112話 訓練
「行くぞ!リル!」
「わん!」
ハイネンの街の外に広がる草原。俺たちはそこに来ていた。依頼を受けるためではない。遊び兼特訓のためである。まずは俺とリルの追いかけっこだ。俺がリルに触れられれば勝ちである。一見単なる遊びに見えるが、そうではない。まあリルにとっては遊びかもしれないが、俺にとっては訓練なのだ。リルは俺よりもスピードも体力もある。俺が本気で追いかけても追いつけないぐらい。だから俺にとってはリルを捕まえるのは体力、瞬発力、そして相手の動きを予測する力を鍛える訓練になるのだ。
というわけで俺はリルと10メートルほど離れて向かい合う。そして大きく息を吐き、リルに向かって飛び出した。
グン、と加速していき、リルに迫る。その小さな身体を捉えようと、右手を伸ばす。
リルは動かない。
あと少し。もう少しでリルのもふもふに指が触れるーー
「わふ!」
ところが、リルは実に軽やかな動きで俺の指を躱した。
「あっ」
目標を失った俺の右手は虚しく宙を掻いた。そのせいで俺はバランスを崩し、どしゃっ、と地面に倒れ込む。
「わふぅ」
「ぷっ。悠。全然ダメじゃない」
「ぴぃ!」
リル、結依、エンに煽られた。確かに我ながら無様だったかもしれない。だが、笑っていられるのも今のうちだ!
「くそっ。まだまだ!」
すぐさまたちあがり、リルに向かっていく。
「はぁぁぁっ」
右手を伸ばす。ひらりと躱される。それでも地面を踏ん張って方向転換。すぐさま追いすがる。リルは悠々と躱す。しかし俺も諦めずに食らいつく。そんなことを繰り返しーー
「はぁっ。はぁっ」
「わふぅ」
「リル・・・。強いって・・・」
結局、2~30分やっても一度もリルを捕まえられなかった。悔しい。
一旦休憩だ。荒い息を整え、地面に座り込む。
「わふ」
と、リルがやってきて、俺の足をてしてしと叩く。慰めているのか、構って欲しいのか。まったく。さっきまであんなに容赦なかったのに。
「このっ」
「わふっ」
思わず抱き上げ、膝にのせる。半分広義の意味も込めてわしゃわしゃとなでると、リルはくすぐったそうに目を閉じた。くっ。かわいい。癒やされる。
「しっかし、ほんとにすごいな、リルは」
「わふ」
俺がリルと戯れていると、エンを肩に載せた結依もやってきて同意した。
「そうね。心強いわ」
「ぴぃ!」
「ふふっ。そうね。エンも頼りにしてるわ」
「ぴ!」
俺、結依、リル、エン。四人で暫し休憩する。手でもふもふの感触を楽しみながら、爽やかな草原の空気を味わう。こうしていると、アルス王都の草原を思い出す。あそこでピクニックしたこともいい思い出だ。目をつぶると、その時の思い出がありありと浮かんでくる。
そして、それを思い出したのは俺だけではなかったようだ。
「ロッシュさんたち、元気かしら」
「・・・今頃、王都でのんびりしてるさ」
「・・・そうね。そうだといいわね」
俺はアルス王国を追放された。せめてロッシュさんたちに迷惑を掛けまいとこっそりとベイル家を抜け出した。まあ結依とリルにはバレていたが。
ともかく、ロッシュさんたちは今何をしているだろうか。幸せに暮らしているといいな。
・・・しんみりしてしまった。その空気を払うように、立ち上がって言う。
「よし。もう一度だ、リル」
「わふ」
今は強くならないと。俺たち自身のために。そして魔王を討伐する。それぐらやれば大手を振ってロッシュさんたちにも会えるだろう。
もう一度、リルと追いかけっこだ。さっきまでは手も足も出なかった。またやっても同じ?いや、違う。ここからが本番なのだ。先ほどまでは準備運動。いや、負け惜しみじゃなくて、本当に。
「結依」
俺は結依にこそっとあることを伝える。結依は分かったわ、と言った。
さて、準備完了だ。
「準備はいいか?リル」
「わん」
リルに向かって駆けるーー。ことはせずに、俺は結依に呼びかけた。
「結依。頼む」
「ええ。=&#’(!”*/」
結依が俺に向かってとある呪文を唱えた。同時に、ぽわっと俺の身体が赤く光った。身体に力がみなぎるような感覚。
「行くぞっ」
ぐっ、と地面を力強く蹴る。
「はっ!」
「わふ!?」
ビュン。俺の身体が加速した。同時に、リルが驚いた顔をした。無理もない。俺の動きは先ほどより断然速いからだ。生身ではあり得ない速度。そう。身体能力強化である。
これでリルに勝てるっ!
リルに手を伸ばす。さあ、避けられないだろっ!
ところがーー
「わふっ!」
「なっ!」
リルはまたしても鮮やかに飛んで、俺の手を避けた。しかもその動きは先ほどより速くなっている気がした。
なるほど。リルも本気を出していなかった、ってことね。
望むところだ。
「はあっっ!」
地面を蹴って方向転換。リルへ迫る。
「わふっ!」
「くっ!まだまだ!」
「わん!」
「っ!もう一回!」
追いかけては避けられ。それでもまた追いかけて。魔法の効果が切れたらまたかけ直して。それを繰り返した。
実は今日のメインは身体能力強化の特訓である。リルと追いかけっこして感覚に慣れる(結局全然捕まえられない)。それでけでなく、自分もと拗ねるエンに相手をしてもらったり、素振りをして感覚を確かめたり。
エンには隙を見て炎を吐いてもらった。あやうく丸焼きになるところだったが、なんとか無事に避けることができた。エンのおかげで緊張感のある訓練ができた。めっちゃ怖かったけど。
素振りでは、初めは勢い余って自分の身体を刺しそうになった。やっぱり身体の出力が上がっているから、思い通りに扱うことは難しい。それでも100回を超えたあたりから思うように扱えるようになった。
ところで。どうして身体能力強化の特訓をしているかというと。先日ギルドでこんなやりとりがあったからだ。
「おめでとうございます!タカさん!イチカさん!C級昇格です!」
それはオーク討伐を終えてギルドに戻ったときのこと。オークの魔石をリーンさんに提出し、報酬を受け取りつつ、言われたのだ。
「昇級ですか?」
驚いて聞き返すと、リーンさんはにっこり笑った。
「はい!お二人はこコツコツ依頼を受けてくださいましたから。おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
リーンさんの祝福にお礼を言う。なんだか自分たちの努力が認められたようでうれしい。結依もうれしそうに微笑みながら、リーンさんに尋ねる。
「C級に昇格したってことは、受けられる依頼も増えるんですよね」
「はい。魔物の強さも強くなりますが、その分報酬も高くなります」
「そうなんですね」
それはむしろ望むところだ。報酬というよりは、魔物が強くなるという部分で。強い魔物を相手にすれば俺たちだって強くなるはずだから。
と、リーンさんが真面目な顔になった。
「・・・ところで、C級になられたお二人にご相談があるんですか」
「なんですか?」
聞き返すと、少し言いづらそうに言った。
「実は、オーガ討伐の依頼を受けていただきたいのです」
「オーガですか?」
ファンタジー小説ではよく出てくる敵だ。オークが豚の魔物だとすれば、オーガは鬼の魔物というイメージがある。オークよりも強い魔物だと思う。この世界ではどうなんだろうか。
「姿はオークと似ていますが、強さはオークよりも上です。とにかく身体能力が高くて、凶暴な魔物です。最近シュレル山の中腹で目撃情報が相次いでいるので、早めに討伐していただきたいのですが・・・。なにぶんハイネンのギルドは人手不足でして」
「オークより強いんですか」
「ええ。出来るなら身体能力強化の魔法を使って対峙することををおすすめします」
「そうですか・・・」
身体能力強化。ロッシュさんたちに教えてもらってから、ちょくちょく練習してはいる。勢い余って転ぶことはなくなったが、まだ実戦で使ったことはない。
「無理にとは言いません。少し考えてみて下さい」
ギルドにて、そんなやりとりがあった。元々俺たちは魔王討伐が目標なんだ。オーガ討伐は軽くこなせるようにならなきゃいけない。断るという選択肢はない。よって、オーガ討伐に備えて身体能力強化の特訓をしているのだ。
「どう?悠」
「ああ。なんとかなりそうだ」
結依の問いかけに頷く。強化状態の感覚にもかなり慣れてきた。しっかり走れるし、剣だって通常と同じように扱えるようになった。この分だと実戦でも使えそうだ。
「リルもエンもありがとう。つき合ってくれて」
「わん!」
「ぴぃ!」
さて、次は早速オーガ討伐を受けようかね。頑張ろう。