はじまり
ごく普通の家庭で育ち、ごく普通に学校に通い、可もなく不可も無い企業へ就職。繁忙期にはそれなりに忙しいが閑散期には定時に帰り、たまに同僚と飲みにいっては、部下の相談も受けつつ、会社から一時間程度のマンションで週末はのんびり過ごす。そんなごく普通の人生を送っていた。周りはもうほとんど結婚してしまっていて、あとは秋だけだななんて学生時代の友人にはよく言われていた。
三十も過ぎてしまったが、結婚願望と言われるとピンとこず、不細工とまでは言わないが特に女受けするような容姿でもないため正直諦めているところもある。やたら男友達は多かったため、まあこのまま独身貴族として過ごしつつたまに友達と遊んで暮らすのも悪くはないかと考えていた矢先、職場からの帰り道で通り魔に遭った。
背後から誰かにぶつかられたと思ったら、背中は熱いし力が抜けていく。違和感から背後に回した手を目の前に持ってくると、ベッタリと血が着いておりその瞬間痛覚が猛烈な働きをし始める。立っていられずにその場に倒れると、遠くから叫び声が聞こえてぼやけた視界に駆け寄ってくる人と逃げていく人が見えた。
だけど、それ以上意識を保っていられずそこで記憶は途切れる。
そして、次に目覚めたら燦々と光が差し込む部屋に俺はいた。床に寝転んだ状態だったようで、恐る恐る上体をあげてペタペタと背中を触るが痛くもないし、手に血もつかない。
「ようこそおいでくださいました」
「……へ?」
状況が理解できずにようやく周囲に視線をはしらせたところで、深々とお辞儀をする人間たちに気がついた。まともな返事ができないまま、ただぽかんと眺めているとその数人はゆったりと頭を上げる。
顔が見えた時、自分は死んで天国に来たのだとそう悟った。そして、迎えの天使達が来てくれたんだと思った。それくらいの美しさ。テレビ越しであるが、世間を騒がす俳優や今をときめくアイドル達を知っている。知っていてなお、これまでの人生の中で相対したことがない美しさのひとたち。
『次元が違う』、『この世のものではない』
並外れた美しさを表すどの言葉も当てはまった。あまりの情報量にあてられて、何も言葉を発することができない。ちなみにこれらの言葉全てが本当にあっていたことに気づいたのは数分後の話だった。
自分より少し歳上だろう男性が一人、自分と同じくらいの女性が一人、そしてその二人の間に若い美丈夫が一人と、小さな男の子と女の子が一人づつ。目の色も髪の色も同じ彼らの血が繋がっていることは容易に想像がついた。そしてその後ろに数名、目も髪もバラバラの頭を下げたままの大人達。
「突然で申し訳ございません。飲み込み難い内容かと存じます。ですが、状況の説明だけさせていただけないでしょうか」
「は、はぁ」
歳上の男性が口を開く。頷くことしかできない俺へ丁寧に説明された内容は確かに受け入れ難い内容であった。
曰く、異世界へ呼ばれて今俺はここにいるらしい。この国の名前はランディール国。王族達により統治されている魔法と愛を重んじる国であるとのことであった。目の前の天使達、いや王族達が呼んだ張本人であると。この国は数百年に一度、大きな天災の被害に遭うとされており、それを未然に防ぐためには異世界からの人間が必要らしい。ちょうどその天災が発生するのが来年となってしまい、王族に代々伝わる魔法により異世界から俺を召喚したとのこと。
そして、召喚された俺は日本で死んだこととなり二度と元の世界には戻れないと再度頭を下げて告げられた。この国を救うために、我々によって殺されたようなものだと言って天使達は謝罪を口にする。
あまりにぶっ飛んだ話過ぎるが、今のこの状況も目の前にいる人たちも今までの人生の中で遭遇したことがないものばかりのため信じざるを得ない。
「そっか……」
「本当に申し訳ないことをした。なんと責められてもしょうがない。ただ、呼んだからには貴方が求める願いをできる限り叶える所存です。欲しい物も願いも我々が用意いたします。不自由ない生活は保証いたしますので、どうか」
「いや、うん。大丈夫ですよ、ああ、えっと大丈夫ではないか……」
「え?」
覚悟を決めた面持ちで話す王様に向かってへらりと笑う。あまりに気の抜けた顔をしていたからか王様も固まる。
とんでもない状況と、理解できない説明。至って平凡な俺には一つだけ長所があって、それは柔軟な対応力を持っていることだった。楽観的すぎる性格も幸いして、もう来てしまったものはしょうがないかと判断してしまっていた。そもそも自分は刺されて倒れたのだ。死んでしまって、その時にたまたまこの人たちが呼び、転生した可能性もある。もしかするとこの人たちが呼んだから刺された可能性もあるが、きっと前後関係なんて問い詰めても分からないだろう。
それであれば、第二の生を得られてラッキーだと思おう。
「ご事情は分かりました。貴方達は異世界から人を呼ばなきゃいけない事情があって、それで俺を呼んだ。俺はそれに応じてここに今存在する。俺はこの世界のことを知らないので貴方達が生活を保証してくれる。それであっていますね?」
「あ、ああ」
「この後、落ち着いた場所でもっと詳細を教えてください。…っと、そうだ。とりあえず」
その場で立ち上がり、ペコリとお辞儀をする。
「佐藤秋と言います。佐藤が家の名前で、俺個人の名前は秋。どうぞよろしくお願いします」
「……アキ様。私はランドルフと申します。こちらこそ理解を示していただけたこと、国を代表し感謝いたします」
「ああ、敬称は結構です。お言葉もお気遣いなく」
「そうですか。ほら、お前達も」
ようやくホッとしたように微笑んだ王様は、一列に並んでいる天使達に視線を向ける。次々と現代日本ではあまり見かけない優雅なお辞儀と名乗りをされて、その度にペコペコとこちらも頭を下げる。自分と同じくらいに見える女性が王妃様、そして間の三人は王様と王妃様の子ども達であった。後ろに下がっていた人達はこの王様達に仕える方達で、後日紹介を行うと告げられた。
「アキ、いきなりの事で疲れたでしょう。まずはお部屋へ案内いたします」
「父様、私が」
凛とした声が響き、美丈夫がその長い足で一気に間合いを詰めて俺の目の前まで来る。案内してくれるのかと呑気に見ていると、目の前で跪かれ手を取られた。
「へ⁉︎」
「アキ様、私、ルーシュがお部屋までご案内いたします」
「へ、ァ、あ! お、お願いします!」
まるでお姫様のように掴まれた手の甲にキスを贈られて、その真っ青な透き通る瞳をとろりと溶かして笑みを贈られる。
さらりと頬にかかる金糸も、絵本から出てきたかのように整ったパーツも、芯があって低い声も。今から思えば、きっとその全てに一瞬にして心も目も奪われてしまった。
慌てて返事をするとクスクスと笑われて、そしてそっと手を握られる。
「城の中は広いので、このままで」
「えっ⁉︎ え、いえ、俺三十も過ぎてるし別に手は繋がなくても」
「ちょうど十歳差ですね」
「じゅっ……⁉︎」
「? なにかありました」
「いや、気を失いそうになっただけです。ああ、ルーシュ様もこちらにお気遣いなく」
「ふふ、そしたらアキさんもルーシュと呼んでください。アキさんこそお気遣いなく」
手を引いて歩くルーシュの瞳は優しく笑みを作ったままだ。身長もそれなりに大きいし、がたいが良いわけではないが既に大人の体型であったため、ある程度年齢はいっているものだと思っていたがまさか十も差があるとは。顔のせいで全く歳が分からなくなってしまっている。すっかり年齢差に驚いてしまったため、手を繋いでいる事は頭からすっぽ抜けてしまっていた。
「ああ、よろしくな」
「ええ。こちらこそ」
謎の人間である俺とルーシュが手を繋ぎながら城を歩いているため、通りがかった人達がギョッとしながら慌てて頭を下げる。それに驚く俺を見てルーシュがおかしそうに笑う。
これが俺とルーシュのはじまりだった。