山頭火、鯖を食べる
山頭火が鰯好きであったことは彼の日記でも、句でも明らかだが、同じ青魚の鯖も好きだった。
今回は山頭火の鯖の食べっぷりを見てみよう。
彼の日記にこうある。
・「生きのよい鯖が一尾八銭だった、片身は刺身、片身は塩焼にして食べた、おいしかった、焼酎一合十一銭、水を倍加して飲んだがうまくなかった」
(昭和7年6月25日)
・「帰途、魚市場の前を通りかかって、鯖を一尾買うて戻った(私が生魚を買ったのは、今年はこれが最初ではないか知ら)(略)鯖の刺身でビール(このビールは昨夜T子さんが持ってきてくれたその一本だ)、ゼイタクだな」
(昭和9年5月24日)
・「たよりいろいろ、うれしいうれしい。寒い、鯖のさしみで一杯」
(昭和10年1月29日)
・「今日の買物は、鯖一尾十銭、胡瓜一つ三銭、そして焼酎一合十銭なり。今日の幸福二つ、般若心教講義を読んだ事、晩酌がうまかったこと」
(昭和10年9月21日)
・「晩酌は焼酎、下物は昨日の焼鯖」
(昭和11年8月15日)
・「なぜこんなに気が滅入るのだらう、くよくよするな、とにかく一杯やりたまへ、朝から鯖の酢漬をつけてくれてるではないか」
(昭和14年5月8日)
・「鯖一尾十五銭、胡瓜一瓢十銭、のんびり晩酌一本また一本、ありがたし」
(昭和14年9月8日)
上記の日記から山頭火の鯖の食べ方を順に並べると次の通り。
刺身、塩焼、刺身、さしみ、焼鯖、鯖の酢漬。
「鯖の酢漬」とはしめ鯖と考えておこう。
鯖の塩焼き、しめ鯖は我が家の食卓では登板回数の多いおかずであり、居酒屋においては品書きにはまず欠かせない一品だろう。
しかし鯖の刺身は私に限っては少なくともこの10年間は口にした記憶がない。
サバを生食する上でのリスクとなるのがアニサキス。
品物の流通のスムーズさも冷蔵技術も現代とは雲泥の差があった昭和10年当時だが、鯖の刺身を好んでいた山頭火の日記のどこを見ても鯖にあたった様子はない。
何と言っても彼は
「腐った物をたべてもあたらない、ここまでくるとりっぱにルンペンの尊さを持っている」
「饐えた御飯を食べたが何ともなかった、私もまだ乞食旅行が出来る」
こう日記に書いているくらいの鋼鉄の胃袋の持ち主なので、やわな胃袋の私はやはり彼の真似をするのはやめておくか。
山頭火は瀬戸内海側の町の生まれだが、同じ山口県でも日本海に面する城下町萩では、昔は秋になると玉江浦から「さば買やらんか」と言いながら、頭に「かねり」というたらいを乗せて、女衆が秋サバを売りに来た。萩の人は生きのよい鯖は刺身や湯引きにし、さしみには萩名産のだいだい酢をたっぷりと振りかけて食べたそうな。
次に鯖一尾の値段を見てみよう。
「生きのよい鯖が一尾八銭」「鯖一尾十銭」「鯖一尾十五銭」と昭和7年、10年、14年と徐々にその値段が上がっている。時代はそれぞれ満州事変が起こり(昭和6年)、ワシントン軍縮条約破棄(昭和9年)、国家総動員法交付(昭和13年)と日本が戦時色を色濃くしていった時代。物価も徐々に上がっていったことが見てとれる。
ある資料によると昭和11年における東京都心でのカレーライス一杯の値段は15~20銭。
従って昭和10年当時、ごく大雑把に言ってカレーライスの価格は鯖一尾の1,5倍と言えるだろう。
現在、スーパーで売られている鯖は安い時であれば400円、一方、東京でカレーを食べれば1,000円と言うことだろうか。
とすれば今はカレーライスの価格は鯖の2,5倍。
もし山頭火が今も生きていて鯖とカレーのどちらかを選べと言われれば、値段からしても一も二もなく鯖だろう。
なにせ鯖は酒の肴として刺身、塩焼、しめ鯖と三度も楽しめるのだから。
尚、鯖を煮つけや味噌煮で食べた記述は日記にない。
彼の好みではなかったのか、それとも魚はまずは刺身、そうでなければ焼くというのが山頭火の基本方針だったのか。