終わりのはじまり2
『アキさんのことを愛してるんです』
ルーシュが言った言葉に驚き、頭を上げさせようと身体に触れていた手が思わずピタリと止まる。頭を下げた状態の王子様はその体勢を一切崩さないまま言葉を続けた。
「アキさんの最近の言葉も行動にも違和感があって、気になって。あなたがいつもより傍にいてくれなくなって、甘えてくれなくなって、距離が空いて寂しくなりました」
震えている声でゆっくりと伝えられるそれは誠実な言葉に聞こえる。まるで彼の本心かのように語られる内容に頭が追いつかない。言っている内容は理解できるが、なぜ『そんなこと』を言っているのかが分からない。
「それでもし何かあったのであれば、どうして話してくれないんだろうって思って、どうにか力になりたいのにってもどかしく感じました。それで、アキさんのことを本当に、心から愛してることに気づきました」
ルーシュの言葉しか聞こえない部屋で、遮ることもできずに立ち尽くす。どうして、なんでそんなことを言っているのか。責めたいわけでも言い訳が聞きたいわけでもない。ただ聞かれたから事実を伝えただけだ。それなのにこんなに身体を固くさせて、声を震わせて、頭を下げ謝罪をして。まるで許しを乞うているかのように見える。
何でそこまでしてルーシュはこんなことをしているのだろうか。俺との関係を解消しても困ることなんてなにもないはずなのに。
……いや、待て。ああ、そうか。
そういえば自分が言葉足らずであったことを思い出して、途端にルーシュの態度に納得がいった。心の中で手のひらに拳を打ちつける。
「あ、あいしてるんです。毎日、あなたのことを考えてて、どうしたら笑ってくれるだろうって、最近そればかりで。は、はじまりが、最低なのは分かっています。ほんとに、本当にすみません。取り返しがつかないことをしたことも理解してます。……でも、でもアキさんが、好きなんです……! だ、だからっ」
「許すよ」
なるべく優しくそう囁くとルーシュがバッと顔をあげる。縋るような今にも泣いてしまいそうな顔だった。こんなに思い詰めさせてしまって、悪いことをしてしまったなと胸が痛む。
「アキさ」
「ルーシュがしたことを他に言うつもりもないし、この話もこれっきりにする。それに関係を解消したからって言って国から出るつもりもない」
「……ア、キさん?」
そうだった。別れを切り出しただけで、王族の務めであるこの国を守るための『俺をこの国に縛る』ことを担保していなかった。このままでは責任感が強いルーシュが別れを了承できないに決まっている。そのため、別れたとしても問題がないことを伝えたつもりであったが、アイスブルーの瞳は困惑に揺れたままだ。
「あ、でもごめん。まだこの城を出て暮らす準備はなんにもできてなくてさ。だから悪いんだけど、当分の住処と職については用意してくれないか」
「な、にを、いって……」
「別れたからと言ってルーシュ達が俺をここへ呼んだ理由を無碍にすることも、この国から離れるつもりもないよ。ルーシュがしたことを怒ってもないし責めるつもりもないんだ。これまで親切にしてくれたし。そりゃ知った時はちょっとショックだったけどさ、国のためだったらしょうがないよな」
まだ説明が足りなかったかと思って、少しでも安心できる材料になればと言葉を重ねる。だけどルーシュの表情も顔色も変わらない。むしろ頭を上げた瞬間は少しマシになっていた顔色は、また数分前の土気色に戻りつつある。
「だからさ、『また』嘘はつかなくていいんだ。今は俺を愛してるなんて、そんな嘘をもう重ねる必要ないんだよ」
ルーシュの喉からヒュッと息を吸い込む音がする。
そうだ、もうお前はそんな無理矢理な嘘を重ねる必要はない。ルーシュが傍にいなくても俺はこの国で生きていくよ。だからルーシュは自分に相応しい綺麗で賢くて優しい、そんな素敵な人と愛し合って幸せに暮らしていっていいんだ。こんなおじさんに人生を捧げる必要なんてない。
安心してほしくて子どもにするように頭をそっと撫でるが、ゆるゆると首を左右に振られる。
「う、うそじゃ、うそじゃない。アキさ、ちが」
「こんなおじさんにこんな綺麗な子が付き合ってくれるなんて、そんな話あるわけないよな。ハハ、俺モテなかったからすっかり舞いあがっちまって恥ずかしい。ごめんな、ここまで付き合わせて。それに俺の説明が下手だったからまた要らない嘘つかせちゃった」
「ちがっ、アキさん、違うっ……! アキさん、僕アキさんのこと好きです! 愛してるんです!」
さっきよりもずっと震えているが力強い声で叫ばれる。縋るように抱きしめられて、まだ渡される愛の言葉に困った顔で笑うことしかできない。これ以上どう伝えたらいいのだろうか。いっそ王様や王妃様を介した方がいい気がしてきた。初対面の時に二人のことを同い年かそれより少し上だと思っていたが、実際はずっと年上だということを王城に暮らすようになってから知った。美形とは恐ろしいものだ。賢くて優しい、それでいて息子想いの彼らであれば上手く話も通るだろう。
どちらにしろ、今目の前で見たこともないくらい取り乱しているルーシュとまともに話ができなさそうで、どうしたものかと考える。
「分かった。分かったからもう大丈夫だから」
「分かってないっ……! アキさんのことおじさんだなんて思ってないです! 嘘もついてない!」
宥めることもうまくいかず、更に力を入れて抱きしめられる。今この状況で抱きしめ返すのも違う気がして、だらりと腕を垂らしたまま突っ立っていることしかできない。
「……ルーシュ。抱きしめるとか、こういうのももうしなくていいんだ、っン!」
彼の名前を呼ぶと苦しさが和らぎ、次の瞬間顔が掴まれて唇に衝撃がはしる。
視界いっぱいにルーシュのぼやけた顔があって、いつも丁寧で甘い彼らしくない乱暴なキスをされたことを遅れて認識する。勢い余って顔をぶつけたからか、唇に歯が当たったようでじんじんと痛む。ゆっくりと顔が離れていったかと思えば、やっぱりルーシュの唇は切れていた。恐らく俺も同じような状態なのだろう。
だが自分の痛みよりも衝撃よりも、視界に映ったルーシュの表情が痛々しくて息を呑む。怪我した箇所の血を拭うように指でそっとルーシュの唇をなぞった。
「……こんなことさせてしまってごめんな」
また、こんな綺麗な子に悪いことをしてしまった。
薄く笑いながらそう告げると、ルーシュの見開かれた綺麗な瞳から光がフッと消えたように見えた。ぴったりとくっついていた身体はふらりと一歩、二歩と後退する。
明日、王様や王妃様も交えて話をしよう。何も言葉を話さなくなってしまったルーシュの背中を押して、部屋の外へと誘導する。色々言いすぎてきっとルーシュも混乱しているだろう。一晩ゆっくり考えて、それで睡眠をしっかりとった後であれば幾分か冷静になれるはずだ。
「また明日話をしよう。とりあえず今日はお休み、ルーシュ」
挨拶をして扉がぶつからないように、ゆっくりと閉める。扉越しに声は返ってこなかった。