山頭火、汽車弁当を食べる
山頭火が「弁当」を詠んだ句は41句。
その中で彼が自選句集「草木塔」に選んでいるのは次の三句。
・いちじくの葉かげがあるおべんたうを持つている(昭和8年)
・浅間をまともにおべんたうは草の上にて(昭和12年)
・草をしいておべんたう分けてたべて右左(昭和13年)
山頭火が弁当と言う時、それには三種類ある。
汽車弁当、行楽弁当、徒歩の旅での弁当だ。
山頭火の言う汽車弁当とは駅弁のことで、山頭火自身日記には汽車弁当と書いたり駅弁と書いたりしている。
上掲の三句はいずれも徒歩旅の途上で食べた弁当を詠んだ句だ。
「べんとう」を詠んだ全41句を見ても徒歩旅での弁当か行楽(花見)弁当であって、汽車弁当を詠んだと思われる句は一句もない。
しかし山頭火は汽車弁当については、彼の日記にしばしば次のように書いている。
「句会をすましてから、汽車弁当を買って来て、晩餐会をやった、うまかった、私たちにふさはしい会合だった。だいぶ酔うて街へ出た」
(昭和6年1月5日)
「夜、突然、敬坊来庵、酒と汽車弁当とを買ってくる、敬坊は何といふなつかしい人間だろう、酒がなくなり、弁当を食べてしまってから街へ、そして例の如し」
(昭和7年12月14日)
「午後、樹明君来庵、酒と汽車弁当を買うて、三人で楽しく飲んで食べて話した」(昭和10年8月16日)
「午後、樹明君に招かれて宿直室へ出かける、久しぶりに、ほんたうに久しぶりだったが、かなしいかな、彼は飲めない、衰弱した様子が気の毒とも何ともいへない、すまないけれど私だけ飲んだ、駅弁も御馳走だった」
(昭和11年7月29日)
「午後ひよっこり黎君来訪、お土産として汽車弁当はうれしかった、いっしょに街へ出かけて焼酎を買ってきた(蚊取線香を買って貰った)、焼酎も悪くないな、心許した友達とチビリチビリやるには」
(昭和11年8月26日)
「緑平老は約の如く十一時の列車で御入来、駅弁と一升瓶とを買って貰ふ。よろしいな、うれしいな、飲む、食べる、饒舌る、笑ふ、とかくするうちに、樹明君もやってくる、焼松茸、ちり、追加一升、柿、等々々。彼が飲めば私が酔ふ、私が酔へば彼が踊る」
(昭和11年10月18日)
「夕飯を食べて、ランプを点けて、一服やっているところへなつかしい声―敬君だ、わざわざ生一本と汽車弁当を掲へての御入来である、さっそく飲んで食べた、―それから街へ、…をんな、をんな、うた、うた、…ほろほろとろとろ、…F屋で酔ひつぶれてしまった!」
(昭和11年11月20日)
「黎君着てくれました、キシャベンにショウチュウ、ありがたい、もう秋ですね、前栽の山萩が咲きだしました」
(昭和11年8月26日の書簡)
日記の中で山頭火が食べた汽車弁当の大半は、彼の住まい「其中庵」があった山口県小郡の駅弁に間違いないだろう。
小郡駅は2003年に新山口駅と改称され、今では山陰地方に向かう山口線のプラットホームにわずかにその名残を残すのみだ。
私は年に一二度、この地を踏む。
山頭火がこの小郡に住んでいた昭和10年前後、私の父も山口市で学生生活を送っていた。広島から山口市に向かうにはこの小郡で汽車を乗り換える必要があった。
当時、小郡で酒にまつわる悪名をとどろかせていた山頭火の噂は父の耳にも入っていたであろうし、学生の父がこの町のどこかで山頭火とすれ違っていた可能性はゼロではないだろう。
小郡の駅弁や山頭火のことについて、出来うるならばあの世から父を呼び戻して聞いてみたいものだ。
山口県山口市のフリーペーパーである「サンデー山口」の2015年版に次のような記事が掲載されていた。
「県内でただ一社、駅弁を製造、販売してきた小郡駅弁当(國森武德社長)が、4月いっぱいで駅弁事業を廃止し、「かしわめし」「ふく寿司」といった、山口の特産品が詰め込まれた“名物駅弁”が姿を消した。
同社は、1910(明43)年に「かしべ」として創業し、105年にわたって、小郡駅(現新山口駅)を中心に駅弁を販売してきた。2010(平22)年には経営効率化のために下関駅弁当、徳山駅弁当と合併し、県内唯一の駅弁事業者となっていた」
山頭火が舌鼓を打ったのはこの「小郡駅弁当」の汽車弁当だ。
ちなみにこの会社の花形商品であった「かしわめし」弁当の内容は、錦糸卵・鶏そぼろ・刻み海苔・紅ショウガの乗ったご飯に、おかずはしゅうまい・照り焼きチキン・玉子焼・蒲鉾・昆布巻・竹の子・パイナップルとい目にも鮮やかな弁当だった。
上記の山頭火の日記とほぼ同じ時代を背景としている林芙美子の「放浪記」には浜松で買った駅弁の描写がある。次のような内容だ。
「私は木の香のぷんと匂うべんとうを食べる。薄く切った紅いかまぼこ、梅干、きんぴらごぼう、糸ごんにゃくと肉の煮つけ、はりはり、じゅうおうむじんに味う」
山頭火の食べた汽車弁当を想像するよすがになりそうだ。
小郡駅弁当の「かしわめし」にしろ、林芙美子の弁当にしろ、汽車弁当のおかずは酒の肴にふさわしいものばかりだ。
近いうちに私の自宅から歩いて20分の広島駅に行き、汽車弁当を買って帰り、それを肴に山頭火と亡き父をしのびながら一杯やるか。