第51話 ルクス・ヴェーネ聖王国
「老師、どこまで行くんですか!」
クズネツォフとクラウスは護衛もつけずに早馬を飛ばしていた。
道中何度も馬屋や巡回中の騎馬警察、駐屯軍団などから馬を徴発して交換している。
翌日の夜にかなり山奥に来るまでクズネツォフは説明しなかった。
山道の途中に山林保護官の事務所があり、その先の道はがけ崩れで行き止まりの看板と防止柵があったがそれも迂回して進む。
「馬ではここまでです」
さらに1時間走り、山奥の滝でようやく足を止めた。
「ここは?」
「先代の国王ブラッドワルディンが妻となるプラーナに会った場所です」
彼の年齢では早馬で一日以上飛ばし続けるのはかなり堪えた。
「少し休みましょうか」
一度座り込んで、水を飲みながら説明する。
「ブラッドワルディンが若い頃神殿に預けられていた事は知っていますね?」
「はい。ルクス・ヴェーネ聖王国とプラーナ王妃を発見し、第二次市民戦争で混乱した国を建て直す為に戴冠したと」
「彼は修業時代にディアーネという予言者に会い、この修験道で運命に出会うと言われたそうです。そしてプラーナに出会い、恋に落ち、子供を設けた。その娘の名をラクナマリアといいます」
「えっ?時代が合いません。五十年以上前じゃありませんか。いや、彼女なら魔術で寿命を延ばせるのかもしれませんがあのマヤ殿のような老成された感じはしません。夜の彼女でさえ」
クズネツォフは苦笑する。
「同じ名前を名乗っているだけですよ」
「あ、そうか」
早とちりだったとクラウスは赤くなる。
「もし彼女がそんなに歳をとっていたら結婚は止めますか?」
「いえ!それは関係ありません!彼女に本気になっては貰えないかもしれませんが私の気持ちに変わりはありません」
クズネツォフは頷いた。
「プラーナはここで会った時、自分の素性を明かしませんでした。ブラッドワルディンは王家を捨てて三十年以上経ち、共和主義にかぶれていました。しかし第二次市民戦争で王家の人間が次々と暗殺や戦死で亡くなり彼が継ぐしかありませんでした」
しかし、彼は王位につく事を拒否した。
「彼はある日、帝国の封鎖をかいくぐってリブテインから逃げて来た人に会い、その惨状を知りました。そしてエスペラス王国の力で西方圏全域に跨る王侯貴族と平民の戦いを終わらせる事を決意しました。ですが、貴族達は彼が妻としたプラーナが平民であることを問題視して離婚するよう要求しました」
「では彼が王権派を粛清した、というのは?」
「はい。ブラッドワルディンの指揮で革命軍は敗退しましたが、貴族達はプラーナを取り除こうとし、彼の怒りを買い粛清されました」
「以前、紋章官達から聞いた話と少し違います。彼女は子を産む前に亡くなったとか。どこの王家の方でも無いとか」
「はい。ブラッドワルディンが正式に戴冠した時、彼女は自分が聖王国から来た天女であり、ブラッドワルディンは天に選ばれた英雄であると語りました」
戴冠式は一瞬静寂に包まれた。それから笑う者、感激する者などに別れた。
「その後どうなったんですか?」
「ブラッドワルディンは彼女を身籠っていた我が子ごと捨てました」
「捨てた!?何故です?」
「帝国の手前公表できませんでしたが彼は神学者であり、狂信的な共和主義者ですから。予言の神アル・アクトールによって世界は『神々の時代』『人の時代』『終わりの時代』の流れで進み、神々の影響力は時代が進むにつれなくなっていくとされています。自分の妻が聖王国の人間であることも、神の使徒たる天女であることも許せない事でした」
「天女だなんて何かの比喩だったのでは?それを信じたのですか?捨てられたプラーナはその後どうなったんですか?」
聖王国に帰ったのだろうか、とクラウスは考えた。
「彼女は死霊魔術師シャフナザロフに売られました」
「シャフナザロフ?」
「帝国史を勉強した時に、名前が出て来ませんでしたか?」
クラウスは留学に向けて学んでいた歴史を思い返す。
「非合法な人体実験をして帝国追放刑にあったとか」
「そうです。1352年にアウレリウス帝によって禁呪として千年以上封印されていた死霊魔術の再興を命じられています」
「皇帝が命令したのに追放されたんですか?」
「成果が出ず、犠牲者と費用ばかり増えていたので次の皇帝コスによって中止を命じられましたが、彼は逃げてこの地で実験を続けたんです」
「30年くらい前に帝国追放刑に遭ったとか。それまで実験は続いていたんですね」
「そうです。何千人、何万人も殺して亡者として自由自在に操る実験を行いその汚染による影響を隠しきれなくなると彼はブラッドワルディンからも見捨てられ帝国騎士と西方騎士の集団によって逮捕されました」
「何万人も、ですか?」
そこまで犠牲者を出す利益があるのか、と疑問に思う。
そしてうすうすと目の前の男の正体に気付き始めていた。
近くには村も無く、もう長い間誰も使っていなそうな修験道の果てにある滝の前で二人は焚火を囲み、話を続ける。
「この研究が始まった頃の帝国の社会情勢をどう思いましたか?」
「確か帝国を乗っ取りかけていた唯一信教によって魔女狩りが起きて多くの神官が処刑されていたとか」
「はい、帝国はその力を著しく減じ、蛮族戦線の維持が困難になっていました。そもそも五千年近くも戦線を維持するのは馬鹿馬鹿しいとアウレリウス帝は考えて蛮族領へ亡者を送り込んで退治することを計画しました」
極北の地に住む蛮族に歴代皇帝達は何度も遠征軍を送り込んだが、あまりにも寒く広い大地で征圧は困難だった。人類は境界線であるナルガ河さえ抑えておけばいいので、敵の大陸に亡者を送り込んで手あたり次第殺させようと考えたのだった。
「成功すれば未来永劫負担は無くなると思えば安いもの、というわけですか」
「そういうことです。ですが、そもそも何故亡者が発生するのか、ということから研究せねばなりませんでした。旧都やツェレス島にいる既知の亡者を捕えた所で、亡者へと変わる瞬間を観測したわけではないのでね」
どのような場合に亡者が誕生するのか、どうやったらそれを操れるのかを検証する為にはひたすらいろんなケースで残酷に殺してみるしかないと考えられた。病院や闘技場に魔術の観測器具を持ち込んで観測しても効率が悪すぎ、限られた環境でのケースでしかデータが取れないので役に立たなかった。
「なるほど」
疑いが確信へと変わっていく。
「貴方はそのシャフナザロフの一味だった?」
「はい。プラーナをブラッドワルディンから受け取り彼女を実験体としました」
「要するに殺したんですか?」
「いいえ、繁殖用の貴重な母体ですから殺しはしません」
「繁殖用?」
「そうです。最初の内は帝国政府から処刑前の犯罪者を都合して貰っていましたがとても数も質も足りませんでした。そこでシャフナザロフは私に命じて西方で奴隷を買って研究棟を作るよう指示しました」
「なるほど、それがこの先にあるというわけですか?ラクナマリアを助けるのに何か役に立つものが残っているとか?」
「端折ればそうなりますね」
残酷な実験を続けたこの男をクラウスは許せなかったが、彼を殺せばラクナマリアを助けられない。
「何故そんな残酷な事が出来たんです?いくら人類全体に利益があるからって皇帝が中止を命じても続けたんでしょう?」
「我々は実験を開始する時に、イーデンディオスコリデスという精神操作が得意な魔術師から罪悪感や倫理観といった非道な実験を行うのに邪魔となる心を封印して貰いました。私達はそれから怪物になりました。プラーナがラクナマリアを産んだ後、すぐに貴重な彼女の血を増やす為に繁殖場に送り込み、魔術を使って育成を早めて実験用と繁殖用の二種類の生産を開始しました」
「本当に怪物ですね」
魔術で心を封じられていたといっても死霊魔術に纏わる話はあまりにも非道が過ぎた。
「はい、どれほど殺しても何も感じませんでした。病気で死んだ個体は餌にしました。なかなか成果が出ずプラーナの故郷の人間、つまり聖王国の隠れ里も探し出してプラーナを脅し、積極的に協力させました」
「どうせ故郷の人間もそんまま実験に使ったんでしょう?」
「はい」
「それで成果が出てたなら帝国に戻って皇帝に研究成果を報告して蛮族戦線に送り込めば良かった。でも何も成果が出なかったから貴方達は逮捕された。みんな無駄死にだ」
クラウスは過去の事とはいえ呆れ果て、吐き捨てるように言った。
「それは違います」
「どう違うんです?」
まさか成果があったのに追放された恨みで世に出さなかったのだろうか。
「第一に私は逮捕されていない」
「確かに、何故です?」
「私は途中で恐ろしくなって逃げ出したからです。ラクナマリアを連れて」
※帝国追放刑
帝国の支配が及ぶところ、要するに人類社会全体の法の保護を外れる。
財産は没収され獣の皮を被せられ人間と見なされない。
出来れば今日中に第一部完結させて明日は番外編とあとがきを投稿したいところです。




