1話 ある朝の日常
ピピピ ピピピ ピピ
「うぅーん」
目覚ましを止めてゆっくりと身体を動かし始める。朝だ。
「ふぁ~あ。またあの夢か」
俺は目をこすりながらつぶやいた。頭に浮かべるのは昨夜見た夢。俺が「誰か」と再会を約束しながら死んでいく夢だ。俺が俺ではない少年になっている。今まで何度も見た夢。あるときは学び舎で机を並べている夢、あるときは得体の知れないモンスターと戦っている絵、あるときは大きなペットを愛でている夢、そして、今朝のような死にゆく夢。
こういった夢のいずれも場面にも、その「誰か」は横にいた。
「誰だ・・・ ?」
その「誰か」は夢から覚めた途端、名前も顔を忘れてしまう。その「誰か」と無性に会いたいと思う。ただ、何も思い出せない。合いたいと思う一方、思い出せないなら俺にとって大事な存在ではないのではとも思う。それに、夢で見た存在に無性に会いたいなんて、馬鹿らしいとも思ってしまう。
「うぅ~ん。ふぁ~あ」
思い出そうとしていると、あくびが出た。今朝のような死んでいく夢を見る場面が一番多いが、そんなときは決まって寝不足になる。悪夢を見てよく眠れないのだ。
「悠~。ご飯よ~」
「はーい。今行くー」
だから、まあいいか、とすぐに忘れてしまう。それよりも、変な夢を見たせいでよく眠れなかった。いつもより体が重い。そう思いつつ俺は階下からの母さんの声に返事して、ベッドから抜け出して部屋を出た。
「おはよう、悠。行ってきます」
「ん、いってらっしい」
目をこすりながら俺が一階のリビングに降りると、ちょうど父さんが仕事へ行くところだった。白髪が目立ってきた50代のおじさん。今日もヨレヨレのスーツを身にまとい、毎朝早くに家を出て行き、夜遅くに帰ってくる。社畜と思わないでもないが、文句も言わず仕事へ行く姿は少し尊敬する。
「ほら、悠も早くごはん食べちゃいなさい」
母さんに促され、食卓に着く。今日の献立は白ご飯に味噌汁、目玉焼き。・・・目玉焼きか。俺はあんまり目玉焼きが好きじゃないんだよな。黄身がパサパサしてるのが嫌いだ。
「いただきます」
とはいえ、せっかく作ってくれた朝ご飯に文句をつけるほど恩知らずではない。出されたものはしっかり食べる主義なのだ。
「ねえ悠、最近母さん痩せたと思わない?」
「・・・おお」
もぐもぐと朝食を平らげていると、母さんがおなかをさすりながら聞いてきた。最近ウォーキングを始めたらしい。
だた、俺はどう答えればいいのだろう。正直毎日見ているとそんな細かい変化に気づけない。
「・・・そうかも」
だから適当にお茶を濁す。別に元から太ってるわけでは無いと思うが。どこにでもいる専業主婦なのだ。そんなに体重にこだわらなくても・・・と思うのは野暮か。
「もうっ。つれないわね。・・・そういえば、最近結依ちゃんと一緒に学校に行ってる?」
「・・・行ってるよ」
結依は俺の家の隣に住む同級生だ。同級生というより、幼なじみといったほうがいいか。それも、ただの幼なじみではない。驚くべきことに幼稚園から今の高2まで全てのクラスが同じなのだ。これはもう一種の呪いだと思う。
「いい?ちゃんと学校までエスコートするのよ?っていうか、あんたも結依ちゃんと一緒に登校できてまんざらでもないんでしょ?」
「うるさい。ちゃんと一緒に行くから余計なこと言うな」
別に俺は結依と一緒に学校へ行くのを楽しみにしているわけではない。・・・いや、ツンデレみたいになっているが、ほんとに楽しみにしてるわけじゃない。親に言われて渋々一緒に行っているだけなのだ。まあ、満員電車で痴漢に遭っても目覚めが悪いし。仕方がないからそこだけは盾になるようにしてるけど。それだけだ。一緒に行きたいとかじゃない。
ていうかエスコートて。今度は何のドラマを見たんだ。
ため息をつきながら時計を見ると、7時20分。
「っと。ごちそうさま」
7時半には結依が来るので、急いでご飯をかき込み、席を立つ。
歯を磨き、制服に着替える。待たせると何を言われるか分からないので、急ぐ。
ピンポーン
家のチャイムが鳴ったのは、ブレザーに袖を通し終わったのと同時だった。時間ぴったり。
「いってきまーす」
「はーい」
母さんに見送られて家を出る、ドアの外に立っていたのは一人の女子高生。一条結依だ。
「おはよう」
「おはよう」
外見は間違いなく美少女だと思う。濡れるような黒い長髪に、ピンと伸びた背筋。シミ一つ無い肌にややつり目気味の目。つややかな唇。スタイルも抜群。外見だけでいうなら、俺はこいつより美しい女性を、テレビ雑誌含め、見たことがない。・・・以前この話を友達にしたら、「ああ、うん・・・」と返されたが、あれはどういう意味だろう。
「何?じろじろ見て」
「いや、何でも無い」
「何でもないなら見ないでくれる?変態なの?」
「なんでそうなる」
・・・外見は間違いなく美少女なんだが。この性格はどうにかならないのか。冷たいというか、高飛車というか。普段俺たちはこういったしょうもない喧嘩が会話の8割なのだ。その原因はこいつの正確にあると思う。
「うふふ。悠くん。今日も結依をよろしくね」
「あ、はい。任せてください」
結依のお母さんが玄関に出ていたようだ。笑顔で挨拶する。彼女はもう40代のはずだが、とてもそうは思えないほどきれいだ。結依と違っておっとり系の美人さんだが、外見の良さは間違いなく娘に受け継がれている。ああ、見るだけで朝から癒やされる。
「何ニヤニヤしてるのよ。気持ち悪い」
「は?笑顔は社会の潤滑油だぞ。そんなことも知らんのか?」
「あんたまだ高校生でしょ?何知ったようなこと言ってんのよ」
「はいはい。仲がいいのは分かったから、もう行ってきなさい。遅刻するわよ」
言い争っていると、結依のお母さんからあきれた声で、しかし笑いながらそう言われた。
「仲良くない」「仲良くはありません」
心外だ、と抗議するとその声が結依とかぶってしまった。心外だ。
「うふふ。息ぴったりじゃない。じゃ、いってらっしゃい」
「「・・・いってきます」」
朝から釈然としないまま、俺たちは駅へと歩き出した。