山頭火、支那料理を食べる
現代では中華料理のほうが通りがいい支那料理。
山頭火のイメージとはそぐわないかもしれない食べ物だが、今回はその支那料理の食べっぷりを見てみよう。
昭和9年3月24日の彼の日記に支那料理が登場する。
・「夕方から、澄太君夫妻と共に黙壺居の客となる、みんないっしょに支那料理をよばれる、うまかった、鶩の丸煮、鯉の丸煮、等、等、等(わざわざ支那料理人をよんで、家族一同食べたのは嬉しい)」
この日、山頭火は広島駅から徒歩で30分程の距離にある牛田にいる。
広島市牛田は昭和8年9月15日に初めてその地を踏んで以来、生涯に9度にわたって訪れた土地である。
しばしば牛田を訪れたのは、ここに彼の俳句の同人であり、生前はほぼ無名であった山頭火をその死後、彼の全集の発行に尽力し、山頭火を世に知らしめた大山澄太が住んでいたからだ。
さて、その澄太君夫妻と共に黙壺君の家で供された支那料理は「鶩の丸煮、鯉の丸煮、等、等、等」。
私とすれば「等、等、等」の三品が大いに気になるところだが、まずは「鶩の丸煮」から。
私は山頭火の言うこの「アヒルの丸煮」は「ガチョウの煮込み」の事ではないかと考えている。
アヒルは野生のマガモを家禽化したものであり、ガチョウは野生のガンを家禽化したものである。
「ガチョウの煮込み」は半世紀以上前の私の子供時代に、大人たちの会話の中で何度か耳にした言葉だが、私は口にしたことはなく、近年耳にする事さえなくなった料理だ。
これは中国広東省東部の潮州料理の名物で鹵水鵝片(ガチョウの醤油漢方煮込み)のことで、酸っぱい米醋をつけて食べる、潮州料理の前菜ではまず第一に挙げられる料理だそうな。
「わざわざ支那料理人をよんで」とあるが、この出張料理人はひょっとすると広東省出身の中国人であったのかと想像したくなる。
次は「鯉の丸煮」。
これは「鯉の丸揚げ甘酢あんかけ」だろうと思うが、これはかつて支那料理での宴席における主役だったと聞く。
こちらも今では町の中華料理屋のメニューで見ることはめったにない。
一度ある店のメニューの欄外にこの「糖酢鯉魚」(鯉の丸揚げ甘酢餡掛け)が載っていたが、事前の注文が必要で、かつ値段は時価とあった。
これも私の舌に乗ったことは一度もない、私にとっては幻の料理だ。
この晩、山頭火は鹵水鵝片(ガチョウの醤油漢方煮込み)の前菜でスタートし、「糖酢鯉魚」(鯉の丸揚げ甘酢餡掛け)に至る豪勢な支那料理の宴会に連なったわけだ。
ありとあらゆる食べ物を俳句にしている山頭火だが、この晩餐の料理も俳句に詠んで欲しかった。