山頭火への返信 その2
〇山頭火の句
雪がふるふる雪見てをれば
〇返信
山頭火はその58年の生涯に一万をこえる句を詠んだと言われるが、その膨大な俳句の中から彼自らが選んだ701句を収めたのが自選句集「草木塔」だ。
そこに「雪」を詠んだ句が23句ある。
山頭火にとって雪がいかに重要な創作の要素であったかが、この23句という数でうかがわれる。
以下、雪の句をいくつか挙げてみよう。
・生死の中の雪ふりしきる
・雪へ雪ふるしづけさにをる
・雪ふる一人一人ゆく
・寝ざめ雪ふる、さびしがるではないが
・わかれてからのまいにち雪ふる
さて、今回の句“雪がふるふる雪見てをれば”はいつ頃詠まれた句だろうか。
「草木塔」を見ると次の記述がある。
「昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ」
そしてこの文章の後に“雪がふるふる雪見てをれば”が続くことからして、この句は昭和二年三年の間に旅先で詠まれた句だ。
中国、四国、九州のどこか、安宿の窓からしんしんと降る雪を眺めている山頭火を私は想像する。
この句から私が思い出したのは、小学生時代、冬休みごとに年末年始を過ごした祖父の家での大晦日。
広島県三次市に近い、甲立という町の小さな集落に、明治時代の初めに曽祖父が農家として建てたその家はあった。
天井の高い田舎家で、囲炉裏の煙で長年いぶされた黒々とした太い梁が天井を支えていた
年に数回しか会わない従弟たちと一緒に、掘りごたつに四方から足を突っ込んで、田舎の重い布団にくるまりながら、私は除夜の鐘をきいたものだ。
外は一面の雪景色の事が多かったように記憶している。
遠くから聞こえてくる除夜の鐘を暗闇の中でききながら、年が移っていく厳粛さを子供ながらに感じていた。
ところで、“雪がふるふる雪見てをれば”だが、山頭火の頭には何が浮かんだのだろうか?
山頭火が大食漢であり、鉄の胃袋の持ち主てあったことはあまり知られていないようだ。
その健啖家ぶりを彼自身日記でこう告白しているほどだ。
「鰯もうまい、蕗もうまい、蕨もうまい、海のもの山のもの畑のもの、しみじみ味へば何でもうまい。それにしても私は私の大食を嘆く、何といふ大きい、そして強い私の胃袋だらう!」
ありとあらゆるものを食べ、それを俳句としてよみがえらせた山頭火だが、中でも好物の一つは豆腐だ。
豆腐を詠った彼の代表句はこれだ。
・落葉ふんで豆腐やさんが来たので豆腐を
また昭和10年2月18日の日記には次の句が残っている。
・かうして生きてゐる湯豆腐ふいた
この日、雪を眺めながら山頭火が頭に浮かべたのは「湯豆腐で晩酌」だと私は想像する。それもそんじょそこらにある湯豆腐ではない。雪のイメージと合体した湯豆腐だ。
かつて私はある作家のエッセイにヒントを得て、豆腐と昆布入れ水を張った鍋に、大量の大根をすりおろした湯豆腐を試みた。
白い雪にうずもれ、静寂につつまれた、雪国を思わせる世界がそこに現出した。鍋の中の豆腐は屋根に雪をかぶった田舎屋の様に見えるではないか。
ノーベル文学賞作家の川端康成の有名な小説の冒頭にちなんで言えば、「大根を入れると雪国であった。鍋の底が白くなった」。
感動した私はそれを雪国鍋と命名し、妻とまだ小さかった子供達を食卓に呼び寄せた。
三人は「わあ、おいしそう」と歓声を上げるかと思いきや、落胆の色をあからさまに顔に浮かべ、他におかずがないのを知るとしぶしぶ箸を出した。
ノーベル賞に由来する雪国鍋は二度と我が家の食卓に上ることはなく、幻の鍋となった。
私はこの雪国鍋で山頭火と一杯やりたかった。大根好きの山頭火ならこの鍋に込められた私の思いを解し、その着想に膝を打ち、実際本当にうまかったこの湯豆腐を喜んで食べてくれただろうに。
よって“雪がふるふる雪見てをれば”を詠んだ山頭火の脳裏にはこの雪国鍋と熱燗が浮かんでいたと私は思いたい。




