47話 昇格試験
「さ、どっちからやる?」
アッシュさんがそう聞いた。
早速始めるらしい。命を奪う。そのことが急に重い現実となって突きつけられた。
だが、俺は手を上げた。
「俺が」
「タカ・・・」
結依が小さくつぶやいたのが分かった。だが、さすがに結依にやらせるわけにはいかない。仮にも女の子だしな。
「ほう。ま、そこでやらなきゃ男が廃るってもんだな。よし。付いてこい」
アッシュさんは満足ににやっと笑った。どうやら俺が名乗りをあがたのは間違いではなかったらしい。
アッシュさんに連れられ、檻の前までやってきた。後ろから結依とセナさんが怖々見守っているのを感じる。
「よっ」
アッシュさんが檻を開け、中にいた兎の耳を掴み、引っ張り出した。
「きゅっ!?」
突然のことに、兎はジタバタと暴れ出す。体長30センチぐらいの小さな兎。しかし全身を激しく動かしてなんとか逃げようとしている。
真っ白な体毛に、長い耳、つぶらな瞳。学校の兎小屋にいたら、さぞかし人気者になっていただろう。俺はこいつを殺すんだ。ぎゅっと心が締め付けられるのを感じる。
「まず見本を見せるぞ」
そう言ってアッシュさんは腰のベルトからナイフを引き抜き、兎の首元に当てた。
「きゅいっ。きゅいっ」
兎は相変わらずジタバタと暴れている。自分がこれからどうなるのか分かっているのか、アッシュさんの手から逃れようと必死だ。
しかし、アッシュさんは構わずナイフを突きつけ、
「こいつを苦しませないためにも、首を勢いよく切り裂け。こういうふうになっ」
ザシュッッッ
首を一閃。
「きゅいっ・・」
血があふれ出た。勢いよく飛び散り、アッシュさんの身体を染める。
思わず目をそらす。
「こんな感じだ」
恐る恐る目を開ける。
血まみれのアッシュさん。その手元には、ぐったりとこと切れた兎。ポタポタとしたたり落ちる血。まさに今、死んだのだ。
しかし、それをなしたアッシュさん平気な顔で、死んだ兎を袋に入れた。
「こいつはギルドの食堂で使うんだ」
どうやらただ殺すだけじゃなくて、食材として利用する、と。少なくとも、この兎は無駄死にではない。無差別な殺生よりはいいと思ったが、それで心が晴れるわけではない。
いよいよ、今度は俺の番だ。心臓がうるさいぐらいはねている。落ち着け、と自分に言い聞かせるように深呼吸。
「いくぞ」
アッシュさんは別の檻を開け、新しい兎を掴んだ。
「きゅいっきゅいっ」
さっきの惨劇を見ていたのか、兎は大暴れ。身をよじってなんとかアッシュさんから逃げようとしている。その兎を、俺に向かって突き出す
「さ、タカ。やってみろ」
恐る恐る、左手を伸ばす。兎の耳の触れ、そっと握る。
温かい。柔らかい。確かに生きている。
「離すぞ。しっかりつかめよ」
アッシュさんの手が離れたことにより、兎の重みがずっしりと俺の手に伝わる。バタバタと暴れ、手からこぼれ落ちそうになる。思わずぎゅっと握ると、兎はきゅっっきゅ、と苦しそうな悲鳴を上げた。
「うっ」
こいつを、殺すのか。
「タカ。ナイフを抜け」
腰に巻いたベルトから、ナイフを抜く。しかし、その手が震えているのが分かる。
「きゅいっっきゅいっっ」
震える手で、首元にナイフを突きつける。
「きゅいっっきゅいっっ」
兎が暴れる。その震動が、左手に伝わる。つぶらな目が、恐怖に染まっている。
「はぁっはぁっ」
あと少し、腕を引くだけ。それだけで、この兎は死ぬ。
そう。殺さなきゃならない。だというのに、どうしても手を動かせない。
「タカ。やらなきゃ終わらねえぜ?」
アッシュさんの声が遠くで聞こえる。
しかし、俺自身の荒い息と、兎の叫び声はことさら大きく聞こえる。世界に俺と兎。二人しかいないようだ。
「きゅぃぃ」
「はぁっはぁっ」
苦しそうな兎の声。荒い俺の息。
あと少し。腕を動かすだけで・・・。
兎と目が合った。黒い瞳。限界まで瞳孔が開かれている。
「タカ。やれ」
命を奪う。ああ。とても重い。どうしても手が動かない。
「タカさん・・・」
セナさんの声も聞こえた。とても心配そうだ。だが、振り返る余裕はない。
「タカ。お前は何で昇格したいんだ?目標はねぇのか?」
目標・・・?そうだ。俺は魔王を倒すんだ。日本に帰るんだ。
「タカ・・・」
結依の声が聞こえた。
「大切な人を守れねぇぞ!」
・・・ごめんっ!
「はっっっっ」
ザシュッッッ
「きゅいいいぃぃぃ」
柔らかい肉を断つ感触。生暖かい血が吹き出し、身体にべっとりとかかる。
暴れていた兎が、やがてぐったりとなり、左手の震動が消えた。それで、こいつは死んだんだ、と感じた。
いや、俺が殺したんだ。俺が。この兎を。殺したんだ。
「はぁっ。はぁっ。はぁっ」
冷や汗が出てきた。
「よーし。よくやった」
アッシュさんはそう言うと、俺の手から兎を奪い取った。ちらっと見ると、ピクリとも動かず、血を首から垂れ流していた。恐怖に染まっていた瞳には、何の色も見られない。
「はぁっはぁっ」
べっとりと血で濡れた手が、小刻みに震える。手にまだ感触が生々しく残っている。軟らかい肉、プチッと切れる血管、勢いよく吹き出す血。兎の断末魔は耳にこびりつき、絶命する際の恐怖に染まった顔は目に焼き付いている。
「悠・・・。大丈夫・・・?」
タカと呼ぶのも忘れて結依が隣に寄り添ってくれた。俺の手からナイフを奪い、投げるように捨てる。
ゆっくりと俺を座らせて、そっと手を握ってくれた。自分の手が汚れるのも厭わずに。そのままゆっくりと手をさすってくれる。
「ああ・・・」
ひんやりした自分の手に、ぬくもりが宿る。震えがそっと収まり、悲鳴が遠のいていった。
「はぁっ・・・。ふぅ・・・」
呼吸が落ち着いてきた。生々しい感触が消えていく。もう少し。もう少し。このままで・・・。
結依はぴったりと隣に寄り添い、手を握り、さすり、励ましてくれた。
「大丈夫。大丈夫・・・」
「はぁっ・・・。ふぅっ・・・」
ずいぶん時間が経ったような気がした。
「どう?落ちついた?」
「うん」
「よかった。お疲れ様」
最後にぎゅっと力を込めた後、結依は俺の手を離した。
ゆっくりと立ち上がる。手の震えも、荒い息も治まった。
「ふぅ」
ひとまず立ち直った。アッシュさんを見ると、彼は顔に笑みを浮かべていた。
「ふっ。仲がいいこった」
そう笑われ、俺と結依は慌てて距離を取った。
「おっと。べつにからかってるわけじゃねえ。つらいときに励まし合える人がいるってことは大事なこった」
「「・・・」」
なんか恥ずかしくなって、俺も結依も黙った。
そんな俺たちを見て、アッシュさんはくっくと笑い、セナさんは軽く微笑んでいた。
「さ、次はイチカだな」
アッシュさんの言葉に、結依は意を決したように頷く。
「頑張ってください!」
そして、檻の前まで迷い無く歩いて行く。俺もがんばれ、と思いを込めて結依を見送る。
「いいか?」
「はい」
アッシュさんの問いかけに、結依は力強く頷いた。それを受けて、アッシュさんは檻に手を入れ、兎を引っ張り出す。
「きゅっきゅっ」
「ほれ」
「わっ、とっ」
結依はジタバタ暴れる兎を受け取る。初めはその力強さに驚いていたが、すぐにぎゅっと耳をつかみ、逃げられないようにした。
「じゃ、イチカ。やってみろ」
こくりと頷き、結依はベルトからナイフを取り出し、兎の耳に当てた。離れて見守る俺からも、手がかすかに震えているのが分かった。
「ふぅぅぅぅっ」
刃を兎の首に当てて、止まる。
「さぁいけ、イチカ!」
ザシュッッッ
一気に、兎の喉を切り裂いた。
血が噴き出し、結依の身体を赤く染める。
ひと思いに行った。全然躊躇わなかった。すごい。と思ったら
カラン
ナイフが結依の手から離れ、地面に音を立てて落ちた。一歩二歩、身体がよろけている。
「ゆ・・・イチカ!大丈夫か!?」
全然大丈夫じゃなかった。無理してたんだ。慌てて駆け寄る。
「・・・ええ。だけど・・・。堪えるわね・・・」
よろける身体を受け止め、そっと座らせる。後ろから包み込み、ぎゅっと結依の手を握る。結依は俺の手を強く握り返した。痛いぐらいだ。
結依の手は震え、息も荒い。
「大丈夫。大丈夫だから。ゆっくり深呼吸して」
そう言い聞かせる。
「うん・・・」
すぅ、はぁ。結依の呼吸が聞こえる。
そのままぎゅっと手を握る。あの柔らかい感触が消えますように。そう願いながら。
「よくやった。すごいよ」
「ええ・・・。でも、気持ち悪いわ」
「うん」
どれくらい経っただろう。やがて結依の呼吸も落ち着いてきた。
「もう大丈夫よ」
結依はそう言って手を離し、立ち上がった。ふぅと息を吐き、アッシュさんの方を向いて言う。
「アッシュさん。これで私たちは合格ですか?」
その声に弱々しさはなかった。少なくともある程度は吹っ切れたらしい。
「はっはっはっ。もう立ち直ったか。・・・ああ、合格だよ。おめでとう」
「お二人とも、お疲れ様でした!合格できてよかったです!」
アッシュさんは宣言し、セナさんも祝福してくれた。俺たちは晴れてD級冒険者だ。ただ、素直に喜ぶ気にはなれなかった。というのも、
「分かったか?命を奪うということが」
「はい。すごく・・・。なんというか・・・」
「気分が良いものではなかったです・・・」
肉を断ち、血を浴びる感触。それを知ってしまったから。
だが、この試験なしで、いきなり実戦に出ていたらどうなっていただろう。殺すのを躊躇っている間に俺が殺されていたか、殺した感触に呆然としている間に別の敵に殺されているか・・・。
そう思うと、ぞっとした。やはり試験を受けてよかったのだろう。
「ああ。だが、躊躇うな。躊躇ったらやられる。殺したくない、なんて甘いことは言ってられない。そのことを肝に銘じろ」
「「はい」」
それは、肝に銘じなければならない。
命を奪うこと。慣れたとは言えない。そもそも慣れて良いものなのだろうか。殺したことによって、成長したと言っていいのかも分からない。ただ、これをしない限り、魔王討伐なんて夢のまた夢。避けては通れない。だから。必要なときには躊躇わないように。そう思った。
こうして俺たちは無事にD級に昇格した。
「・・・がんばろうな」
「そうね」
最後にそう交わし、俺たちの昇格試験は終わった。




