第5話 後宮公文書館
女性の園である後宮にはあまり表に出せない文書があり、門外不出とされている。
物品の仕入れ、帳簿、使用人の管理簿だけでなく暗殺事件や密通の調査記録もある。
化粧品や宴会料理、古代の風俗の記録などもあるので研究者にとっても貴重な文書がいくつも納められている。
何千年も前の希少本の写本、女官達の学習用、娯楽用途の本もあり、三千人近い女官がいつも誰かしら訪れていた。
「ちょっと!その本は私が借りようとしてたのよ」
「はあ」
司書が差し出した本を横合いから止めた者が文句をつけた。
「譲りなさいっていってるのよ」
「え、でも私が予約してた本ですし」
「私だって予約してたのよ」
文句をつけられた女性が困ったように司書に助けを求めると、司書は仕方なさそうに文句をつけた女性に答えた。
「お嬢様、こちらが先約です」
「だから譲りなさいっていってるでしょ」
文句を言っていた女性が強引に突き飛ばして奪い取った。
「困りますよ」
さすがに司書が苦言を呈す。
「フラガ伯爵夫人がお求めなのよ」
数百年前の後宮女官が書いた本で王を落とす為のテクニックや愛の言葉が書かれていて密かな人気があった。一般には流通していないので買う事は出来ず、こっそりと後宮で語り継がれて保管されている。
身分制が薄れて来た時代でも実際に力があるグループに逆らうのは難しく、司書は黙った。
「あなた、奴隷でしょ?メアリー様の奴隷なら譲ってあげるわ。どうなの?」
「い、いえ。違います」
「なら貰っていくわ。いいわね」
無理やり奪われた女性は押し黙った。
そこへ横合いから声がかかる。
「これ、無体ではないか」
「誰よ、あなた」
黒髪の見知らぬ女性だ。
色素の薄い金や茶髪が多く、染める女性は多いが黒はあまり多くない。
「返してやるがよい」
「何よ、メアリー様の召使いなの?」
「違う。下らぬことで暴力を振るってはならぬ」
「いいのよ、こいつは奴隷なんだから」
「奴隷?奴隷とはなんだ」
「はあ?陛下が定めた法に逆らうつもり?」
「何の話をしておる?」
黒髪の女性は首を傾げた。
「だからこの前、密航者は全て奴隷とする法律が発効したでしょ。こいつは密航者で後宮の使用人として売り飛ばされたのよ」
「何だか知らぬがここで暴力を振るって他人のものを奪っていい理由にはならぬ」
「はぁ?」
今度は黒髪の女性を突き飛ばそうと近寄っていくが、その目を見て段々勢いが落ちていく。
また横合いから声がかかり、「あまり騒ぐとフラガ伯爵夫人の名誉に傷がつきますよ」「そうよねえ」などと遠巻きにしている女性達が囁くと結局、そのまま横を通り過ぎて鼻息も荒く去ってしまった。
「あ、こら」
結局本は持ち去られてしまった。
◇◆◇
「怪我をしておらぬのなら立ってしゃんとせよ」
そういいながらも黒髪の女性は手を差し伸ばして引き起こしてやる。
「あ、有難うございます。私はホスタと申します」
「そうか」
しばらく沈黙が流れる。
「名前を聞きたいんじゃないかしら」
司書が口を挟んだ。
「む、そうか。・・・ではレイシーと呼ぶが良い」
「は、はあレイシー様」
貴族特権の無くなった現代では後宮という組織は時代錯誤の産物ではあるのだが、その中でも大事に育てられた王族女性というものは古風である。奴隷のホスタはこの後宮の事をよく知らなかった為、勝手に王族女性だと考えていた。
王妃はともかく公妾よりよっぽど威厳があって仰々しかった。
「ところでそなたらに聞きたい事がある」
「はい、何でしょう」
「先ほどの者が申していた奴隷とは何だ?」
「え?」
二人はどうも奴隷という概念自体知らないようだとなんとなく気付いた。
どう説明したものかと困っていると仕事を片づけた司書長が奥からやってきた。
「まあレイシー様。こんな昼間にどうなさったのですか」
「む、ライラか。ちょっと質問があったのだがもういい」
周囲からも注目されて気まずくなったレイシーはもう帰る、と言い出した。
「先生、こちらの方をご存じなのですか?」
「ええ、わたくしが応対します。皆は仕事に戻って。レイシー様、折角いらしたのですからお茶でもお入れしましょう」
七十を越える老司書は応接室にレイシーを誘った。
「あ、あの。有難うございました!」
助けられたホスタが見送り際に礼を言う。
「うむ」
振り返りもしなかったが一応返事は有った。