居酒屋山頭火の企画
以下は、遠い昔に幻となった、俳句居酒屋の企画である。
居酒屋兆冶は東京国立にあるモツ焼きがうまい居酒屋である。というのは真っ赤な嘘、とまでは言わなくともピンクには近い嘘である。
東京国立にあるモツ焼きがうまい居酒屋は「文蔵」といい、故山口瞳がこの店の店主をモデルにしてものしたのが小説「居酒屋兆冶」である。
後にこの作品は高倉健、大原麗子、伊丹十三などの出演で映画化された。
居酒屋「山頭火」は広島県の瀬野にある豆腐がうまい居酒屋である。というのは出店計画の段階で流産した真っ赤な嘘である。
出店計画というのは、山頭火祭りの当日、一日だけ、山頭火が自分自身や庵を訪ねてくる友人たちの口を楽しませようと腕を振るった料理を、有志で再現しようというものだった。
ところが有志はいつまでたっても私一人のままで、賛同者もなく、しかたなくそのたった一人の有志は他日を期して、せめて幻のお品書きだけでも残しておこうと思い立った。
山頭火は徹底的に生活力に欠けた人だった。俳人ではあったが、たまにわずかの稿料が入るだけ。ありていに言えば無職で無収入の彼の生活を生涯支えていたのは句友からの援助であり、家族からの仕送りだった。
そんな自分への自己嫌悪に陥る日、日記にはこんな文章を綴っている。
「つくづく考へる、私は豆腐屋の売子にでもならうか!友達のふところにすがることがいやになつた、すまないと思ふ、毎月毎月の赤字がたまらなく私を悩ます、」
しかし勿論、山頭火を雇うような酔狂な豆腐屋などいるはずもない。周囲の人ふところにすがる生活は死ぬまで続いた。
そんな彼だけに、友人が来れば自分の畑の野菜や、差し入れの肉や魚を使って、十銭で購った見切本のお惣菜の作り方で学んだ腕を振るった。
彼は賑やかなことが好きな人だった。
もし山頭火が居酒屋を開くとすれば、自分の句を墨痕鮮やかに記した次のようなお品書が、賑やかに壁を飾るだろう…。
(つきだし)
病めば梅ぼしのあかさ
わかれて遠い人を、佃煮を、煮る
草にも風が出てきた豆腐も冷えただろ
椿にこんにやくが青葉に青葉
こころおちつかず塩昆布を煮る
ゴム靴が落葉をふんできてとゞけてくれたのが酒盗
酢のもの涼しく逢うてゐる
鯣かみしめては昔を話す
秋空、はるゞおくられて来た納豆です
(魚料理)
けふは鮠二つ釣つて焼いて食べる
朝の烏賊のうつくしくならべられ
生きてしづかな寒鮒もろた
鰯さいても誕生日
ぬくめしに雲丹をぬり向きあつてゐる
明日はお正月の数の子まで貰つた
月の黒鯛ぴんぴんはねるよ
食べやうとする蜆貝みんな口あけてゐるか
仕事すましてぶらさげてもどる太刀魚のひかる
お正月の歯のない口が鯛の子するする
はじめてのふくのうまさの今日
目刺あぶればあたまもしつぽもなつかしや
(肉料理)
春もまだ寒い街角で売る猪の肉で
あんたは酒を、あんたはハムを、わたくしは御飯を炊く
春めいた風で牛肉豚肉馬肉鶏肉
飾窓の花がひらゐているビフテキうまさうな
(野菜料理)
ひよいと芋が落ちてゐたので芋粥にする
朝は涼しい茗荷の子
蕨がもう売られてゐる
これが最後のかぼちやたゝいて御馳走にならう
かぶらの赤さがうまさが春が来た
曇つた寒空できりぼしきりつゞけてる娘さんで
ゴボウマキ、ふるさとのうまさかみしめる
大つごもりの風の中から柴漬もろた
早春のおとなりから芹のおひたしを一皿
あるけばふきのとう
けさはけさのほうれんさうのおしたし
みんな手に手に山から松茸かをり
朝焼雨ふる大根まかう
藪から鍋へ筍いつぽん
ふるさとはちしやもみがうまいふるさとにいる
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
つるりとむげて葱の白さよ
誰も来てくれない蕗の佃煮を煮る
胡瓜もをはりの一つで夕飯
これがちしやもみといふふるさとにゐて(長州料理)
石塔につは蕗の花にまぶしい陽
によきによき土筆がなんぼうでもある
雨が洗つていつたトマトちぎつては食べ
春もどろどろの蓮を掘るとか
よいお天気の山芋売か
(鍋もの)
一把一銭の根深汁です
ひつそりとおだやかな味噌汁煮える
ほんに仲よく寄せ鍋をあたたかく
(お食事)
うどん供へて、母よ、わたくしもいたただきまする
けさは涼しいお粥をいただく
何もかも雑炊としてあたたかく
お茶漬けさらさらわたしがまいてわたしがつけたおかうかう
いつさいぶちまける釜飯のうまさ
水は岩からお盆のそうめん冷やしてある
こんなに蕎麦がうまい浅間のふもとにゐる
逢うてチャンポン食べきれない
枯草の日向見つけて昨日の握飯
雪ふるゆふべのゆたかな麦飯の湯気
植ゑた田をまへにひろげて早少女の割子飯(或る農夫の悦び)
(フルーツ)
手がとゞくいちぢくのうれざま
おちついて柿もうれてくる
待つているさくらんぼ熟れている
枇杷が枯れて枇杷が生えてひとりぐらし
いちご、いちご、つんではたべるパパとボウヤ
みすゞかる信濃の国の御幣餅です
芽ぐむ梨のやつとこやしをあたへられた
ぬれてうつくしいバナナをねぎるな
人がきたよな枇杷の葉のおちるだけ
蜜柑うつくしいいろへしぐれする
りんごのひかりのおだやかなふたつ
(甘味)
海から風はまだ寒い大福餅をならべ
すすめられてこれやこのあんころ餅を一つ
秋の日かたむき餡パンたべてもう一ト山
風が肌寒い新国道のアイスキヤンデーの旗
日向はぬくうて子供があつまる廻転饅頭
今日の乞ふことはやすくておいしい汁粉屋の角まで
山からあふれる水の底にはところてん
もなかおいしやひとつでたくさん
焼芋やいて暮らせて春めいた
・店の掟
一、辛いもの好きは辛いものを、甘いもの好きは甘いものを任意持参せられたし。
一、うたふもおどるも勝手なれども、たゞ春風秋水のすなほさでありたし。
一、威張るべからず、欝ぐべからず、其中一人の心を持すべし。
山頭火しるす
・開店時間
夕日を見送ってから
・閉店時間
店主が酔いつぶれた時