102話 お悩み相談
ハイネンに来て一週間ほどが過ぎた。今のところゴブリン討伐に行く、休む、ゴブリン討伐、休む、というサイクルを繰り返している。おかげでハイネンの街にも慣れてきた。宿もずっと潮風亭を利用しているし、そこの娘であるルビィちゃんとも仲良くなった。女将のメリエラさんや主人のダールさんも気に掛けてくれて、いい関係を築けている。
しかし、懸念事項が一つ。それは最近結依の表情が浮かないことだ。ハイネンに来て初めてのゴブリン討伐の時からだ。俺はすぐ戻るだろうと思って最初は放っておいたのだが、どうも治まらない。特にゴブリン討伐の時にそれが顕著になる。俺が見る限り危険な目に遭っていないし、討伐は順調だと思うのだが、なにか思うところがあるのかもしれない。もしかしたら、生物の命を奪うことに対して忌避感が出てきたとか・・・?
そうであれば一大事だ。幸い今日は休みである。ゆっくり結依の話を聞くことにしよう。
「なあ結依」
「なに?」
朝食を食べながら結依にそう話しかける。今日はパンとメリエラさん特製のスープだ。ご飯の美味しさもこの宿に滞在することを決めた一因である。
「ちょっとでかけようか」
「え?」
「いいからいいから。ご飯を食べたら準備して」
というわけで、驚く結依を無理やりハイネンの街に連れ出した。時刻は午前10時頃。朝の慌ただしさと昼休憩でごったがえす間、ちょうど街の人通りが少なくなる時間だ。俺たちはその中をのんびりと歩く。俺と結依、そしてリルとエンだ。
今日は依頼ではないのでラフな服装。俺は黒のズボンに白いシャツ、薄い黒のジャケットを羽織っている。一方結依は白いワンピースにベージュの薄いカーディガンという清楚な出で立ちだ。黙っていればどこぞのお嬢様のよう。正直外見だけはいいんだよなぁ。そして長い黒髪を結ぶのは青いシュシュ。
「で?どこに行くの?」
「カフェにでも行くか」
俺が提案したのはハイネンにあるおしゃれなカフェ。外から見たことしかないが、おしゃれな外観だし、清潔感もある。依頼に行く時に見かけて、なんとなく気になっていたのだ。そしてなんとこのカフェ、テラス席なら従魔の連れ込みもOKなのだ。リルとエンを連れている俺たちにも優しい。
俺はカフェオレ、結依はジュース、リルとエンのための水を注文した。それらが運ばれてくるまで暫し待つ。二人とも無後だった。ただぼぅっと座り、静かに景色を眺める。沈黙が続くが、今更そんなことで気まずくなる間柄ではない。
「お待たせしました」
やがて注文したものが運ばれてきた。カフェオレ、ジュース、水だ。ドリンクを飲みながら、結依がようやく口を開いた。
「急にカフェなんかに連れ出して、どういうわけ?」
じとっとした目で尋ねられた。一瞬茶化そうかと思ったが、やめた。真面目な話題だから、俺は早速本題に入ることにした。
「最近浮かない顔してるけど、なにがあったんだ?」
結依はわずかに目を見開いて、息を呑んだ。
☆☆☆
「最近浮かない顔してるけど、なにがあったんだ?」
悠にそう言われたとき、私はとっさに言葉が出なかった。自分ではうまく隠しているつもりだったからだ。
「き、気のせいじゃない?」
「いや、違う。特にゴブリン討伐の時だ。とぼけても無駄だぞ。何年幼馴染やってると思ってるんだ」
ごまかすも、強い口調で言い切られた。確信をもった言い方だ。もう隠すことは不可能かもしれない。
「・・・」
「・・・無理に理由を言わなくてもいい。ただ、討伐がつらいなら教えてくれ。今後は俺一人で行くから」
「違う!そうじゃなくてね・・・」
「うん」
「・・・」
「・・・」
悠は決して焦らさなかった。ただじっと私を見つめるだけ。私はしばらく視線をさまよわせ、逡巡していたが、やがてぽつりと言葉がもれた。
「・・・私だけ弱いなって。そう思ったの」
私が悩んでいたこと。弱いこと。
それを聞いて悠は意外そうに目を見開いた。
「どういうことだ?」
「リルとエンは言うまでもないでしょ。私たちより強い」
目にもとまらぬ速さをもつリルとエン。リルは跳躍力も優れているし、爪、牙の鋭い攻撃がある。エンは何といっても炎だ。二人は従魔という立場だが、私たちよりも強い。それは悠も認めるところだ。
「まあそうだな。リルとエンは俺たちより強い」
「わふ?」
「ぴ」
と、リルとエンが水を飲むのをやめ、首をかしげてこちらを見上げた。自分たちの名前が聞こえて気になったのだろうか。
「ふふっ。強くて頼もしいなって話をしていたの」
その姿が可愛らしくて、思わず笑ってしまった。すると二人とも自慢げに胸を張った。
「わん!」
「ぴ!」
ああ。かわいい。癒やされる。
「うん。それでね。悠も強い。私よりも」
リルとエンのおかげで少し心が軽くなった私は、悠に向かってまた話し始める。
「そうか?そんなことはないと思うけど。前に俺たち二人で模擬戦をした時もお前が勝ったし」
「違うの」
首を振って否定する。私が言いたいのはそういうことじゃない。
「私だけ自力でゴブリンを討伐できないの。殺傷能力がある魔法が使えないから」
私だけ一人じゃ何も出来ないこと。
「私は誰かの補助でしかない。これじゃあ後々足を引っ張ってしまう。そう思ったの」
それが嫌なんだ。
私は誰かに助けてもらわなければいけない。いつか私がピンチになっても一人じゃ切り抜けられない。誰かに迷惑を掛けてしまう。それが怖い。
しかし悠は首を振った。
「俺はお前の補助があって助かってる。ゴブリンの群れが現れたとき、お前が牽制してくれるから俺は安心して戦える。お世辞でも何でもなく」
「・・・ありがとう」
とても真剣な声だ。お世辞ではないことはよく分かる。うれしい。
ただ、私の心は晴れなかった。
私はもっと強くなりたい。補助だけで満足したくはないのだ。
「すまんな」
「え?」
急に、悠が頭を下げた。なぜ?驚く私に悠は言葉を続ける。
「俺に付いてきてくれたばっかりに、メイさんに教わる機会を奪ってしまった。ごめん」
「そんなことない!」
大きな声が出た。はっと我に返り、口をつぐむ。周囲から一瞬視線を集めたが、何もないと分かるとまた注目は薄れていった。
「私が無理やり付いてきたんだから。そんなことは言わないで」
「おう・・・」
「・・・」
しばしの沈黙。大声で注目を集めたせいか、少し気恥ずかしい。
やがて。
「そうだな・・・。ギルドに相談してみよう」
私たちは冒険者ギルドにやってきた。そこでちょうど暇そうなリーンさんに聞いてみる。もっと強くなりたい。強力な魔法を覚えたい。でも教えてくれる人がいない。なにかいい考えはありませんか、と。
するとリーンさんは少し考えた後、
「そうですね・・・。支部長に相談してみましょう」
そう言って、コイルさんの元に案内してくれた。恐縮する私たちだったが、コイルさんも暇してますから、と笑ってくれた。
コンコン
「コイルさん。少しいいですか?」
「リーンさん。どうしましたか?おや。タカさん。イチカさん」
執務室のコイルさんは、机に向かってなにやら書類を書いていた。それでも私たちに気付くとにこやかな笑みを浮かべてくれた。
「おはようございます」
「こんにちは。お忙しいところすみません」
悠。もう昼よ。挨拶は正しくしなさい。まったく・・・。
そして私たちの急な訪問にも関わらず、コイルさんは私たちを笑顔で歓迎してくれた。
「いえ。構いませんよ。どうされました?」
「実は・・・」
もっと強くなりたい。魔法を覚えたい。そう話をするとコイルさんば
「なるほど・・・。分かりました。お二人は私がこのハイネンに滞在するようお願いしたこともありますので、なんとかお力になりましょう。少しお待ち下さい」
そう言ってくれた。私はほっと安堵の息を漏らし、ありがとうございます、と述べた。
コイルさんは引き出しの中をゴソゴソ、何かを探すように漁る。やがてその中から一冊の古びた本を取り出し、私に向かって差し出した。
「これをお譲りしましょう。呪文が書かれた書物です。私が冒険者の時はこれで勉強したものです」
年季が入った分厚い本だ。表紙が所々破れ、紙もごわついている。題名は『冒険者のための魔法の書』
「いいんですか?」
冒険者として強くなるための魔法が書かれた書。まさに私が求めていたものだ。
「ええ。私はもう引退した身。もう不要ですので。お下がりでよければ、ですが」
「もちろんです」
これがあれば勉強できそうだ。ありがとうございます、そう言いかけた私を、コイルさんの言葉が遮った。
「ただし、条件をつけさせて下さい」
「えっと。私に出来ることなら」
思わず身構える。どんな何代が来るのだろうか、と。しかしそんな私を見てコイルさんはふっと微笑んだ。
「そんなに難しいことではありません。依頼を三つ受けていただきたいのです。一つはペットの散歩、一つはほこらの修理、一つは空き家の掃除です」
「ええ。それぐらいなら」
むしろ拍子抜けしたぐらいだ。そんなことでいいのか、と。今上げた依頼は駆け出しのE級冒険者が受けるような依頼である。
「実はこの三つは他の冒険者が受けたがらない依頼なのです。手間がかかったり、報酬が低かったりするためです。ああ、特に危険な依頼という訳ではありませんので、そこはご安心下さい。もちろん依頼の報酬もお支払いします」
なるほど。それでこの機会に私に請けさせようと。しかも報酬ももらえると。私としてもそれでこの本がもらえるならお安いご用だ。
わかりました、そう返事をしようとした。すると横から先に声が飛んできた。
「分かりました。僕らでその三つの依頼を完了させればその本をもらえるんですね」
それは横に立つ悠からだった。さも自分も受けることが当然のような、そんな口調だった。
「ええ。お願いいたします」
「ちょっと悠。いいわよ。私が必要なものだから私一人で受けるわ」
慌てて悠にそう抗議する。これは私の問題だから、私だけでいい、と。しかし悠はちょっと怒ったような顔になって言い返してきた。
「何言ってんだ。俺も協力するに決まってるだろ」
「なんでよ。面倒くさそうな依頼よ。悠はのんびりしてなさい」
「いや、お前が強くなれば俺にもメリットがあるし」
「でも」
「でもじゃない。それに・・・」
なおも断ろうとする私の言葉を悠は強い言葉で遮ってきた。と思ったら少し照れたような顔になった。
「それに?」
気になって聞き返すと、悠は少し支援をさまよわせた後、照れたようにそっぽを向いた。
「ヴァーナ王国まで付いてきてもらったのに、これすら協力しないっていうのは俺のプライドが許せないってな」
「もう・・・」
こいつは変なところで頑固なのだ。そして変に責任感も強い。きっと私が断っても無理に付いてくるだろう。
でも、少しうれしくもあった。
「じゃ、存分にこき使わせてもらうわね」
「あいよ」
それを悟られないよう、ぶっきらぼうな声で言うと、悠は笑って返事をした。