山頭火、豆腐を食べる その2
豆腐好きだった山頭火は豆腐を主題とした句を私の数えたところでは27句残している。
その中で彼が自選句集「草木塔」に残した作品が二句あるが、その一つが次の句だ。
・落葉ふんで豆腐やさんがきたので豆腐を
昭和の終わりの頃まで、豆腐屋が豆腐や油揚げ、厚揚げなどをリヤカーで住宅街まで売りに来ていた。
今から60年以上前、私の子供時代には独特の豆腐ラッパが聞こえてくると、女たちがその日の夕餉や翌朝の味噌汁のために、丼などを持って家々からから豆腐屋の周りに集まった。
山頭火もこの豆腐ラッパの音を毎日心待ちにしていたようで次のような多くの俳句に詠んでいる。
・夕ざれは豆腐屋の笛もなつかしく
・豆腐やさんがかちあつた寒い四ツ角
・豆腐屋の笛で夕餉にする
・花ざかり豆腐屋で豆腐がおいしい
・朝がひろがる豆腐屋のラッパがあちらでもこちらでも
・落葉ならして豆腐やさんがきたので豆腐を
・小春日和の豆腐屋の笛がもうおひるどき
・豆腐屋の笛が、郵便もくるころの落葉
・落葉ふんで豆腐やさんがきたので豆腐を
・椿ぽとり豆腐やの笛がちかづく
・豆腐やの笛がきこえる御飯にしよう
・とうふやさんの笛が、もう郵便やさんがくるころの秋草
・豆腐屋のラッパも寄らない青葉若葉
彼の詠んだ27の豆腐の句のうち半数の13句に豆腐や登場する。
ことほどさように山頭火の食生活にとってなくてはならない豆腐屋だが、それについての彼の言葉を見てみよう。
・「久しぶりに豆腐屋さんが来てくれたので、豆腐料理の御馳走をこしらへた。コンニヤクのうまさも解った」(昭和9年12月7日)
・「油揚を買ふ、揚豆腐は田舎料理にはなくてはならぬものである、稲荷鮨のころもとしても、煮物の味付けとしても」(昭和12年12月17日)
・「近所に豆腐屋が開業した、これで何もかも揃うた、まことに至れり尽せりである!」(昭和14年1月17日)
・「つくづく考へる、私は豆腐屋の売子にでもならうか!友達のふところにすがることがいやになった、すまないと思ふ、毎月毎月の赤字がたまらなく私を悩ます」
(昭和14年9月2日)
この昭和14年9月2日は彼が57歳の誕生日を迎える直前の事。
彼の生活はまさに「友達のふところにすがる」ことで成り立ってはいたが、いかに自責の念に襲われようとも、当時の山頭火を売り子に雇ってくれるような酔狂な豆腐屋はいなかっただろう。