山頭火、そうめんを食べる
・水は岩からお盆のそうめん冷やしてある
これは昭和8年8月10日の山頭火の日記にある句である。
一昔前まで、山頭火の出身地である山口県の日本海側の漁村では、お盆の御馳走と言えばそうめん、うりなます、カボチャの煮しめ、ところてんがその代表だった。
この年、8月10日から14日まで、山頭火は山口県の秋吉―八代―仙崎方面に行乞の旅に出た。
8月10日の朝は、宿で朝酒を楽しんだ。
昼は六個で五銭のうまい田舎饅頭を食べ、橋の下の草の上で昼寝をした。
田舎饅頭とは薄皮まんじゅうの事。 山頭火と言えば酒がただちに連想されるが、実は彼は甘党でもあったのだ。
この日、旅の草鞋を脱いだのは仙崎の寺田屋。
風呂も便所も清潔で山頭火お勧めの宿だ。
夕食の膳に出たのはさしみ、茄子、焼き海老。
冒頭に挙げた句にはよんだものの、日記を読む限りこの日の山頭火は冷えた素麺をすすりこむ事はなかったようだ。
おそらく行乞途中の村の家で、昼食用に清水で冷やされていたそうめんを見かけたのではないだろうか。
岩から流れ落ちる水のキリッとした冷たさ、充満する蝉の声、苔の匂い。周りの木立の緑が素麺の白さを引き立てる。
炎天の下、それを横目に見ながら、喉と腹を鳴らしつつ歩き過ぎる山頭火の後姿が小さくなっていく…。
食べるものなら来るもの拒まずの山頭火だが、麺類もその例にもれず、そうめんを詠んだのは上掲の一句だが、うどんは五句、蕎麦は11句、チャンポンも一句詠んでいる。その麺類の句の中で一句を挙げるとすれば、山頭火が自選句集である「草木塔」に収めている次の句になるだろう。
・うどん供へて、母よ、わたくしもいたただきまする
「天然の旅情」に誘われるまま、旅に明け暮れた作家、壇一雄の「壇流クッキング」にソーメンの項がある。彼の勧めるソーメンの薬味は次の通り。
サラシネギ、叩きゴマ、煮シイタケ、鶏挽肉の煮たもの、煮ナス、炒り玉子、ダイコンおろし。堂々7品の薬味をソーメンつゆにうかべてすすり込むという豪華絢爛たるソーメンである。
新婚時代の夏、この「壇流クッキング」を妻に渡し、この七品の薬味を添えたソーメンを作るように私は威厳をもって命じた。
若かった妻はいそいそと台所に立ち、この豪華版ソーメンを作ったものだ。
小さなテーブルに所狭しと並んだ七品の薬味を一つ一つめんツユに入れて味わったあの夏の日の栄光は忘れられない思い出だ。
しかし私の黄金時代はあっけないほど短いものだった。
夏が巡って来るたびに、ソーメンの薬味は六品、五品、四品とあたかも坂道を転げるように先細りしていった。
ああ、あれから42年、猛烈に暑かった今年の夏のある日にも昼餉にソーメンがでた。
かつて七品添えられてあった薬味は悲しいことに刻みネギだけだった。
「何だ、この有様は!」という怒声は私の心の中では叫ばれたものの、口から発せられることはなく、私は子羊のようにおとなしくソーメンをすすり終えた。
もはや自分が権力の座から完全に失脚している事、復権を企てるにはもはや遅すぎる事を私は目と舌で否応無く味わった。
「ごちそうさま」と食卓を離れながら、子羊は山頭火と同郷の詩人、中原中也の詩「頑是ない歌」の一節をかみしめる…。
今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時いつまでか
生きていくのであろうけど