第14話 8月10日 その6
中央公園の有線放送からドレッサージュのエキシビジョンが開催される放送が響く。
馬術競技会場には大勢の人だかりが柵の外を何重にも取り囲んでいた。乗馬体験コーナー受付にも多くの家族連れが並び、加耶と小林が対応に追われていた。
タープでは陽菜がドレッサージュで使用する音源の最終チェックを行っていたが、両手が震えてモニターのカーソルをうまく合わせられない。陽菜は思わず自分の両手を組んだ。
音がうまく流れなかったらどうしよう……友梨佳の演技を台無しにしちゃう。遥さんたちにも恥をかかせてしまうかもしれない……。 やっぱりやめておけばよかった。このエキシビジョンに深くかかわったことを後悔する考えまで浮かんでくる。
そのとき、ドンっと陽菜の背中に心地よい重さがのしかかる。見ないでもわかる、友梨佳だ。
「陽菜、ひどい顔。実際に演技するのはあたしだよ。陽菜が緊張してどうするの?」
「だって、もし音が流れなかったりタイミングがずれたりしたら友梨佳の演技を台無しにしちゃうし、それに……」
「さっきもチェックして大丈夫だったじゃない。問題ないよ。万が一トラブっても適当に演技して、お客さんに愛想振り撒くから」
友梨佳は真夏の太陽のように明るい。こういった舞台に立つと大きく輝く人がいるが、友梨佳もそのうちの一人なのだろう。友梨佳の言葉と笑顔に陽菜は自分の緊張が氷解していくのを感じた。
「ありがとう友梨佳。ごめんね、一番緊張するのは友梨佳なのに」
「あたしは陽菜のこと信じてるから。陽菜がいてくれれば大丈夫」
ぎゅるるる! 友梨佳のお腹が鳴る。
「え、友梨佳。うそでしょ?」
陽菜が思わず振り返ると、友梨佳は大笑いしながら陽菜の肩を何度もたたいた。
「ヒルデガーデンで食べ損ねたからお腹減っちゃった」
友梨佳の心臓には毛どころか杉の木でも生えてるんじゃないのか。そのメンタル分けてほしい。陽菜はあきれながらもつられて笑った。
「集客というミッションはクリアね。次は演技で魅了するわよ。友梨佳ちゃん騎乗して」
遥が陽菜の隣に座り、マイクを準備する。
タープの後ろに大岩が馬を連れてくる。ブラッシングを念入りにされたのか、白い毛が太陽に照らされ反射している。
「じゃあ、行ってくるね」
友梨佳はヘルメットを被ると馬に跨った。それを見た観客から小さく歓声が上がる。白い馬に白いロングヘアの女性。これほど映えるシチュエーションもないだろう。
「行ってらっしゃい」
陽菜が友梨佳に長鞭を手渡す。鞭を受け取った友梨佳の右手がかすかにふるえていた。友梨佳の心臓に杉の木は生えていなかった。
「ねえ陽菜。お祈りやって。この前うちでやってくれた様に。そうしたら落ち着くと思うから」
「うん。いいよ」
陽菜は左手で友梨佳の右手を握り、自分の右手は馬の肩に手をあてて目を閉じる。
「主よ、友梨佳が今、演技に臨もうとしています。彼女の心と体を満たし、恐れを打ち消してください。彼女の才能を最大限に引き出し、成功へとお導きください。そして万が一の怪我からも守り、私のもとへお戻しください。父と子と精霊の御名によって。アーメン」
陽菜はゆっくりと目を開ける。馬上から友梨佳が優しく微笑んでいた。
「ありがとう、落ち着いた。じゃあ行ってくるね」
友梨佳は右手をちょっと上げながら言うと、馬をゆっくりと馬場の入り口まで歩かせる。
友梨佳が位置についたのを見届けると、陽菜も長机のパソコンの前についた。再生ボタンをクリックしたら、もう陽菜にできることはない。友梨佳の演技が成功するのを祈るだけだ。
「準備はいい? 始めるわよ」
遥が陽菜に声をかける。陽菜が頷く。
遥はマイクのスイッチを入れてアナウンスを始める。
『ご来場の皆様、お待たせいたしました。これより馬術エキシビジョンを開始いたします。オリンピックでの馬術日本代表の活躍は皆様の記憶にも新しいことと思います。数ある馬術競技のなかで今回は馬術のフィギュアスケートとも呼ばれる馬場馬術のエキシビジョンを行いたいと思います。馬術になじみのある方も初めて見る方もどうぞ最後までご覧ください。それでは、ご紹介します。騎手、高辻友梨佳。乗馬、ノーブルホワイト号』
アナウンスを合図に友梨佳とノーブルホワイトは駈足で入場する。
わあ! という大きな歓声と拍手が沸き起こった。
友梨佳は柵沿いを速歩で一周すると、馬場の中央に馬を止める。友梨佳は右手で手綱を持ち、左手を斜め下に伸ばして敬礼をする。美しい所作に再び拍手が沸き起こる。遥によると馬術競技会では敬礼も採点の対象だそうだ。
遥が陽菜に目で合図をする。
陽菜がパソコンの再生ボタンをクリックすると馬術会場のスピーカーから『人生のメリーゴーランド』が流れる。
友梨佳は出だしのピアノの音に合わせ、ゆっくりと歩かせる。やがてワルツのリズムに変わると、徐々に馬の速度を上げて速足で周回する。
「ハウルの動く城だ!」
会場にいる子供たちが口々に声を上げる。
友梨佳は音楽に合わせ、駈足からパッサージュ。パッサージュからピアッフェそしてハーフパスと歩様を変える。そのたびに会場から歓声と大きな拍手が沸いた。
思った通りだ、いつまでも見ていられる。陽菜はワルツのリズムに肩を小さく揺らしながら友梨佳の演技を見ていた。
「ほお、これはなかなかだ。さすが代表が仕込んだだけのことはある」
タープの後ろから大岩が腕を組みながら見ている。
「私は基礎を教えただけよ。後は彼女の天性の能力。ほんとに惜しいわ。目が悪くなければ国体どころか全国も夢じゃなかったのに」
「そういえば私いつも不思議だったんです。視力が悪いのにどうやって乗りこなせているんだろうって」
「友梨佳ちゃんに言わせるとね、周囲の音とか皮膚に伝わる感覚、それに馬の耳の動かし方や筋肉の動きなんかで状況を把握しているらしいわ。馬場の状況も一度下見すれば記憶できるみたいよ」
言われてみると、友梨佳は馬の首筋や肩、耳の位置を左手で細かく確認している。
「ただ、エキシビジョンでは問題ないけど、競技会じゃ減点なのよ」
どうりで競技会に出たことがないわけだ。しかし、状況把握が完了した後の友梨佳の演技は見事だ。手綱や足で馬に合図を出しているはずなのに、その動きは全く分からない。
観客も友梨佳の演技に夢中になっている。
『人生のメリーゴーランド』の途中から曲調が変わり、『千尋のワルツ』に移行する。テンポがゆったりとなり、演技も常足を中心とした動きに変わる。
「千と千尋!」
子供の嬉しそうな声が聞こえる。
タープの前を友梨佳が通る。友梨佳の横顔は笑っていた。楽しそうに乗っているのが伝わってくる。もう大丈夫。エキシビジョンは成功だ。
陽菜は会場に来ている観客の様子を見渡す。最前列で小田川のアシスタントがスマホをずっと友梨佳に向けているのが見えた。動画を小田川に送っているのだろう。斜に構えながらもパソコンかスマホで友梨佳の演技を見ているのであろう小田川の様子が想像できた。
『千尋のワルツ』から『人生のメリーゴーランド』に曲がもどる。
友梨佳は再び馬の歩みを早める。
後ろ脚を中心にコンパスで円を描くような『ピールエット』から馬がスキップをするような『フライングチェンジ』へと流れるようにステップを変えてゆく。そしてフィナーレ。『ハーフパス』から駈足、馬場の中央で馬の歩みを止めたところで曲もエンディングとなった。10分間のエキシビジョンは瞬く間に終わってしまった。
友梨佳が最後に敬礼をする。
馬場の四方から割れんばかりの拍手と歓声が鳴り響く。友梨佳が敬礼をやめて顔をあげてもまだ拍手が続いていた。




