仮面の夫婦
穏やかな昼下がり、眩しすぎない適度な太陽光が差し込む執務室。
カリカリとペンを走らせる音は室内に二つ響いており、そのうち一つがピタリと止まる。
「……」
「……ア、アキさん! 今日のお昼、前好きだって言ってた鹿肉のシチューだって聞いて」
「お、やった。朗報だな」
「! あの、今日天気もいいし良かったら外で一緒に」
「あー……、ちょっと確認したいものあるから昼は自分の部屋で食べる予定で、だな」
「え、あ……。そ、そっか。分かった」
「……」
「……」
どうしてこうなった。
話を振ってきたルーシュは『しょんぼり』という効果音が聞こえて来そうなほど、覇気をなくした顔をしてまたペンを動かし始める。心なしかペンの音にも力がない。
執務机にはルーシュ、応接用のテーブルセットには俺。なぜかこれまで通り、二人して同じ部屋で仕事を捌いている。気まずいにも程があるだろ。何もかもが予想外で、ルーシュには聞こえないよう小さくため息をついた。
俺が何もかもを吐いた次の日の朝、まあまあ睡眠不足な状態で自室の扉を開けると、恐らく一睡もしていないであろうルーシュが幽鬼のような顔で立っていた。腹筋がないおかげで悲鳴が悲鳴にならず、『ヒェ』と力ない声だけが溢れる。あの時叫ばなかったことについて、ルーシュはもっと感謝してくれてもいい。
慌てて部屋に引っ張り込み、まさかずっと一晩ここに立っていたのかと聞くとそうではないと答えられる。
『部屋には戻った、けど、寝れなくて』
『全く寝てないってことか?』
全く良くなっていない顔色を見てそう聞くと、一瞬視線をさ迷わせたあとこくりと頷かれる。
『え⁉︎ 俺の部屋でいいから一回寝ろって』
『それより、昨日の話をさせて欲しくて。また明日ってアキさんが言ってくれたから……』
『話は寝たあと! そんな今にも倒れそうな顔して話なんてできないって』
『僕、昨日部屋帰ったあと考えてて』
ルーシュが思いつめた顔で話し出すものだから、冷や汗が流れる。こんな状態のルーシュと話をしても、絶対にお互いにとっていい結論が出せると思えない。そもそもこの状況を避けるために昨日は部屋に帰したのだ。
言葉を遮って、手首を掴みズンズンと部屋の奥へと連れていく。幸いなことに抵抗されずに着いてくるので、そのままベッドまで引っ張っていき、ついさっきまで寝ていたマットレスをポンポンと叩いた。
不思議そうな顔をしながらも寝るように伝えると大人しくベッドに吸い込まれていく。
『ここでもいいからひとまず寝てくれ。適当に周りには言っておくから』
『……ここで寝てもいいんですか』
『いいよ。今自分の部屋に帰って寝られそうだったら、戻ってもらってもいいんだけど』
『こっ、ここで寝る』
毛布を引っ張り上げて寝の体勢を取られるから、ポンポンと胸のあたりを叩いた。ルーシュの目が驚いたように見開かれて、そこで自分が何をしたのかようやく気付く。まずい、いつもの癖でついやってしまった。急いで手を引っ込めるより先に、手首をルーシュに掴まれた。
『ア、アキさん、あの、寝ます』
『う、うん』
『寝るので……、寝るのでこれだけ聞いてください』
そしてルーシュがぽつぽつと話したのは、昨日の話を踏まえて俺の要望通りに市街地に住居や仕事を用意するということ、またそのための援助の準備も行うというものだった。ただ、すぐに用意することは難しく、準備ができるまでしばらくは今まで通りここで暮らして欲しいと言われる。
昨日の反応を見た限り、冷静な話が難しいのではないかと考えていたが、想像より現実的な提案をされて驚いた。拒否する内容でもないため素直に頷くと、安心したかのようにルーシュは息を吐き出す。
『あと、まだ王宮の中でも外でも婚約者同士ということにして欲しいんだ』
『外はまだしも、中もか? もう王様達やよく知っている侍女達には言ってしまってもいいんじゃ』
『……根、回しが何もできてない。婚約者という立場になってしまってる以上、どんな噂が流れてもおかしくはないし、この城のみんなはもちろん悪い人間ではないけど。……どちらかというと、僕の味方にまわると思う』
『……あー、なるほどね』
つまり、準備せずに公表した場合、別れた瑕疵が俺にあるという話が出てしまい俺が悪者になる可能性があると。それを危惧しているルーシュは、穏便にことをおさめるため準備が整うまでいつも通りにしていて欲しいと言う。その点についても説明に納得ができたため了承すると、俺の手首を掴んでいた手からようやくゆるゆると力が抜けていった。
そのまま手がパタリとシーツの上に落ちていき、瞬きの間隔が長くなっていく。もしかして、この提案を俺が承諾するかどうか心配で寝られなかったのだろうか。
『眠たくなってきた?』
『……うん。ここアキさんの匂いがして安心する』
『えっ、臭い?』
『くさくない、ほっとする。大好きなにおい……』
『……ルー』
『アキさん。もし……、もしも、いつか僕の言葉を信じてもいいかなって思ってくれる時が来たら。いつでもどんなタイミングでもいいから言って欲しい。おねがい』
『え、っと……』
突然言われた台詞になんて返していいか分からず、困ったように笑いながら言葉を探す。だけど俺が適切な返しを思いつくより早く、ベッドからすうすうと寝息が聞こえてきた。
ルーシュが今何を言わんとしていたかは理解している。だが、さっきまでの城を出るための提案と、寝る直前の台詞が相反していてどう捉えればいいのか分からない。
(……今考えてもしょうがないか)
言った張本人はすやすやと寝てしまっている。答えも求められていない。それであれば、どれだけここで悩んでも時間の無駄だろう。
早々に考えることを放棄した俺は、とりあえずルーシュが午前中使い物にならないことを伝えるために部屋からそっと抜け出した。
それからは、ルーシュの提案通り今まで通り過ごすこととなった。
あの日何もかもを吐いた時には、てっきりすぐ離れ離れになって、今までの関係は一切なくなるものだと思っていたのになぜか婚約者という関係も継続してしまっている。なんであんなことがあったのに、今もまだ一緒にいるのだろうか。こんな予定ではなかったのに。
「ルーシュ」
「! なに、アキさん!」
しかも、こっちは微妙な気まずさを感じているのに、当の本人はワンコよろしく俺が何かをする度に目を輝かせて嬉しそうに呼びかけに応じてくる。二人で仕事をしている時なんて、誰の目もないから話しかけないようにしようと思っていたのに、あの日以降ルーシュがたくさん声をかけてくる。
一体どういうことだ。
「あー、えっと、再来週の一緒に出席するパーティのことなんだけどさ」
「うん! 服はもうすぐ仕立て終わるって聞いたし、あっ、アクセサリーはどうしようか。今度ひとを呼んで」
ニコニコの笑顔でこちらに応答するルーシュに気圧されながらも、なんとか話そうと思っていた内容を切り出した。言ったはいいものの、言葉尻が小さくなっていく台詞に被せるように、あれやこれやとパーティに関する話を振られてしまう。振られれば振られるほど、話そうと思っていた本題が話し辛くなり、恐る恐る手を挙げた。
「それ、って俺欠席じゃだめかな」
ハハ、と乾いた笑いと共に提案してみると、さっきまで嬉しそうに笑っていたルーシュからあっという間に表情が消え去った。




