山頭火、鮎を食べる その2
◎昭和10年8月3日の日記より
愉快な旅の一週間だつた、友はなつかしい、酒はおいしい、ビールもよろしい、鮎も好き、…
「愉快な旅の一週間だった、友はなつかしい、酒はおいしい、ビールもよろしい、鮎も好き、…」
(ちょっと一言)
・「愉快な旅の一週間」について。
7月27日の日記にはこうある・
「早起、朝酒、九時の下りで九州へ。――初めて汽車の食堂にてビール一本さかな一皿」
この一週間、彼は九州の旅に出て、句友や飯塚に住む息子の健に一年ぶりで会っていた。
・この旅で山頭火は門司、八幡、飯塚、戸畑、下関で料理屋、飲み屋を放浪している。
したがって今回はどの町で食べた鮎かははっきりしないが、とにかく福岡県の川で獲れた鮎であることは間違いないだろう。
8月はアユの食べ時だ。
・このころ山頭火が読んだ本。
岡倉天心の「茶の本」
森鴎外訳の「即興詩人」
◎昭和13年3月23日の日記より
「日田は木どころ、製材所が多い、なかなか大規模だ、産物ハ焼杉下駄、名物ハ鮎、うまいなうるかは。飲食店、宿屋料理屋が多い」
(ちょっと一言)
・山頭火がうまいと言っている「うるか」とは、鮎の塩辛のこと。
酒好きの山頭火にとっては贅沢の極みというもの。
・日田とは大分県日田市のこと。三隈川の鮎はそのうまさが奈良時代から語り継がれているそうな。
◎昭和14年7月8日の日記より
「中の茶屋まで歩く、河鹿が鳴く、青葉がそよぐ。呉朗君、やあさん、山翁、まさに子供にかえる。酒、ビール、鮎、鰻、飲みたいだけ飲み、ふざけたいだけふざける、…とうとう三人いっしょに泳いだ」
(ちょっと一言)
・この日の鮎はどこの産か?
答えはこの日の山頭火の日記にある。
「十時、Nさん来訪、すぐ連れ立って湯田駅から上り列車へ乗り込む、山口駅からYさん同乗、おもしろおかしく話しているうちに長門峡駅に着いた」
現在の湯田温泉駅からJR山口線に乗り込んだ山頭火は長門峡駅で下車し、長門峡に向かったのだ。
長門峡は、大正12年(1923)に国指定の名勝となった景勝地で、萩市から山口市にまたがる総延長約12㎞の阿武川沿いの美しい渓谷。
つまりこの日の鮎は阿武川の鮎ということになるだろう。
・呉朗君とは詩人中原中也の弟、中原呉朗のことである。
この年昭和14年(1939年)当時、中原呉朗は長崎医科大学の学生だった。彼は山口高等学校時代に文学に傾倒し、当時湯田温泉に住んでいた山頭火と親しく交際していた。
ちなみにこの当時、兄の中原中也はすでにこの世の人ではない。
・この時山頭火は56歳。彼が亡くなる一年前だ。
中原呉朗は22歳。
山頭火は自分の息子より若い友人たちと「飲みたいだけ飲み」、「ふざけたいだけふざけ」た挙句、山間の冷たい川で泳いだのだ。
心臓に病を抱える彼としてはやってはいけないことに違いないが、「分かっちゃいるけどやめられない」のが山頭火である。