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小説「居酒屋山頭火」 

「雪か…」

暖簾を分けて外をのぞくと通りを隔てた松林はうっすらと雪をかぶっている。

「誰か来そうな雪がちらほら…か」

見れば時計は11時を回っている。

(今夜はこれでは客は来ないな。早じまいするか)

いつもそうする閉店後のひとり酒を始めようとしたら、引き戸をガラリを開けて国本さんが入って来た。

「寒い寒い」

この時間からしてどこかですでに飲んできたに違いない。

「正一さん、一本つけて」

私は自分用に燗をしていた亀齢の徳利を差し出した。

「雪降る一人一人いく、だよ。正一さん」

駅前の飲み屋街から1キロほどの距離にある、海辺にほど近い私の店まで雪の中を歩いて来る道すがら、墨絵のような情景を見て山頭火の雪の句を思い出したそうな。

お互いの猪口に酒を注いで

「初雪に」

二人はそう言って熱燗の盃を挙げた。


国本さんは私の居酒屋兼自宅の家主だ。

私は居酒屋が半年前につぶれたこの店を居抜きで借りたのだが、ここは三代続いて居酒屋がつぶれた場所で、後で知ったことだが地元では「酒場の墓場」とはなはだ不名誉なあだ名で呼ばれている。

ここを借りる契約をする時、国本さんは

「あなたが四代目の居酒屋です」

と気の毒そうに告げ、借り手がいなくて弱気になっているのか家賃も驚くほど安くしてくれた。

店の奥が私の住まいだが、男の一人住まいには八畳、六畳の二間で十分満足だ。

この平屋には20坪ほどの庭がついており、私はその半分の10坪ほどで野菜を育て店でも使っているが、その畑の土作りから野菜の育て方まで農家生まれの国本さんは手取り足取り教えてくれたのだ。

私より5歳年下の65歳。

高校の英語教師は定年退職したが、その高校の陸上部の顧問として今も毎日のように高校のグランドに行っている。

「生きている間に一度でいいから全国高校駅伝に生徒と一緒に行きたい」

それが彼の40年来変わらぬ夢だ。

もう一つの願望は、地元では子供達でも知っている「酒場の墓場」という不名誉な汚名を返上することだ。

「酒場の墓場」とは、韻をふんでいて、なかなか機知にあふれていると私が面白がると

「とんでもありません。口の悪い私の知人なんぞは私のことを「墓守」というんだから」

と国本さんはむきになって言う。

彼は毎日といっていいほど私の店に顔を出してくれる上客で、私の支払った家賃はほとんどそのまま彼の酒代となって私の元に還流してくる。

つまり、私はただでこの店を借りているのも同然なのだ。


「はい、お通し」

「やあ、切り干しときくらげの煮しめか。懐かしいなあ」

切り干し大根の作り方を教えてくれたのも国本さんだ。

彼がおばあさんに教わったやり方で、薄い短冊切りにした大根を干し、それを蒸して柔らかくし、またカラカラになるまで干しあげて出来上がりだ。

「うん、うまくできてるね」

「先生がいいからね」

「本日のおすすめは…」

と、国本さんは壁に掛けた小さな黒板に書いた山頭火の句を声を出して読む。

「朝焼雨ふる大根まかう…、いつもながらなぞなぞだね」

「ふろふき大根ですよ」

これも国本さん直伝の作り方で、輪切りにした大根に十文字に切り目を入れ、米のとぎ汁で煮る。

「今日は大根づくしだね。これじゃあ若いお客は来るなと言っているようなもんだよ、正一さん」

「いっそのこと表に、還暦以下はお断り、と張り出しておこうかね」

実際私は自分の酒の肴に向いた料理を第一に考えるものだから、国本さんの言う通り、店で出す料理は野菜が中心で、ついで魚料理。肉料理は片手で数えられるほどしか品書きにない。

『魚肉は好きでもありうまいと思ふけれど、食べているうちにたまらなく腥いと感じることがある、獣肉はうますぎる、だからもたれ気味になる、やっぱり新鮮な野菜にしくものはない』

かつて山頭火は日記にこのように書いたことがある。

「うまいね、このふろふき」

「今年は庭の柚子の出来が良かったもんだから、柚子みそもたくさん作りました。出来がいいでしょう?」

「いいね。山頭火の句にもあったね、柚子みそは」

「空からもいで柚味噌すつた」

「そうそう、その句だ」

柚子の香りはふくいくとして身に沁み、木からそれをもぐ時、あの香りで山頭火はどうしても豆腐が欲しくなったそうな。

(後で彼に湯豆腐を出そう)

今年は庭の柚子が豊作だったので近所におすそ分けし、店のお客さんにも差し上げて喜んでもらった。

「朝焼雨ふる大根まかう、これはいつ頃の句だったかな」

「あれは…昭和7年10月5日の日記に書き留めた句です。実際に大根の種をまいたのは9月30日でしたがね。朝焼けの日だったでしょう」

昭和7年9月30日の日記に彼はこう書いている。

『土を耕やして大根を播いた、土のなつかしさ、したしさ、あたゝかさ、やはらかさ、やすけさ、しづけさ』

蒔いた種はほどなくして芽吹き、間引いた二葉は朝のみそ汁の具となって山頭火の舌を喜ばせたのだ。

「朝焼けといえば、ついこの間、陸上部の朝練習の時だけど、素晴らしい朝焼け空でね。東の真っ赤な空から巨人の咆哮が聞こえるようだったよ」

国本さんは酔ってくると詩人になる。

「巨人の咆哮?」

「そう、東の空から西の空に向かって大きな鐘の音が渡っていくようなね」

「国本さんは詩人だなあ」

「僕の若い頃の愛読書はヘルマン・ヘッセだった」

国本さんは遠くを見るような目つきをし、嬉しそうに言った。彼ほどお世辞を真に受けてくれる人は少ない。彼が生徒たちに慕われているのはこの可愛げにあるだろう。

「ふろふき、お代わりもらえる」

「はいよ」

「亀齢ももう一本」

国本さんの声が一オクターブ高くなった。

これは彼が酔線を越えた証だ。

私は表の提灯と、「山頭火」と染め抜いた暖簾を取り込んだ。

松林には雪がしんしんと降り続いている。

私は遠い昔、ひょっとしたら山頭火が早稲田のキャンパスですれ違っていたかもしれない牧水の酒の歌を思う。

(酒は静かに飲むべかりけり…)

静かには飲みたいのだが、そうはいかないのが私の酒で、山頭火と同じく私には自制心というものが決定的に欠けているのだ。


ああ、国本さんがドイツ語でシューベルトの「野ばら」を歌い始めた。

こうなったらもはや彼は後戻りが出来はしない。

今夜もまたふろふき大根を肴に国本さんと脱線をするのだろうか…。



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