろうと気楽に考えていたが、時間が近づくにつれてなぜか緊張してきた。陽菜のパパとママに悪い印象を持たれたらどうしよう。そう思ったとたん、作業着姿であることや髪の毛も整えていないことが急に気になりだした。
「やばい。着替えないと」
そう思ったときに、家の外から陽菜たちを出迎える泰造の声が聞こえた。窓の外をのぞくと車椅子の陽菜とその両親らしき人がぼんやりと見えた。それと同時に泰造の「お見えになったぞ!」という大きな声が聞こえた。
「今行く!」
部屋から大声で答えてから急いで着替えを始めたのだった。
「これでいいかな」
ストレートジーンズにベージュのTシャツと白のロングカーディガンのコーデで姿見の前に立った。
友梨佳はスマホの時計を見て、「やばい」とつぶやき、急いで部屋を出た。
「おじいちゃん、今行くから待ってて!」
友梨佳が叫びながら階段を飛び降りた。
「やばい。ブラがずれた……かも……」
友梨佳が顔をあげると、陽菜の両親が玄関に立っていた。
陽菜の両親と友梨佳が目を合わせたまま固まる。明憲たちの後ろから陽菜が苦笑いしながら小さく手を振った。
泰造は自分の額に手をあてていた。
「パパ、ママ。こちら高辻友梨佳さん」
陽菜が後ろから声をかける。
「あ、ああ。あなたが友梨佳さん。陽菜の父の明憲です。こっちは母の智美です。いやあ、陽菜から聞いたとおり闊達なお嬢さんですね」
「え、ええ、本当に。まあ、お人形さんのように綺麗ね」
明憲と智美が場の雰囲気を和ませるかのように明るく話した。
「友梨佳、あいさつしねえか」
「あ、高辻友梨佳です。あの、陽菜さんとお付き合いさせていただいてます」
「お付き合い?」
明憲と智美が顔を見合わせる。
「あ、いえ。友達としてであって、決して変な意味では……」
友梨佳の顔は真っ赤に、頭の中は真っ白になってしどろみどろに話す。
「友梨佳、こっちは良いから。お前はお茶の準備でもしてなさい」
「う、うん。わかった。それじゃあ、また後ほど……」
友梨佳は右腕で胸を押さえながら、そそくさとキッチンに駆け込んだ。
ああ、やらかした。印象最悪だ。陽菜にも謝らなきゃ。友梨佳はキッチンでブラジャーの位置を直しながら落ち込むのだった。
「大丈夫だよ。2人とも気にしてないよ」
「そうかな……結構やらかしたよ、あたし」
陽菜と友梨佳は放牧地を並んで馬に乗りながら話していた。
「そうだよ。友梨佳に感謝してるし、話しに聞いたとおり明るくて素敵な人だって言ってたよ」
「ホント? それならいいんだけど、悪い印象持たれたら嫌だなって……。陽菜にも迷惑かかるでしょ」
「私なら大丈夫だよ。ってか、友達の親に会うだけで緊張しすぎじゃない?」
そう言って陽菜は笑った。
「え、あ、まぁそうだよね。変だよね。ホント、なんでだろ?」
友梨佳はたどたどしく答えた。
ふたりに沈黙がながれる。
丘の稜線に太陽が沈みかけ、ふたつの人馬の長い影が牧草に伸びている。遠くに見える海の穏やかな波が夕陽の色を映し出していた。
吹く風は少しだけ肌寒くなり、北海道の短い夏の終わりとふたりの別れを告げようとしていた。ふたりはそれを敏感に感じ取っていた。
今まで意識的に避けてきたことがふたりによぎる。でも、これ以上話題を避けても良いことはない。
「あのね、友梨佳……」
陽菜が絞り出すように話すと、友梨佳の肩がピクッと揺れた。
「私、31日の飛行機で横浜に帰るの」
「そう……なんだ」
聞きたくなかった不都合な現実を告げられ、友梨佳はそう返事をするしかなかった。
「今日は15日だから、あと2週間と少し」
「短いね……」
「うん……」
さっきより重苦しい沈黙がながれる。
「ねえ。今日はもう皆んな帰っちゃうの?」
沈黙に耐えかねた友梨佳が話す。
「友梨佳のおじいちゃんと話してる様子だと、まだ帰らないんじゃないかな。おじいちゃんも帰さないでしょ? きっと夜までコースだよ」
「うん。昨日、沢山食材を買ってたもん。絶対帰さないよ。ゆっくりしてけばいいっしょ。なんなら泊まっていきなよ」
「うん。お泊まりしたい! あ、でも……」
陽菜は自分の足を見る。
「大丈夫。おばあちゃんが長く車椅子生活だったから、ああ見えてお風呂もトイレもバリアフリーなんだよ。2階にもリフトであがれるんだから」
「ホント? それなら大丈夫だと思う」
「おじいちゃんに聞いてみる。絶対ダメとは言わないよ」
ふたりの表情がパッと明るくなる。
今日はまだ一緒にいられる。お泊まりの約束もできた。カンフル剤のように一時的なものだとしても、確かにふたりの心は軽くなった。
さっきまで陰鬱に重くのしかかるように見えた夕焼け空が、鮮やかな茜色に変わる。
自然とふたりはいつもの様な饒舌になる。
「友梨佳は馬術の競技会に出ないの? 視覚障害者でも馬術競技会に出られるんでしょ? 小林さんも全国レベルだって」
「まあ昔は考えてたよ」
「それなら……」
「公式戦に出るにはクラブに所属しなくちゃいけないの。あたしは高校を中退しちゃったし、乗馬クラブに入るお金なんてない。だから大会には出られない」
遥たちがもったいなさそうに語っていた理由がわかった。
「そうなんだ、ごめん。知らなくて……」
「大丈夫だよ。でも、この前のイベントは楽しかったなぁ。人前で演技するのがあんなに楽しいって知らなかった。競技会かぁ……」
友梨佳はふとさみしげな表情をみせた。
「神は真実な方です。あなた方を耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます」
「?」
友梨佳は不思議そうに陽菜を見る。
「聖書の言葉だよ。私はこの言葉で立ち直るきっかけになったの。友梨佳が望むなら道はきっとあるよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
ふたりは微笑みあった。
馬を並ばせてふたりはゆっくりと歩く。
「お馬の親子は仲良しこよし……」
ふいに友梨佳が口ずさむと、陽菜もそれにつられて一緒に歌い出す。
『いつでも一緒にぽっくりぽっくり歩く』
ふたりは何度も一緒に歌いながら厩舎に向かって歩いて行った。




