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第13話 8月10日 その5

 小田川が来るまでの間、陽菜は友梨佳の練習風景を馬場の外から見ていた。

 考えてみれば、友梨佳が本格的に乗馬をしている姿を見たことがなかった。

 友梨佳が馬に『乗れる』ことは分かっていたが、実際の姿は陽菜の想像をはるかに超えていた。

 3拍子のリズムを刻んで走る駈足だけでも充分に早かったが、友梨佳は徐々に速度を上げ、競走馬が走る姿の襲歩で走らせた。

 4拍子のリズムの足音と馬の息づかいを残し、白い髪の毛をたなびかせながら広い馬場を所狭しと走らせる友梨佳の姿に陽菜はただ魅了された。

「ねえ、すごくない? こんなのやってたんだ」

「ほんと。かっこいいね、外人さんかな?」

「13時半からだって。知らなかったね。後で見に来ようよ」

 馬が走っているのを見つけた人たちが馬場に集まっていた。

 『知らなかった』という言葉に陽菜は反応した。PRがたりない。

 陽菜はその場で友梨佳と会場の風景の写真を撮った。あとでフェスタの公式インスタにアップしてもらおう。

 気が付くと、友梨佳は馬の速度を徐々に落とし、常歩でゆっくりと馬場を周回させていた。

「ウォームアップはOK? じゃあ、はじめよっか!」

 加耶が馬場の真ん中で叫ぶ。

 え、今のでウォーミングアップ? 陽菜はあっけにとられた。

「パッサージュ!」

 友梨佳がどんな指示を出したか陽菜には分からなかったが、馬が跳ねるような感じで脚を高く上げ、ゆっくり下ろしながら軽やかに歩き始める。馬の背中が上下に激しく揺れるが、友梨佳は上半身を柔らかくし衝撃をうまく吸収している。

「次、ピアッフェ!」

 今度は、その場で一定のリズムで速足をおこなう。

「ハーフパス!」

 友梨佳は馬を進行方向に向かって左右の脚を交差させながら、斜め横方向に動かす。陽菜には感嘆の声しか出せない。

 どうやったら馬をあんなに上手に動かせるんだろう。そもそも合図を出している仕草すらわからない。陽菜の目には馬の上で友梨佳はただじっと同じ姿勢でいるようにしか映らなかった。

 馬が刻む3拍子のリズムが心地よい。この感じは何だろう? ……そうか、ワルツだ。上質なワルツ。この演技に音楽を乗せるとしたら何がいいだろう? ショパン? チャイコフスキー? ううん、ジブリみたいにみんなが知っている曲がいい。馬……メリーゴーランド……ジブリ……だとしたらアレが良い。あとで遥さんに相談してみよう。

 それにしても笑顔の友梨佳が目に眩しい。ああ、ずっと観ていたいな。陽菜は友梨佳の演技にただただ見とれていた。

 『エレガント』

 これ以外に表現する言葉を陽菜は持たなかった。

 友梨佳が陽菜のところまで馬を歩かせてきた。

「友梨佳、格好よかったよ」

「ありがとう。ねえ陽菜聞いて。さっきこの子がおしっこしたんだけどさ、音聞いてたらあたしまでおしっこしたくなっちゃって焦った」

 友梨佳はケラケラと笑っている。

 まあ、これが友梨佳のいいところではあるんだけどね。そう思いながら陽菜は苦笑いするしかなかった。


「友梨佳ちゃん、陽菜さん! こっち来て!」

 テントから遥が呼んでいる。

 テントの前では小田川翔がアシスタントの女性を伴って立っていた。

 小田川は40を過ぎてるらしいが、肌にハリとツヤがあり、どう見ても30代前半にしか見えない。20代と言っても通用するだろう。当然ムダ毛などなく、眉も整えられ、黒のミディアムヘアにも清潔感が感じられた。

「こちら、ヘアメイクアーティストの小田川翔さんよ。あなたたちのメイクを依頼したの」

「貸し剥がしに会ったみたいなもんよ」

 小田川が両手を肩まであげる。

「小田川さん、こっちがメイクを依頼したい女の子」

「主取陽菜です。よろしくお願いします」

「高辻友梨佳です」

「小田川です、よろしく。ふーんアルビノちゃんね……」

 小田川は友梨佳をじっと見つめ、考え込む。

「そうね……」

「天下の小田川翔もアルビノは自信がない?」

 遥が小田川をのぞき込む。

「バカにしないで。イメージを描いてたのよ。まずはアルビノちゃんからやるわよ」

 小田川とアシスタントがタープに向かって歩く。

「あら、厳さんに坊や! 元気?」

 途中、馬場で障害を組み立てる作業をしている大岩と小林を見つけて小田川が声をかける。

 大岩と小林は引きつった笑顔で会釈をした。

「2人ともいいなあ。まず小田川さんにメイクしてもらえることなんてないんだよ。私も勉強しなきゃ」

 加耶も後ろからついてくる。

 タープの中のテーブルにアシスタントが慣れた手つきでメイク道具と鏡を設置する。

「さ、アルビノちゃん座って」

 友梨佳は言われるがまま椅子に座る。何が始まるのか分からないからか、目線が泳ぎ、どことなく落ち着きがない。

 友梨佳でも、こんなことあるんだ。陽菜は新鮮な驚きを覚えた。

 小田川は向かい合わせに座り、友梨佳の肌をじっと見つめ、

「あなた、メイクどころかスキンケアもしてこなかったでしょ?」

「日焼け止めは塗ってたよ」

「そりゃあそうでしょうよ。でも、肌に潤いが足りないわ。今は若さでカバーしてるけど、あと5、6年もしたらボロボロよ。毎日、洗顔後に化粧水を塗りなさい。必ずよ」

「はーい」

 小田川はピンク系のccクリームを塗ったあとにファンデーションを重ねる。

「化粧下地とファンデはピンク系のものを使って血色を上げなさい。赤ら顔が気になるなら、下地はグリーンのコントロールカラーでもいいわ」

 え、え? 覚えらんない。 と、聞き慣れない言葉に戸惑い、友梨佳が目だけでキョロキョロすると、2人の間に立っていた加耶がメモを取りながら右手でサムズアップした。

「次、アイメイクね」

「サングラスかけるから要らなくない?」

「今日だけの話じゃないでしょ。必要になるときのために聞いときなさい。あと、馬鹿は馬鹿なりに敬語使いなさい」

「はーい」

 友梨佳は悪びれた様子なく返事をする。確かに敬語くらいは使うべきだが、小田川には初対面でも懐にフッと自然に入ってくる不思議な雰囲気がある。

「白い眉毛とまつ毛はあなたの個性だけど、肌の色に隠れて違和感を感じさせるから、色を乗せて存在感を出していくわね」

 小田川が差し出すと阿吽の呼吸でアシスタントがメイク道具を手渡してゆく。

 陽菜は流れるような動作に見惚れていたが、ハッと思い出し遥かに声を掛けた。

「遥さん、エキシビションのことで2つお話しがあるんですけど」

「うん、なに?」

「フェスタの公式インスタに、このイベントの告知をアップできませんか? 練習中にイベントを知らなかった人が何人かいたので。リールに友梨佳さんが馬に乗ってる動画をあげるだけでもPRできると思います」

「分かったわ。アカウントとパスワードを知ってるから、後で加耶にやらせましょう。彼女そういうの得意だから。で、もうひとつは?」

「ドレッサージュのときに流すBGMに何かこだわりとかありますか?」

「いいえ、特にこだわりはないわ。今回は加耶にJPOPやKPOPを選んでつないでもらったけど」

「あの、それでしたらワルツ、それもジブリ映画で使われてるようなみんが知ってるような」

「その心は?」

「友梨佳の練習を見たとき、馬のリズムが基本三拍子だったんです。popsも悪くはないんですけど、頭の中でワルツを流してたら、友梨佳の演技とシンクロして、とても心地よくていつまでも観ていたいと思ったんです。もちろん加耶さんの意向も聞かないとですけど」

 陽菜は一気にまくしたてた。

 遥はしばし考え、

「いまから音源を準備できる?」

「あそこのパソコンを使わせていただけるなら」

 陽菜はタープの下に設置された長テーブルの上のノートパソコンを指差す。

 わぁ! と加耶の悲鳴のような歓喜の声が聞こえた。友梨佳のメイクが終わり、加耶が友梨佳の前でヤバいヤバいと言いながら片足でぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「ねえ、陽菜どうかな?」

 友梨佳を見て、陽菜の胸が思わず高鳴った。

 眉毛とまつ毛はブラウンに塗られ、ノーズシャドーで鼻立ちがくっきりとしている。ピンク系のファンデーションとチークで顔全体が血色良く見える。

「陽菜、どうかな? あたしじゃないみたいなんだけど」

「ううん。すごくいいよ。天使みたい」

「そう。ならよかった」

 天使という言葉に友梨佳はうつむき加減に頬を人差し指で掻きながらはにかんだ。

「さ、次は車椅子のあなたよ。忙しいんだから早くして頂戴」

「あ、はい」

 陽菜は小田川の前に進んだ。

「加耶、公式インスタに友梨佳ちゃんの練習風景をアップして。あと、このイベントの告知を載せて」

「わかりました」

 加耶は友梨佳の写真を撮りながら答える。

「あと、イベントで使うBGMなんだけど、変更しても構わない?」

 遥が加耶に問いかけた。

「あー、まあもともと私が乗ってて楽しくなるように自己満で編集した物なので、友梨佳ちゃんが楽しく乗れるなら変更してもらって構いませんよ」

「ありがとうございます!」

 陽菜は加耶に頭を下げた。

 ここまでしてもらったからには失敗はできない。自分の企画が通った安堵感とともに緊張感が襲ってくる。

「じゃあもうちょい練習してくるね。メイク終わったら見せてね」

 手をパタパタ振りながら、友梨佳は加耶と一緒に馬場に向かっていった。

 どうか会場に来ているたくさんの人に目に留まりますように。陽菜は友梨佳の背中を見送りながら心の中で祈った。

「それで、あなたは……」

 小田川は陽菜の顔をじっくりと見ながら言った。

「さしずめ、迷える子羊ちゃんってところかしら」

 陽菜はドキッとする。

「見ただけで分かるんですか?」

「今まで何万って人の顔を見てきたのよ。顔の肌質やメイクの仕方を見れば大体分かるわよ」

 小田川は陽菜のメイクを落としながら話す。

「あなたは立ち止まったまま前にも後ろにも進めていないわね。迷いというか、出口の見えない暗いトンネルに放り出された感じ。自分が何者で何をしたいのかわからない。車椅子の状況を鑑みるに、以前は持ってた目標が打ち砕かれてそのまま時が止まっているとか」

 陽菜は自分の心の内を言い当てられ、言葉も出なかった。

「当たらずとも遠からじ。ってところかしら」

 小田川は陽菜にファンデーションをのせる。

「私、中学まで看護師志望だったんです。高専の受験帰りに事故にあって……。 聖書に主は脱出の道を用意してくださっているとあるんですが、私には見えないままで……。 友梨佳みたいに自分にできることややりたいことがある訳じゃなくて。もう高校も卒業で、進路も決めないといけないのに……」

「アルビノちゃんに具体的な計画があるようには思えないけど」

「それでもやりたいことがはっきりしてるだけ、私よりましです」

「まあ、思春期によくある悩みね。ぐずぐず悩んでないで今のあなたができることをやりなさいな。そうしたら自分の可能性に気が付くこともあるかもよ。こんな風にね」

 小田川は鏡を陽菜に向けた。そこには今まで見たことのない大人の女性が映っていた。

「これ、私ですか? 魔法にかけられたみたい……」

「魔法じゃないわよ。わたしはあなたの持っている可能性を引き出す手伝いをしただけ。とりあえず具体的に動いてごらんなさい。そしたら具体的な答えが返ってくるから。その答えがあなたの求めるものかどうかはわからないけどね。だけど、頭の中でグジグジ考えるよりよっぽどまし。まずはこのイベントを成功させなさいな。遥に聞いたわ。高校生にしては良いプレゼンしたわね」

 小田川はメイク道具を片付けると席を立った。

「あの、見ていかないんですか」

「わたしは遥からの借りを返しに来ただけ。借りを返したら長居は無用よ」

 小田川とアシスタントがタープから出ていく。

「あの!」

 陽菜が小田川の背中に声をかけると、小田川はその場に立ち止まった。

「あの、ありがとうございました」

 小田川は小さくため息をつくと、アシスタントからカバンを取り、なかから茶色の革の包みを取り出した。

 アシスタントが、そちらは……というのを手で制し、陽菜の前に置いた。

「開けてごらんなさい」

 陽菜が言われるまま、包みの紐を解いて開くと、10種類の真新しいメイクブラシが入っていた。ブラシの質感だけでも市中のコスメショップで売っているような物ではないことがすぐに分かる。

 陽菜は驚いて小田川を見る。

「私も仕事で使っている一級品よ。あなたはアルビノちゃんと違って将来メイクが必要になるでしょう。女にとってメイクは武器よ。そのメイクブラシを使いこなせるようになったらまた会いましょう。じゃあね迷える子羊ちゃん、アルビノちゃんと仲良くね。あんたたちいいコンビだと思うわよ」

「はい。私の大切なお友達です」

「アルビノちゃん大変ね……」

 小田川はフッと微笑みながら呟いた。

「あの、何か?」

「何でもない。じゃあね」

 小田川はタープから出て馬術競技会場に集まっている観客のなかに紛れていった。小田川に気づいた女性の歓声が聞こえ、だんだんと遠くなり、やがて聞こえなくなった。

 陽菜は馬場で馬に乗ったまま加耶と打ち合わせをしている友梨佳を見る。

 友梨佳が陽菜に気づき手を振る。陽菜も小さく手を振り返す。

 私も自分の仕事に戻らないと。陽菜は長机の中央に置かれているノートパソコンを起動し、エキシビジョンで使用する音源の編集作業に取り掛かった。


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