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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

山の上の薬師様

作者: 沙河泉

 短編小説です。ちょっと書いてみようかなぁと思ってみました!楽しんでいただければ幸いです。

「————上!いくら何でもやりすぎです!」

「ふむ。しかし・・・っと」

「だから!———すぎなんです!今日という今日は――――」

「なんじゃ?何か言いたいことがあるなら――――」

「———ください!」

「ふむ――――は、余に――――と」

「そこまでは・・・。ただ――――ください「わかった」へ」

「そうか。これが、有名な追放というやつじゃな!ふむふむ」

「いやっ・・・あの・・・」

「さすれば。余の仕事もここまでか。あとは頑張るのだぞ!」

「あっ・・・えぇ!おまちくださ―――――」


――

―――

――――


「ふむ。だいぶ懐かしい夢を見たのだが・・・。彼奴は壮健であろうか。まぁワシは追放された身であるからな。心配しても、筋合いはないと怒られるだけか」


「薬師様~!起きてますかぁ?」


「うむ。たった今起きたところじゃ!しばし待っておれ」


 彼は扉の外から聞こえる元気な声に、確りとした声で返答を返した。ベッドの上から降り、洗面所へと向かう。丸木で作られたであろう家屋であるが、内装はそれとは似つかないほどの設備を持っている。風呂にトイレにキッチンに。それに工房と小さな店舗設備まで。見た人に知識があるなら「駄菓子屋さん!?」と思うような設備だ。あいにくそんな知識を持つような人間はいないのだが・・・。

 

 薬師様と呼ばれた少年は、洗面台へと向かう。鏡まで備え付けられている。見た人に知識があれば、「現代風じゃん!」と驚くだろうが、こんな奥向きまで他人は入ってこないので、知る由もない。


「ふむ・・・。こんなものか」


 銀色の髪に藍色の瞳。少しあどけなさの残る少年の顔が鏡に映る。年の頃は15~16歳ほどか。薬師という割には、引き締まった身体をしている。顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、服を着替え、声がした扉へと向かっていく。


「毎日ありがとうな。メイ」

「えへへ。おかあさんが、どうせ薬師様は朝ご飯を食べていないだろうから持ってってあげな!って」

「あぁ。メイの母上には頭が上がらぬな。その通り。朝食はまだだ。何なら、メイが来る少し前に目が覚めたのでな」

「あはは!寝坊助な薬師様!」

「ふむ。日がな一日、好きなことを好きなだけやっていると、寝る時間が遅くなっていかんな。っと、茶ぐらいは出さねば。中に入りなさい」

「お邪魔しまぁす!」


 メイと呼ばれたこの少女。年齢は8歳ほどか。赤茶けた少し癖のある髪に栗色の瞳。人懐っこい印象を持つ。麓の村で、父母と3人で暮らしている。毎朝、この家に朝食を運んできてくれる彼女の家は、宿屋兼食堂を経営している。村には宿屋が多いが食堂を兼ねているのは、彼女の家だけだ。村人たちから「あそこの家に勝てる料理は出せない」とのことだ。


「今日は、白パンにサラダにほう!ジャガイモのスープか」

「うん!畑やってるおじさんが、いっぱい穫れたからって、箱がたくさんうちに来たんだ!おとうさんが、毎日ジャガイモ料理だぁって叫んでた!」

「ほうほう。麓の村でも豊作になる作物が出てきたか」

「うん!」

「メイもここまで元気になったしな」

「えへへ・・・」


 薬師の目の前に座るメイという少女は、ある時血相を欠いて尋ねてきた、父親の腕にぐったりと生気のない様子で抱かれていた。命の灯はすでに消えかけていた。しかし、彼が調合した薬によって、みるみると容体は回復し、今は元気に生活をしている。


「メイがここに運ばれてきたのは・・・4年前だったか。あの時は驚いた。ワシはそこまで強くはないが、阻害の魔法をかけておったのだがな。この場所と、店の中を見て―――」


――

―――

――――


「突然申し訳ねぇ!不思議な看板を見て、いてもたってもいられずに突っ込んだら、この場所に出たんだが!あんたは、魔法使いか!?」

「うん?なんじゃ藪から棒に。お主は何者だ。んん!?その腕に抱かれたいる幼子はどうしたのじゃ!」

「あぁ・・・。俺の娘なんだが、昨日の晩は元気だったのに、今朝になってぐったりとしちまって・・・。熱もあるし、呼びかけにも応じなくて」

「———!よい!中に運べ!」

「あっああ!」


 メイの父親は、薬師に進められるがまま彼の家の中に入り、指示された場所にメイをゆっくりと横に寝かせた。


「これでもない。あれでもない・・・」

「あんた・・・」

「黙っとれ!今探すのに集中しておるのじゃ!」

「・・・」

「あった!この薬であれば、幼子にも効くであろう。昔、息子に使ったものが余っていてよかったわい」

「・・・息子?その見た目でか?」

「んん!それよりもじゃ。この薬を気化させて吸わせる。娘の身体の上半身を起こせるか」

「あっああ」


 父親は、メイの上半身を支え起こす。彼女の呼吸はここに運ばれてきた時よりも荒くなってきている。すでに意識はない。力が抜けておりぐったりとした様子。その様子を横目で見ながら、薬師はテキパキと薬を用意していく。ガラスの瓶に入った、薄緑色のサラッとした液体を気化させて、吸わせるらしい。


「本当は、飲ませた方が効果はあるのじゃが・・・。意識がないのでは仕方がない。っと。温度はこの位かの。『ファイア』っと。」


 耐熱瓶であろう厚底の容器に入った件の液体は、少しずつ熱が加わったことで湯気を生じさせた。薬師は『ウインド』と唱え、メイの鼻腔に湯気が届くよう風向きを調節させた。


「魔法使い・・・?薬師・・・様?」

「ふむ。薬師か。良いの!これからは薬師で通すか。良い通り名をもらった。其方、名を何という。余はシルトという」

「薬師様はシルト様っていうのか。俺は、シウン。見ての通り、メイの父親だ」

「シウンというのか」

「っと!シルト様!メイの様子は・・・」

「ん?よく見てみぃ。呼吸が整っておるじゃろう」

「おぉ・・・」


 薬師改め、シルトに促されシウンがメイに視線を向けなおすと、彼女の呼吸は「すぅすぅ」と穏やかなものになっていた。表情も血色も良いものになっている。


「あぁ・・・。一時はどうなることかと思ったが。シルト様。ありがとうな」

「なに。たまたま手元に薬があり、お主がたまたまここに運び込んだことで、彼女が助かったのだ。東方の国には『一期一会』という言葉があるそうだが・・・」

「なんとなくこの場合は、『数奇な縁』といった方がよい気がするんだが・・・」

「ほう!お主・・・いやシウンは博識じゃな!」

「いや・・・そのシルト様が言った、東方から流れてきたんだよ」

「ふむ・・・。その【シルト様】というのはなんだかむず痒い。シルトで良いぞ」

「おぉ。ありがとう。しかしあれだな、シルトの見た目と言動が一致しないんだが・・・。その話し方はなんか変だ」

「そうか・・・。であれば、話し方を変えよう。これでどうかな」

「うぅん・・・。まだ若干変な気がするが、まぁさっきよりかはいいかな」

「ふむ。ではこの話し方でいこうか。そうだ。少し待っていてくれ」


 シルトはそう言って、奥の部屋へと姿を消した。少し冷静になったシウンは、自分の周りを見渡してみた。雑多に置かれた瓶がそこかしこに置かれている。ほんの少し、草の匂いもする。見上げてみれば、自身がよく見る傷に効くと言われている薬草から、渦を巻いた不思議な草に、毒々しい色味の実が干されている。薬に使うのか・・・。何に使うのかはわからないなと心の中で呟きながら、シルトが入っていった奥向きに目を見やると、キッチンが見えた。どう見ても調理なぞはしていないな。そう思えるほど、異質なほどに綺麗であった。


「待たせたな」

「いや。それよりもその手にあるものは?」

「これか。これは、ヤルキデル(ぞう)とミナギル(ぞう)を粉末にして、リンゴの果汁でコーティングした丸薬だ。これを5日分出す。効果的には、大人に出すものの三分の一の薬効だが、体力を消耗しているときに、多くの薬を飲ませると逆効果になってしまうからな。ゆっくりと体力を回復させて、自己治癒力を高めるそんな薬にしている。朝昼晩と飲ませるように」

「ほぉ・・・って薬!?」

「そうだが?」

「いったい・・・いくら払えば・・・」

「そんなことは気にするな。お主には色々とアドバイスをもらったからな。それが対価だ」

「いやいやいや!それじゃ絶対に釣り合わないぞ!」

「気にすることはないぞ?」

「・・・。それじゃぁ俺の気が済まねぇ。娘の命を救ってくれた恩人に、何もしないってのは男が廃る。そうだ!シルトは料理はしているのか?」

「まぁ・・・近くで獣を狩って、それを捌いて焼いて食うくらいはしているが」

「俺が、毎日食事を提供する!なに。これでも麓の開拓村一の料理人って言われてるんだ!味は保証するぜ!」

「いや・・・しかし。ワシは使いかけの薬を使ったのと、自分では試せない。しかし効果は保証されている薬を提供したに過ぎないのだが・・・」

「わけぇ奴が遠慮するな!メイが元気になったら一緒に届けに来る。それまでは、俺が届けに来る」

「シウンより確実に年上なのだが・・・」

「なんか言ったか?」

「いんや。せっかくの好意を無下にしてはいかんな。野味あふれる食事も飽いてきたところ。食事の件、よろしく頼むのじゃ」

「口調、戻ってるぞ。いや。頼まれた!期待していてくれよ!」


――

―――

――――


(あの時運ばれてきた娘も今年で9歳か。健康そうで何よりだ)

「・・・?どうしたの?薬師様?」

「いや。メイが元気になって良かったなと」

「あは!変な薬師様!でも、メイが元気でいられるのは、おとおさんがここまで運んできてくれて、薬師様がお薬をくれたからだもんね!ありがとう!ねね!気になっていたんだけど・・・」


 そうメイが言う、視線の先はシルトの後ろにある緑の山に固定されている。それは、昨日にシルトが採ってきた未分化の薬草の山であった。


「ふむ。興味があるのか?」


 シルトがメイに問いかけると、彼女は満面の笑みを浮かべた。その理由を問うと

「うん!だって、メイに元気をくれた葉っぱさんたちでしょ?いろいろ知りたいなって!」

 と快活な返事が返ってきた。


「そうだな。これからも何があるかはわからない。自分で自分を癒すことができるための知識を得るのも良いことだろう。ただし、今日はやめておきなさい」

「なんで?」

「今から教えるとすると、少なくとも日が沈むころまでかかるだろう」


 そういって、シルトは壁に掛けてある時計に目を見やる。なかなかに高価なものであるが、色々とおかしい家である。時計があったところで何ら不思議ではない。メイも元気になり朝食を運んでくるようになって2年余り。時計の読み方に関してはシルトから教えてもらっている。村には時計はないが、日の傾き方で凡その活動時間は決まってくる。時計がなくともメイは確りと両親に心配をかけずに行動ができる娘である。なので、シルトから言われた言葉を聞き、彼の視線の先にある時計を見て、何故ダメなのか確りと理解した。


「あっ!もうお昼を過ぎてるんだ!日が暮れるまでここにいたら、おとうさんもおかあさんも心配しちゃう!」

「うむ。今日ここにある分はもう加工してしまうからな。また明日に。来るときは必ず両親に言ってからくるように」

「はぁい!」

「そうだ。少し待っていてくれ」


 そういうと、シルトは奥へと引っ込んでいった。メイは何かなぁ?と考えながら椅子に座っていることで床に届かない自身の足をフラフラと揺らして、彼が帰ってくるのを待った。

 

 ほどなくして彼が戻ってくると、その手には封がされた手紙が握られていた。


「これを両親に渡すと良い。中身は、メイが薬草に興味を持って、学びたいと言っている。と書いてあるからな」

「ありがとう!薬師様!」

「うむ」


 シルトがメイに手紙の内容を話し手渡すと、一気に花開くような満面の笑みを浮かべた。彼女は椅子からヒョイと降り、持ってきたバスケットを手に取って「早く帰らなくちゃ!薬師様。また明日ね!」と元気に言って、シルトの家を後にしていった。


「ふむ。あの歳になると色々と興味を持つからな。まぁ、あの両親であれば反対はせんだろうし、村に新たな薬師が誕生することも近いであろう。それよりも、この薬草を分別して薬を作るとするか」


 シルトはそう独り言を言って、自身が摘んできた薬草の同定と分別を始めた。


「やはり、手当たり次第に摘んでくるのは、後々面倒だな。それよりも、この辺り一帯を開墾して、薬草園を作る方が早いか・・・。ヤルキデル草にミナギル草、ゲンキニナル(ぞう)なんかは栽培が可能だしな。それに・・・やはり摘んでいたか。紛れて生えるヤルキデ(そう)にミナギリ(そう)、ゲンキニナリ(そう)と分けなくても済むからな。前者は葉先が尖って、全体的に色が濃いのに対し、後者は葉先が丸いという特徴以外は色は同じ。よく間違える薬草だからな。効能は、確り効くのと、あれ?なんだかちょっと元気になった?という似て非なる効果だからな。少々面倒であるが、安定供給と分別作業の手間を考えると栽培した方が良いか。しかし、野生種と比べると肥料や栽培方法によっては回復量に差が出てしまうし・・・うぅん・・・」


 シルトが一人悩みながら作業をしていると、扉を叩く音が聞こえた。


「ふむ。なんぞ誰か何か用か。今出るから、あまり強く扉を叩かないでくれ」


 扉を叩く音は少しばかり強い。どう考えても先程帰っていったメイのものではないだろう。内装は綺麗であるが、外装は木造(多少?強化魔法で強度を増しているが)なので、強い力で叩き続ければ扉が壊れてしまう(かもしれない?)し、何よりシルト自身が良い気がしなかった。「なんぞこの引きこもりに用かね」と、扉越しに不愛想な挨拶になってしまっても仕方のないことであろう。


「下の村で、ここに大層腕の立つ薬師がいると聞き、こちらを訪ねた。至急の要件がある」

「ふむ。要件があるのならまずは名乗るのが礼儀ではないかね」


 少しいじわるかとも思ったが、扉の先には複数人の気配がする。それに、なんだか殺気立っているようにも感じたため、用心を越したことにはないな。と心の中で呟くシルト。(まぁ、何人来ても返り討ちにするが)


「これはすまぬ。麓の村より3kmほど離れた領都から来た。アインツ公爵領の者だ。取り急ぎ相談したいことがあり、こちらに参った。何度か山に入ったがこちらに尋ねることが叶わず。いよいよ雲行きが怪しくなってしまい、少々冷静さを欠いてしまった。不躾な訪問となり大変申し訳ないが、話を聞いてはもらえぬだろうか」

「ふむ。そういうことであれば。しかし、其方からは感じぬが、近くにいる者たちからは言い知れぬ気配を感じる。扉を開けた拍子に切りかかられたり捕縛されてはかなわぬ。どうにかできぬか」

「・・・。下がれ」「しかし!」

「一刻も猶予のないこと。ここで気分を害されては―――」

「畏まりました。麓の村にて待機しております」


 扉の前に立つ男は、数人の部下を持つ上官なのであろう。男?の一言で、周囲にいた気配が遠ざかっていくのを感じたシルトは、すぐには戻ってこられないであろう距離に至るまで気配が後退するのを感じ取ってから扉を開けた。


「中に入り給え」

「・・・お邪魔する」

「ふむ。見た目が若すぎて驚いたか」

「・・・」

「沈黙は肯定ととるが。フードを目深に被って人を訪ねるとは・・・。麓の村人たちは大層いぶかしんだであろう」

「・・・麓の村での聞き込みは、部下たちが行っていた故、何ら問題はなかった」

「そうか。まぁ玄関先での立ち話もなんだ。掛け給え」

「・・・失礼する」


 いくらかシルトより上背があるフードを被った人物は、椅子を引きそこに座った。緑茶しかないが。と問うと、「いただこう」との返答が返ってきた。季節は夏を迎えようとしている水の月も後半だ。熱い茶より冷えたものの方がよいと考えたシルトは、氷魔法を使ってお茶を冷やし目の前に座る人物に提供した。


「冷たい・・・。この外もそうだが、この格好も暑かった故、この冷たい茶は大いに助かるが・・・。見たところ氷冷機が見当たらないが・・・」


 氷冷機とは、最近大貴族の間で徐々に広まってきている魔石を使って稼働する、低温を一定に保つことができる魔道具だ。大きさもさることながら、魔石の交換頻度も多く膨大なコストもかかるため、一握りの貴族しか持てないのが現状だ。


「初めて入った人の家を詮索するのは感心せぬな」

「これは失敬。しかし、何故このように冷たいものが供されたのか気になってしまってな。確かに、礼を失する一言であったな。申し訳ない」

「なに。あまり気にはせぬが、そんなに一薬師に謝罪を述べてもよいのか?」

「・・・なにか」

「まったく・・・。扉を乱暴に叩くからてっきり男かと思ったが。まさか、アインツ女公爵自らがここに来るとは思ってもみなかった」

「・・・」

「沈黙は肯定ととると先ほども言ったが。まぁよい。最近、女公爵は臥せりがちと聞いていたが、今目の前にいる本人は、壮健で・・・いや。何かしらを患っているからこそフードを被り、人目につかぬよう行動していたのだな」

「———ただの薬師ではない・・・な」

「いやぁ。我は一介の薬師だが?」

「この期に及んで、腹の探り合いはしたくない」

「ふむ。であれば、単刀直入に申し上げる。我であれば、アインツ女公爵が望む結果をもたらすことができると約束しよう」

「信じて・・・良いのだな」

「うむ。任せよ。ここまで来ることができたのだ。薬が欲しい。余・・・いやワシに会いたいという思いを受け取った」

「見た目に反してだいぶ古風な言い回しをするのだな。よろしく頼む」


 そう言って女公爵は目深に被っていたフードを取った。露わになった彼女の顔は、左半分が硬質化していた。


「石化病・・・。それも珍しい。宝石化病じゃな。これは手ひどくやられたのぅ。して、やられたのは」

「顔だけだ。他の身体の部分は、加護付きの鎧によって防がれた。が、兜だけは視界が狭くなり、動きが悪くなるという理由で着用していなかった。それが仇となった」

「ふむ・・・。相手は宝石龍(ジュエルドラゴン)か」

「そうだ。ガラス化されるとは思いもしなかった」

「ガラス?何を言っておる。それは金剛石(ダイヤモンド)じゃ。ガラスであれば、瞬きをするだけで崩れるほどに脆いぞ。運がよかったというかなんというか。その(ドラゴン)はすでに?」

「うむ。最後の最後で詰めを誤った。ブレスを吐かれ多少狼狽したもののトドメは刺した。しかし、相打ちになってしまったがな。ハハハ・・・」

「いや。何を言っておる。これからワシが完璧に治してやる。幸い薬の材料はそろっておるでな。相打ちではない。立派な龍討伐者(ドラゴンスレイヤー)じゃ。アインツ女公爵は、王家の血筋を引くとともに龍討伐者として名を馳せることとなる。誇るとよい」

「そうか・・・。では、薬師の腕を信じて、治った暁には大々的に喧伝しよう」

「うむ。それでは、今から調合する。しばし時間をいただくが」

「その作業、横で見ていてもいいか?邪魔だてはせぬ」

「まぁ。只人が見ても理解できることは少なかろうが・・・。物理的に手を出されては、薬効が変わる恐れがある(まぁ・・・ないのだが。龍を討伐するほどのお転婆なようじゃから、予防線を張っておくのが賢明じゃな)その約束は守れるか?」

「うむ。家名に誓って」

「では、こちらに」


 そういって、シルトは調合室に彼女を招いた。他人を奥のしかも調合室に招くのは初めてだ。最初はメイになると思っていたのだが。などとシルトは考えながら調合の準備を粛々と始めた。


「ふむ。ふむふむ・・・。ん?ほうほう!」

「・・・大変申し訳ないが・・・。集中できないのだが」

「これは失礼した。しかし、私とは住む世界が違いすぎてな。とても好奇心をそそるのだ」

「さすがに、ポーションの類は使用したことがあるだろう?」

「いや。そもそもはあまり手傷を負わぬよう立ち回りをしている。部下にも一撃離脱を心得よといつも言っているからな。今回がたまたまということなのだ」

「そうか・・・。少しは傷を治すためのポーションを持ち歩いた方がよいと思うのだがな」

「嵩張る!迅速な行動に支障が出る!そもそも、鍛え上げた肉体に勝るものは何もない!」

「はぁ・・・。見目麗しい女公爵が脳筋とは・・・。はぁ・・・」

「むぅ・・・。これでも士官学校では実技は主席だったのだぞ!まぁ・・・。指揮学は・・・」

「だからそれをヒトは脳筋と呼ぶのだ。まったく」

「して、今は何をしているのだ?」

「露骨に話を変えおって・・・。まぁ良い。今は、乾燥させた宝石花(ほうせきか)にナオル(ぞう)、ウチケス(ぞう)を蒸留水で煮込んでいる最中だ」

「ふむ。魔法で出した水ではいけないのか?わざわざ蒸留水を使う理由は?」

「ほう。意外と良い着眼点だな」

「はっはっは!そうだろうそうだろう!」

「そこまで褒めていないがな。魔法で精製した水は、その性質上魔力を帯びる。もちろん、元から魔力を帯びているから、それなりの薬・・・魔力回復薬などを作る場合や、薬草の浸漬時に使用したりもする。しかし、今回の場合は、余計な魔力を帯びてしまっていると完成した薬品に反作用を及ぼし、効能が消えてしまうのだ」

「ほうほう。蒸留水を使うということにはそのような理由があるのだな」

「うむ。特にウチケス草を使った魔法薬に関しては、蒸留水を使う。もちろん、蒸留作業にも一切魔力がかからぬよう、薪をくべて水を温めるところから始めている。手間がかかる上、腐敗しやすい。密閉した蒸留水もあるのだが、今ある分は魔力を使って腐敗を止めているからな。昨日たまたま作っていたこれを触媒としている」

「もし・・・手元になかったら?」

「蒸留から始めていたからな。製薬に1日がかりだったかもしれんな。運がいいな」

「おぉ・・・」

「そして、月花草(げっかそう)から採れる蜜を垂らして・・・。なにか、討伐した龍の身体の一部かなにかは持っておるか?」

「今すぐにとなると・・・牙となるが。魔力を帯びたものは良くないのではなかったのか?」

「説明が悪かった。対象となる傷病を治すには、その対象となるものの魔力を帯びさせなければならん。手傷を負ったのに魔力回復用のポーションを飲んでも意味はないじゃろ」

「確かに」

「まっそういうことじゃ。だからこそ、雑多な魔力は入れられん。単一の魔力でなければならんというわけじゃ」

「ということであれば・・・。これが・・・その・・・牙だ。重い・・・」


 女公爵からシルトに渡されたそれは、2mはあるであろうという一点の曇りもない、透明な牙であった。水晶だと言われれば信じてしまうほどに。その実、金剛石であるのだが・・・。


「見事だ。しかし、よく切断できたな」

「いや・・・。これは切断したのではない。抜けたのだ。ヤツが斃れるのと同時に、持って行けと言わんばかりにな」

「ふむ・・・。稀有なこともあるものじゃが、まぁよい。少し削らせてもらうぞ」


 そう言って、シルトは牙の先の方を少しだけ削り取り、鍋の中へとパラパラと入れた。なぜ先なのかという問いに対しては、一番魔力がこもっているからだとシルトは答えた。


「新鮮な場合はどこをとっても良いのだが、今回は日が経っている。根元から含有魔力は流れ出てしまうからこそ、現時点で一番含有魔力が多い先を削らせてもらった。これに、マトメル(ぞう)を入れてひと回しすれば・・・」

「おぉ・・・」


 シルトが最後の薬草を入れて、ほんのひと回しすると鍋の中の色が、無色透明となった。淡く輝いているそれは、単なる水ではないと自身で証明しているような気がするほどだ。その儚く仄かな輝きに女公爵は息をするのも忘れ、魅入っていた。


「ふむ。この薬は久方ぶりに作ったが。しかも、宝石龍の希少種への対処薬を作るなぞ本当に良い経験となった。まぁ、基本ベースは同じだから難易度に関しては同一ではあるが。そこな女公爵よ早くこの薬を飲まねばならぬぞ」

「はっ!あまりの美しさに魅入ってしまった。これは失敬。して、早めに飲むとは?」

「この薬の消費期限は10分間なのじゃ。こうして話している間にもどんどん効能は薄れて―――」

「わぁーーーー!飲む!私は飲むぞ!カップか何かはないのか!?」

「ほれ。十分ではないが、冷ましてあるぞ」

「ありがたい!」


 女公爵はそう言って、ぐびぐびとできた薬を飲んだ。ここまで制約のある薬も珍しい。本来ならば、保存魔法をかけた瓶に入れたり、丸薬にして保存したり。すぐ服用する場合でも、氷魔法で冷ましたりするのだが、いかんせん雑多な魔力を受け付けない代物であるが故に、少々面倒な薬なのである。


「ぷはっ!これは、薬というよりかは、果実水に近いような・・・」

「それは、宝石花と月下草の作用によるものじゃ。この二つは、甘みのあるものでな。こと宝石花に関しては、乾燥させぬと苦く渋い。が、乾燥させることで苦味、渋みが抜け甘くなる。月下草の蜜に関しては・・・言わずもがなじゃ。ほれ・・・手鏡じゃ」

「ん?そんなものをよこして「自身の顔を見てみるのじゃ」そんなに早く・・・!」


 女公爵自身の驚く顔が手鏡に映る。正直、少し良くなる程度だろう。龍は討伐したが、呪いを受けてしまったことで、周辺の領主から侮られること待ったなしだと。自身が亡き両親から引き継いだ領地や民、家臣たちには迷惑をかけることになる。もっと最悪なことは他領主との婚姻によって、自身の領地が消滅することまで考えていた。それが鏡の先にいる幼き薬師によって変わった。目からは一筋の涙が零れた。


「良くなったようじゃな。おおよそ、そこまで重篤では無かった故、効き目もすぐであったのだろう。それに、アインツ女公爵自身の体力も功を奏したであろうて。並の戦士であれば、2~3時間で全身金剛石化していただろう。誇り給え。龍討伐の女公爵よ。これで、王国への面目もたつであろう」

「・・・グス。あ・・・ありがとう・・・。本当にありがとう」

「よい。ワシは薬師じゃ。訪ねて来た者の症状にあった薬を作り、提供するのがワシの務め。治ればそれでよいのじゃ」

「あぁ・・・。最初はこんな幼き者に治せるものか。と疑っていたが、ここまでの手際の良さには脱帽だ。報酬は弾む。本当に感謝する」

「うむ」


 アインツ女公爵はひとしきり泣いた後、泣き腫らした顔を手鏡で見て「こんな顔では部下に合わせる顔がない」と呟いたが、「部下も同じ気持ちになるだろう。ただ、これで冷やしながら行くとよい」とシルトは、氷魔法で作った簡易氷嚢を手渡した。それにも感謝の弁を述べる女公爵に対し、部下を心配させるなと言って、半ば強制的に家からたたき出した。と言っても、彼女の背中が見えなくなるまでは、戸を背にして見送ってはいたのだが。


「はぁ・・・。とんだ来客のせいで昼食を食い損ねてしまった・・・。何か氷冷機にあったかな」


 シルトが氷冷機を覗くと、エッグラビット(ころころと丸いが、敵を見つけるとすさまじい速さで回転して襲ってくる)の腸詰と牛のチーズ。それと速足鳥(そうそくちょう)の卵があった。これでいいか。夜になったらシウンの宿屋に行こう。そう考え、簡易的なチーズオムレツを作るシルト。ふわふわに焼き上がり、そろそろ出来上がるころというところで、また扉を叩く音がした。


「なんぞ今日は客が多いな。っと保存魔法をかけてと。はいはい今出るのじゃ」


 ドンドンと扉を叩く音が強くなっていく。これは、余程急ぎであるか、傲慢な人物によるものか。後者であれば面倒だなと心の中で辟易しながら扉越しに会話を試みた。


「なにか用か?」

「おお。いらっしゃいましたか。扉を強くたたいたことに関しては平にご容赦を。このような場所で何度か斃れられているところに遭遇したことがある故、生存されているかの確認も含め、段々と強くたたいてしまいました。ここは、山の上の薬師様のお宅で間違いないでしょうか」

「いかにも」


 扉越しに話す感じでは、温和な感じの男性の声だ。齢的には50代であろうか。酸いも甘いも経験してきたであろう。そんな声色であった。


「ふむ。扉越しで済まないが、要件をお聞かせ願おうか」

「ええ。警戒されるのは尤もですな。しかし、こちらとしては少々急ぎであることもまた事実。扉を開けて直接お話願えませぬか」

「いや。ここではここの流儀に従っていただきたい。無理であれば、下山をお勧めする」

「・・・仕方ありませんね。わかりました」


 まっそんな流儀なぞないのだが。そう心で呟きながら、どこか胡散臭いんだよなこの扉の先の人物は。と思いながらシルトは話を聞いた。扉の先にいる男性は、とある理由から入手困難な薬を手に入れるという密命を帯びているという。その理由に関しては細かく言えないが、何とか薬を作ってほしいとの話であった。


「ふむ、わかった。扉を開けるが、そちらの詮索はしないことを約束するが、我が家に関しても吹聴はせぬよう」

「心得ましてございます」


 シルトは口約束であるが、お互いの事情に不干渉という約束をして扉を開けた。目の前にいた人物は、予測通り齢50くらいで、どこぞの執事かという佇まいであった。身長は180cmと少し高め。左目の視力が悪いのであろう、片眼鏡(モノクル)を装着していた。外套は砂埃にまみれているため、遠くから来たことがうかがえるが、髪に関しては白銀の髪がよく手入れされているという何ともちぐはぐな印象であった。


「まずは掛けよ」

「ありがとうございます。・・・ご依頼、受けてくださいますでしょうか」

「作る薬の内容にもよる。まず、何に対しての薬が欲しいのじゃ?」

「神薬・・・ネクタルを・・・」

「ほう・・・。万能薬(エリクサー)ではなく、か」

「はい。文献を読み漁りここまで参りました。万能薬に関しては、聞こえは良いが欠陥薬であると」

「ふむ・・・あれは確り万能な薬であるはずだが?」

「・・・薬師様であればご存じのはずでは?」

「はぁ・・・。まぁな。知いるが。其方はどこまで知っている。というか、名前は?」

「カルト。とお呼びください。山の上の薬師様」

「うむ。して、カルトは万能薬の何を知ってここまで来た」

「はい。万能薬というのは、聞こえは良いですが、外傷や枯渇魔力の回復、毒の浄化をすることができると文献に書いておりました」

「まぁ。そうだな。加えて、3日ほどと短い間ではあるが、筋力や魔法攻撃力といった能力に上方修正がかかる。それは、服用者のケガや体調、能力に拠るが最低でも30%ほどの上昇が見込める。これは、万能薬が体内活動を活性化させるという作用によるものだな」

「しかし、反面でよろしくない作用も場合によっては及ぼす危険性があります」

「うむ。それが服用者んいかけられた呪いを活性化させてしまい、遅効性であったとしても呪いが回る速度を手助けしてしまうという副作用があるな」

「はい。ですので、わたくしは神薬(ネクタル)を望むのです。全ての呪いを消滅させることができるという薬を。薬師様は、調合可能ですか?」

「ふむ。先に言っておくが、ワシに作れぬ薬なぞない。と言いたいところだが、自分で調合したことのない新薬は作成不可能だ」

「それは、誰しもそうでしょう。未知のものを生み出すには、知識と経験が必要ですから・・・」

「それを踏まえて、改めて言うが、神薬の調合は可能だ「おお!」だが」

「だが・・・?」

「神薬の主原料である神聖桃(しんせいとう)の時期ではないのだ」

「えっ・・・神聖桃・・・?黄金桃(おうごんとう)ではなく?」

「黄金桃?そんなもの、気晴らしにしかならんよ。それを使って調合したところで、せいぜいかけられた呪いの進行速度を遅くする事ぐらいしかできん」

「なんと・・・。であれば、その神聖桃があれば・・・」

「だから、先ほども言った通り、時期ではないのじゃ」

「であれば、自生している場所をお教えください。これでも、若いころは冒険者で活動していたので、腕には自信があります」

「ほお。であってもまず無理じゃな」

「それは・・・やってみなければわからないでしょう」

「まず、呪いの進行速度に関してはいかほどなのじゃ?行って帰ってくる間に呪いが進行しないということはないじゃろう。それに、神聖桃を採ってきて、薬を調合し、待ち人に薬を持って行ったとして、呪いが全身に回り命を落とす可能性は?そもそも神聖桃は、この国には生育しいていない」

「・・・いったいどこに?」

「天空島の芙蓉山の山頂付近に生えているのじゃ。それに見たところカルトは剣士であり、魔法は不得手であると見えるが」

「余計な詮索はしないと約束したはずですが・・・。」

「いや。元冒険者でそれなりの腕を持つのであって、1人で旅をしてきたのであれば、魔法を主体として戦うという選択肢は考えられん。ワシは内包魔力を少し(相対した人物の魔力総量全て見えるが、それは伏せておくか)感じ取ることができるが、カルトの内包魔力では、せいぜいが身体強化魔法を自身にかけるだけでほぼ魔力がなくなるじゃろう。どうじゃ?」

「おっしゃる通りですが・・・。なぜ魔力が関係するのです?」

「神聖桃はな、採取した時点で腐敗が進む。採り方に関しては秘匿するが、空間魔法を使えるほどの魔力量がないと、そもそも採取ができないのじゃ。どうじゃ?不可能であろう」

「・・・はい。ですが・・・。どうしても。どうしても神薬が必要なんです!」


 話をしていくうちに感情が高ぶってしまったのであろう。カルトは、身を乗り出してシルトに迫った。ここに来た時の冷静な表情は一変していた。焦りと怒りとやるせなさが混ざる感情が、目の奥に垣間見ることができた。そんな迫り方をされても、シルトはどこ吹く風。感情は乱されることなく凪いだ状態であったため、ますますカルトの感情は乱れて行った。


「とんだ拍子抜けです!ここまで来た時間を返していただきたい!この無駄な時間の間にも、刻一刻と呪いが身体を蝕んでいる・・・。あぁ・・・」

「なんぞ勘違いをしておるようだが、神聖桃の時期ではないと申したが、何も神薬を調合できないとは言ってはおらん」

「!?!?!?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような表情とはこのことか。というほどに、目の前の人物の表情はあっけにとられていた。普段クールに決めている人物がこのような表情をすると存外面白いものだな。と心の中で呟きながら、シルトは自身の空間魔法を使い目当てのものを手探りし始めた。


「うむ・・・これではないな。これでもないな」

「古に潰えたとされる空間魔法をいとも簡単に・・・というか、出てくる薬が多くはありませんか!?」

「ん?」


 カルトにそうツッコミを入れられて自身の身の回りを見てみると、確かに薬瓶が無造作にしかし一つも割れることなく散乱していた。カルトの表情には、どれだけ器用な御仁なんだと書いてあるようにも、あきれてものが言えない表情ともとれる何とも微妙な表情を浮かべていた。


「あぁ。昔、面白半分で作った薬でな。どのような効果が出るかは把握はしてあるのじゃが・・・。ほれ。これなんかは・・・ありゃ。ラベルの文字が霞んで読めん・・・。まぁ・・・。殆どが()()でな。危険じゃから処分も()()にできず。こうして空間収納の肥やしとなっておるのじゃ。っと!目当てのものがあったのじゃ」

「おお・・・!」


 シルトが右手に掴んだそれは、ラベルの色こそ日焼けして少し茶色になっていたが、確りと『神薬』と書かれていた。約200mlの瓶の中が、黄金色の液体で満たされていた。


「これで・・・。しかし、神薬というものは曰く作り立てのものは、薄桃色をしていると文献に記載がありましたが。それに、空間魔法の中では時間が止まっているから作り立て手であれば、文献の通りの色味ではないのですか?」

「良く学んできておるのには感心するが。作り立てのものに関しては確かにそうじゃが、解呪できる呪いは少ない。神薬というのはな、酒に似ておる。年月をかけ、気温と湿度に注意して熟成させればさせるほど色味が濃くなり、やがて黄金色へと変化する。そうして、解けぬ呪いはない神薬が完成するのじゃ。見たところ、必要なのはこの程度の熟成具合とみた。これを持っていくが良い」

「そうなのですね!この歳になっても知らぬことばかり。とても勉強になりました。して、薬代は・・・」

「そうじゃな。価値があると思えばそれなりの報酬を望むが・・・もし、効果がなければ報酬なぞいらぬ。粗悪なものを渡すことはないと自負しておるが、万が一ということもある。あぁ。使うまで瓶のふたは開けてはならぬぞ。効果はもって1日ほどじゃからな。呪いを受けた本人が口から飲むことができればその方法が一番早い。しかし、意識を失うほど重篤であるならば、呪いの中心に振りかけ給え。呪いの中心に関しての目算は?」

「立っております」

「であれば話は早い。疾く疾く戻るがよい」

「はい!では―――「待つのじゃ」はい?」

「これを飲んでゆくがよい」


 そういってシルトが手渡したのは、浅黄色の液体の入った瓶だ。見るだけで怪しい薬満載なので、カルトも恐る恐る受け取った。


「こ・・・これは?」

「疾く帰るにはこの薬が一番じゃ。破邪・・・すなわち邪なもの。魔物や盗賊といったお主に危害を与えそうなモノを遠ざけるのと、移動速度が50%以上も上昇する効果を兼ね備えた薬じゃ。まぁ・・・味はさほど良くはないが。ものすごく不味いというわけでもない。薄い甘みと薄い苦みがある何とも言えぬ味わいじゃ」

「さ・・・さようで。では、いただきます」

「うむ。この薬の代金に関しては取らぬ。ワシからの土産と思ってくれ」

「う・・・。確かに何とも言えぬ味わいですが・・・。何か足の先の血の巡りが良くなったような気がします。これなら早く戻ることができそうです。薬師様、お若いのに素晴らしい薬をありがとうございます。後日お詫びの品と代金をお届けいたしますので、お受け取りください」

「うむ。では、健闘を祈る」

「ありがとうございます」


 そういって、綺麗な一礼を披露して、カルトと名乗った人物は凄まじいスピードで山を降りて行った。「うわぁぁぁ」という悲鳴に似た叫びと一つの影を残しながら。


「よく姿を隠しておったな」

「・・・」

「さしずめ、影に潜んで知らぬ間に心臓を一突きにして、相手を殺すタイプの暗殺者か」

「・・・」

「沈黙は肯定ととるぞ。まぁ、よく毒薬に反応しておったな。カルトの影が不自然に揺らぐのを何度目にしたことか」

「・・・そんなことはない」

「はっはっは。揺らいでおったぞ。薬に少しずつ影が伸びておったぞ。気づかぬと思うてか。ワシもそれまで気づくことができなかったとは、老いを感じるが。少しの油断に気づけたのだから良しとするか。そのおかげで、混合ポーションを手渡すことができたしな」

「———シッ」

「おっと。危ない危ない」

「お前を殺して、あの者もこの世から消えてもらう」

「はっはっは。お主ごときでどうなるワシではないぞ」

「ほざけ。一介の薬師風情が!」

「冷静さを欠いた者ほど狩りやすいってな!」

「グゥ・・・」


 シルトは、カルトの影に何かしらが潜むのを確認していた。毒薬に反応していたことから、守護するものではなく暗殺者であると感じ、対応策として先程の浅黄色の薬を飲ませたのであった。案の定薬の効果によって影からはじき出された暗殺者は、シルトの挑発に乗り刃を向け走り出そうとしたが、気づいた時には腹を氷柱でくり貫かれていた。


「氷柱を使ったのは手向けと思え。炎を使っては話を聞けぬしな」

「何も話すことなぞない!」

「やめておけ。というか、薬師の目の前で歯の奥に仕込んだ毒薬を使おうとするなぞ愚の骨頂。当然ながら、この氷柱には解毒魔法をまとわせておるでな。素直に質問に答えよ」

「・・・」

「お主はなぜ、カルトの影に潜んでいた」

「それは・・・グゥ・・・」

「ふむ。やはり呪いの類も仕込まれていたか。しかしっと。この者が斃れたことを知らせる伝達魔法は潰したからな。この術は、随分古いが・・・。なんぞ呪いを研究しておるものでもいるのか。まぁ・・・。それよりもこの亡骸を葬らねばな」


 シルトは、暗殺者の亡骸に魔法をかけ、腹に開いた風穴を塞ぎ、山から降りた村の外れにある共同墓地へと埋葬した。もちろん、呪いを消すために神薬(ネクタル)を振りかけて。


「甚だ不本意ではあるが、ここに埋めねば。亡骸を無造作にしては山が穢れるからな。仕方ない。それに共同墓地であれば、村人が供養しに訪れる。来世では幸せに生きられることを願っておるよ」


 そう言って、シルトは共同埋葬地を元あった形に戻して、その場を後にした。当然、墓守が席を外しているうちに。「あの日だけなんだか無性に腹が痛くなっちまって・・・30分戻れなかったんだよな」と墓守が話ていたとかいないとか。


「はぁ。結局昼食を食べ損ねた。日もそろそろ傾いてきてしまっているし・・・。少し早いが、シウンの店で夕食を食べるとするかな」


 そう独り言をつぶやいて、共同墓地を後にしたシルト。さすがにそのままの格好で食事処を訪ねるのには忍びないので、確りと自身にクリーンの魔法をかけて服に付いた埃や汚れを落とし、髪や爪に付いた土などを綺麗にして、墓地と村とを仕切る小川を渡り村へと入った。川と墓地の間は1kmほど離れている。


「昔、シウンになぜ川で隔てる必要があるのかを聞いた覚えがあるが・・・。あの時は驚いたな。そんな風習があるものなのかと。ワシとは違った考えでまた面白かったな。っとこの辺りもだいぶ変わったが・・・」


「閣下!」

「おぉ!閣下だ!」

「治ったのですね――――!」


「ふむ。どうやら女公爵は部下と会えたみたいだな。それにしてもあの喜びようだと、この村を発つのは明日以降になりそうじゃな。ふむ着いた」


 シルトがたどり着いた場所は、もちろんシウンが経営するアマノリ亭だ。


「お邪魔するぞ」

「いらっしゃぁい!あぁ!シルト様!お前様。シルト様がいらしたよ!」

「おぉ!シルトらっしゃい!昼間はメイが世話になった!」

「うむ。相変わらずセイガは美しいよのぉ」

「ウフフ。ありがとうございます」

「いつもいつも人様の妻を口説くんじゃねぇよ」

「美しい者に美しいといって何が悪いのじゃ!」

「このマセガキが!」

「なにおぅ‼お主より年上じゃぞ!」

「はいはい。そのナリで言ったって信じられるかっての」

「うぐぐ・・・。まぁ良い。ここは年上のワシが譲ってやる」

「言ってろ!・・・それで?一体どうしたんだ」

「うむ。なかなかに今日は来客が多くてな。昼も作ったはいいのじゃが、食べそびれてしまってな。夕暮れも近くなり、夕食とするには量も少なく作ってしまった故、こうして夕飯を食べに来たというわけじゃ」

「そうか。ということなら、客ってわけだな」

「うむ」

「こちらにご案内いたしますわ」

「たのむ。シウン、またあとでな」

「わかった。ゆっくりしていってくれ」

「こちらにお座りくださいな。メイなら自室におりますが、呼びましょうか?」

「いや。よい。注文をよいか?」

「はい」

「生姜焼き定食と渋めの茶を頼む」

「畏まりました」


 料理を待つ間、窓の外を見やる。食堂を併設した宿屋はここしかないが、飲み屋を基礎とした宿屋は複数軒ある。もちろん、冒険者ギルドも飲み屋と簡易的な宿として機能している。先ほど大騒ぎであった女公爵一行も、飲み屋併設の宿へと入っていった。


 本当にこの村も大きくなった。シウンたちが来た頃は、10数人の人間が一から開拓していったのだから。若い男は、シウンともう一人だけ。あとは老人と女性と子ども。あの時はよく傷に効くポーションやら風邪薬やらを調合したな。などと思い出に耽っていたところで、セイガが静かに机に料理を置く音で現実に戻ってきた。


「これは・・・。考え事のお邪魔をしてしまって、申し訳ありませんわ」

「いや。単に思い出に浸っていただけじゃ。気にすることはない。それに、温かいものはできたての内に食さねば、作り手に悪い。ありがとう」

「いえ。ごゆっくりお寛ぎください」


 軽く会釈をして、食事に取り掛かる。厚く切られた2枚の肉。ワイルドボアであろうか。ナイフを入れると、そこから透明な肉汁があふれてくる。中までしっかりと火は通っているが、乾燥はしていない。一口大に切り、口の中へと運ぶ。一噛みするごとに、肉汁と旨味が口の中に広がる。量は控えめだが、確りと生姜も感じる。しかし、肉の旨味を一切消すことはなく、逆に旨味を強く感じさせる。味噌汁もうまい。出汁は、川魚を使っていると聞いたことがあるが、魚臭さは一切なく深い味わいでありながら、肉の油で満たされた口の中をさっぱりとさせる。また肉を口に入れ・・・いや。器に盛られた白米に一度載せ、肉を食らう。そして、肉汁を少ししみこませた白米を口の中へ。仄かに広がる白米の甘さと、肉の旨味。やはりこれでなくては。と思わせるほどに相性がいい。旨いものを食べているときは、無言になるとよく言うが、それはこの旨味を忘れぬよう。食事を楽しんでいるからだと思う。


 無言で食事を続けるシルトを見るシウンとセイガ。目を瞑って時々頷きながら食べ進める彼を見ていると、料理人冥利に尽きると思うほどだ。2人は、娘の命の恩人であるシルトから料金を取れないとさんざん言っているのだが、毎度「技術に見合う対価を払っている。メイの命を救うことができたのは、シウンがあきらめなかったことと、縁が我らを結んだにすぎん。それに、ワシも対価をもらっている。貸し借りはナシじゃ」と言われてしまうので、料理を褒められるのを喜びつつも、どうにかして恩を返すことができないかと思案している。まぁ、その一つが朝食の配達なのだが。


 一方的な施しはシルトにとってもこそばゆいので、メイに色々と知識をつけていくことで、自身を納得させている。幸い、メイは様々なことに興味を持って、質問もよくしてくれるのでこれで等価交換!とシルトは自分自身を納得させている。


「ふう。ごちそうさまでした」

「お粗末様」

「おぉ。シウン。茶もありがとう。厨房を外れてよいのか?」

「今の時間、食事に来る客なんざシルト位なもんだよ」

「なぜじゃ?」

「なぜって・・・。まだ陽はあるし、夕食までは中途半端な時間だからな」

「そうか。手すきの時間にちょうど来られたというのは良かった。旨かったぞ。朝食もな」

「ありがとうよ」

「それとじゃ。メイが薬の調合に興味を持ち始めたのじゃが、教えてもよいか?」

「それはありがてぇ話だが、いいのか?」

「よい。興味があるということは、知識を深める原動力となる。知りたくないと思う者に知識を伝授するのと、知りたいと思い積極的な者に知識を伝授するとでは、後者の方が教えている側にとっても楽しいからな。それに、新たな気づきもある。そこでじゃ、これからは帰る時間が少し遅くなるかもしれぬが、それは大丈夫か?」

「おう。所在がしっかりしていりゃぁ何も言うことはねぇ。それに、暗くなる前には帰してくれるんだろ?」

「それは当たり前じゃ」

「それなら、こっちからもお願いするぜ」

「えぇ。私からもあの子の知りたいという思いを無下にしたくはないので」

「わかった。こちらも誠意をもって教えを全うするとしよう。明日から始める予定じゃが、よいかな?」

「おう」

「お願いいたします」

「うむ。では、お暇しようとするか。今の手持ちは・・・あった。1000ゼルでよいか?」

「お釣りを―――」

「よい。200ゼルでは足らんだろうが、メイに新しい靴を買ってやるとよい」

「最近は、すぐに靴のサイズが合わなくなるからな」

「うむ。子どもはすぐに大きくなる。入用なモノは今後も増えてくるであろう。少しの足しにしてくれ。ではな」

「「ありがとうございました」」


 シルトは、2人からの挨拶に対し、軽く会釈をして店を後にした。店の中では、シルトの経験値はどこからくるものなのかと夫婦の間で緊急会議が開かれていたとかいないとか――――。


「流民の開拓村がここまで大きくなるとはだれが予測したであろうか。どこの領地にも属さず、魔獣におびえながら山の際に柵を築き、堀を巡らせ、自給自足で事足りるよう家屋と田畑を作っていたのにな。まぁ、少しばかり手を貸したが・・・」


 魔獣除けの結界を施してみたり、策に魔獣除けのポーションを振りかけたり、村人の開発が早く進むよう筋力にバフをかけるポーションを作ってそれを配布したりと、傍から見れば大きく手を貸した。そう見える行動をしてきたシルト。ここに宿屋が立ち並んでいるのも、めったに会えない。しかし、会えた時には絶対に裏切らない効果をもつ薬を調合してくれるなぞの薬師がすむ山があるという噂と、村には降りてこないが高ランクの魔獣ばかりが生息する山の存在(シルトが住む山)が冒険者を呼び、貴族を呼んだ。何もなかった村に人が押し寄せれば、当然商店や宿屋が立ち並ぶ。そうしてあっという間に発展していったのだが、シルトは「よく頑張ったなぁ村人たちは」としか思っていない。シルトがこの地にやってきたのは、村ができる以前の話なのだから。


「さて・・・商店で買い物をして・・・ん?猫?」


 そろそろ瓶の在庫が切れそうだからとなじみの商店に顔を出そうとした際、軒先に置いてあった木箱の上に丸くなっている一匹の黒猫を見つけた。


「珍しい。こんなところに猫など。なんぞ荷物にでも紛れてここまで来たのか?」


 シルトが指を近づけると、顔をあげ身体を浮かして伸びをし、伸ばされた彼の指をフンフンと嗅ぐ猫。

「ニャー」と一啼きし、木箱からヒョイと飛び降りグルグルと喉を鳴らしながらシルトの足にすりすりと身体をこすりつけた。


「人懐っこいな。おぉい店主」

「はいはい。あぁこれは薬師様。また瓶のご用命で?」


 店の中から出てきたのは少し恰幅の良い、好々爺であった。彼は独自の販路を持っているようで、技術的にも難しいガラスの瓶をドワーフとの特別契約によって、注文数だけ仕入れてくるという離れ業を持っている。そのほかにも各地の商人とつながっているらしいのだが・・・。


「それもあるが、この猫は?」

「あぁ。先日仕入れに行った先の荷物の中に紛れ込んでいて、追い払ってもついてきましてね。まぁその荷物は食料だったもので、それに寄ってくる鼠やなんかを捕まえてくれていたんで、そのまま連れて来たのですよ。引っかいたりはしないのですが、懐くことがなく・・・って!薬師様!」

「う・・・うむ。なんだか悪いな・・・」

「いえ!滅相もない!私に懐かないということは、何かあるかとは思っていたのですが。そうか。お前さんは薬師様のところに行きたいのだね」

「ニャー」

「そうかそうか。利発そうな猫です。闇夜で金色の目が光るとちと怖いですが・・・。お連れになられるのでしたら私からもお願いいたします」

「(・・・金色の瞳?)そうか。逆にこちらがお願いしようと思っていたが、そういうことなら家に連れて行きたいと思う。それと・・・」

「瓶と猫を飼うための一式をお渡しいたします。あ!瓶はまた来週にでも来てください」

「助かる。では、よろしく頼む」

「ええ。今後ともごひいきに」


 店を後にし、山へと戻るシルト。さすがにこの山道を慣れぬ猫に登らせるのは酷と判断し、懐に入れて連れて行く。服の合わせ箇所から顔を出し、興味深くそこかしこに視線が行く姿に、知性の高さを感じる。猫を見すぎて、いつもの道なのに木の根に躓いたのは余談である。


「ただいまっと。さぁ猫よここが我が家だが・・・」


 家の中に付いた途端に懐からするりと抜け出そうとした猫を捕まえ、相対するシルト。猫は、ぷらーんと脱力した形だ。


「店主は金色と言っていたその瞳。ワシには深い深い(あか)に見えるのじゃが?」

「・・・」

「猫・・・とりわけ黒猫なぞ王都などでは不吉の象徴とされていたはずなのだがな」

「・・・」

「まぁ。この村の者たちにとっては黒猫は幸福の象徴と認識されているが」

「・・・ホ」

「だがしかし・・・今まで猫なぞ一匹もいなかったのになぜ今になって現れたのか。しかも・・・紅眼の猫・・・はて・・・どこかにいなかったか」

「・・・」

「そうじゃなぁ猫よ。怪しいというわけではないのじゃ。断じて怪しいとは思わぬのじゃが、何故に目の色がワシと店主では見え方が違うのじゃろうなぁ」

「・・・」

「なにか魔法的な作為を感じるのじゃがなぁ・・・。そういえば、ワシが今まで会ってきた猫もそんな特徴を持つ猫が複数いてなぁそれはそれは愛らしくて愛らしくて———」

「・・・!そんにゃ・・・あ」

「はぁ。よくここがわかったな。シャル」

「うぅ・・・。もう少しこの猫の姿でいたかったのにゃ。でもバレてしまったからには仕方ないのにゃ。あ。主様(あるじさま)、放してもらえるかにゃ?」

「うむ」


 シルトは、猫もといシャルの言う通りに手を離した。すると一回転してメイド服を身にまとった黒髪の上に黒色の耳を生やした紅眼の少女が現れた。


「やっと見つけたのにゃ!」

「久しいなシャルよ」

「はいにゃ!主様がいなくなってから、幾年月。まさかこんなところにいるなんて皆目見当もつかなかったのにゃ!」

「ん?せいぜい10年かそこらではないか。なにを大げさな」

「へにゃ!?確かに大げさな表現をしてしまいにゃしたが・・・正確には主様が去ってから20年が経過しておりますにゃ」

「ふむ・・・時間の流れが異なるのはわかっていたが・・・そうか2倍違うのか。さぞあやつも成長したであろう」

「・・・毎日書類に追われ、皆からせっつかれ・・・かわいそうなのにゃ」

「ふむ。まぁワシでもできたのじゃ。優秀なあやつであれば何も不自由はなかろう?」

「いや・・・(はぁ・・・昔から主様は自己肯定感が宇宙の彼方にあるっていうか、低いわけではないのにゃ。でも、これくらい誰でもできるという考えが強すぎるのにゃ)」

「ん?渋くて熱いお茶を一気飲みしたような表情をしているが・・・」

「どんなシチュエーションにゃ!しかも猫舌だから熱いお茶を一気なんて到底無理だにゃ!」

「比喩じゃ比喩」

「もっとこう・・・違う喩え方があると思うのにゃ・・・って違うのにゃ!シャルは要件があって主様を探していたのにゃ!」

「ん?なんだ?」


「20年もの間、寂しかったのにゃ。いっぱい・・・いっぱい探したのにゃ。主様は、シャルよりも猫なんだにゃ。突然、誰にも何も言うことなく忽然と姿を消してしまって・・・。いなくなる。ということは、本人にとっては軽いことなのかもしれないのにゃ。でもでも!残される身としては、とってもとっても心配になるのにゃ。主様のことだから命の心配はないにしても・・・。やっぱり、今まで仕えていた人が忽然と姿を消したのは、ショックだったのにゃ。あぁ。あんなに寄り添っていたのに。仕えていたのに・・・。去る時は一緒に行こうって言ってくれなかったのは、やっぱり寂しいのにゃ・・・。猫は死期が近づくと姿を消すことがあるというにゃ。シャルたちは見た目は猫の特徴をもつにゃ。でも、猫妖精(ケットシー)にゃ。言葉で意思疎通ができるにゃ。猫たちと会話はできるのにゃ。よく言っていたにゃ。言葉が話せれば、ご主人様にお迎えが近いから。弱っていく見せたくないから。さようならって言いたいって。今までありがとうって言葉で伝えたい。最後のご主人様の顔が悲しみで歪んでいるのにゃんてみたくにゃい。だから去るんだって。旅をしている間、よく耳にしたのにゃ。一様に主の前から去っていたのにゃ。主様はそんな猫たちみたいだったのにゃ。とってもとっても悲しかったのにゃ。あれだけ色々なモノや温かい思いでをくれて、返したいものが山ほどあったのに・・・。返させてくれないだにゃんて・・・。酷いのにゃ。そう思って、シャルは主様を探したのにゃ。もう一度・・・もう一度言わせてほしいのにゃ・・・。主様。貴方様に一生お仕えすることが、シャルという猫妖精の幸せにございます。どうか、この手をお取りになって、仕えることをお許しください」


「・・・。そう・・・か。心配させてしまったか。ワシも忽然と消えたわけではなかった。が、すぐに出立する用意ができてしまってな。声をかけずじまいだったな。もうしばらくしたら、一度様子を見に戻るつもりであったのだが・・・。心配をかけた」


 シャルは長い口上の後、片膝をつき頭を下げて右手を伸ばしその手が取られることを待っている。対するシルトは、彼女に対し短い謝罪を述べた。


「・・・」

「時間軸に歪みがあることは知っていたが。これは急ぎ戻らねばならぬな。シャル。知らせてくれてありがとう」


 シルトはそう言いながら、彼女の手を取った。


「主様・・・」

「ワシの側仕えは、シャル。お主しかおらん。それは、以前に約束した通りじゃ。ワシは、一度した約束は反故にせん。未来永劫、ワシの側仕えじゃ」

「あるじざま~」

「まぁ・・・今後も同じような迷惑をかけてしまうかもしれんが・・・まぁ許せ」

「・・・次はないのにゃ!絶対にどこまでもついていくのにゃ!今度いなくなったりしたら、絶対探し出して、顔面爪とぎの刑なのにゃ!」

「これは手厳しい」


 二人は、顔を見合わせてひとしきり笑い、これからのことを話し合った。夜も更けて来たのでシャルがありあわせの食材で消化の良いものを作り、それを食べながらである。そのあとは風呂に入ったのだが、シルトは自分のというよりも長旅で溜まっていたシャルの汚れを取ることに勤しんだ。彼女は水は苦手ではないのだが、旅の間は猫に変化していたために風呂に入ることもできず・・・さりとて自分で落としきれるほどの汚れではなかったのだ。使用人が主に世話をされるという稀有な状況であったが、シャルの旅の様子を聞きながら二人で楽しく風呂の時間を過ごした。湯上りの後、シャルはベットが一つしかないのを見て、「床で寝る!」と宣言したが、今はシルトのベットで布団にくるまって幸せそうな寝顔を浮かべている。


 そんな様子をほほえましく思いながら、明日やることを考えていたシルト。ふと時計を見ると新しい日付の時間を指していた。朝になれば、メイがここにやってくる。薬の講義をする予定だが、一日で住民が増えていることに驚くだろう。どうやって説明しようか・・・。頭に考えを浮かべようとしたが、自身も眠気には抗えず・・・。まぁ何とかなる!の結論を出し、シャルの隣に入っていった。彼に抱き着くシャル。実は起きているのでは?とも思ったが、すぅすぅと規則的に寝息をたてているので、狸寝入りということはないだろう。


 猫妖精というものは、昔は乱獲の対象にもなった存在だ。今では、保護対象であり人権を持っているので、捕まる心配はない。だが、それはあくまで一般論。であればこそ猫の姿で都市や農村を彷徨っていたほうが、安全性は高い。猫という存在は守り神にも等しく、大切にされるからだ。それも一般人にとっては。という枕詞がつくが・・・。心細かったであろう。常に警戒をしていたのであろう。それが今の行動に現れている。そう感じたシルトは、ガシッと掴まれた服をその手を愛おしく思うとともに、心配をかけてしまった罪悪感が浮かんできた。


 彼女には心配をかけてしまった。残してきた者たちにも同様のことが言える。であれば、メイにはしっかりと伝えてからではならない。同じ失敗を繰り返すほど愚かなことはない。そう心で呟き、彼もまた夢の世界へと旅立つのであった―――。

 こんなに長くなるとは思ってもいませんでしたが・・・。お楽しみいただけましたでしょうか。なかなかに続き物ではないものは、どう終わらせたものか。と考え、だいぶ尻切れトンボのような終わらせ方かなと思います。

 自分も、あれもこれもまだまだ書いてみたい!と考えてはいますが、この物語はひとまずここでおしまいということで。意外にも評価が高かったり、皆さまが楽しんで読んでいただいていれば、それを活力にこの物語も書いていきたいな・・・なんて。

 他の作品よりも全体的にほわほわとしつつも、ピリッとした何かを入れられればと思い描いた作品です。

 最後までお読みいただきありがとうございました。他の作品も・・・執筆が止まっていますが・・・しっかりと書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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