第20話 ロックウッドとラクナマリア
「私の妻になってください」
「失せろ」
ドラブフォルトとクラウスと共にラクナマリアの下へやってきた帝国の皇子は自己紹介する前にいきなり切り出した。膝まづいて手を取ってキスしようとするのを振り払う。
「おい」
ドラブフォルトが思わず突っ込みをいれた。
「挨拶だけだといった筈だが」
「失礼、これが私なりの挨拶なもので」
「こちらの価値観に合わせられないならもう退出して頂くしかない。我々は帝国と無用な問題を起こしたくない」
「失礼失礼。冗談だと思って頂きたい。いや、本当に美しい方だ」
ラクナマリアはからかわれるのは好きではない。
「ドラブフォルト、この男がわたくしに殺されて不味いのならさっさと下がらせよ」
無礼な!とロックウッドの護衛が気色ばみ、ホスタも同様に警戒して一歩進み出る。
「あー、待て待て。今回は私が礼を失した。他国の宮殿で剣は抜くな」
「は」
それから改めて惚れ惚れと眺める。
「ここを動物園か何かだと思っているのか?用がないのなら私が下がる。後は任せた」
一段高い場所にある玉座のような椅子で睥睨していたラクナマリアは席を立つ。
「あ、いやお待ちください。貢物をお持ちしました」
「貢がれる筋合いはない」
「では、ヴェーネ神への供物としてお受け取り下さい」
「ヴェーネ神?」
「ここはかつて博愛の女神ヴェーネの神殿だと伺いました」
「ほう、わたくしより詳しいのだな」
興味を引かれたのか、再度ラクナマリアが着席する。
「姫君、いくらなんでも帝国の皇子を前に上座というのは」
護衛騎士が再び苦言を呈す。
「構わない構わない。美しい女性は女神のようなものだ。私より高い位置に座る権利がある」
「しかし侍女まで」
はっとしてホスタが一段下りようとした。
「構わぬ。ホスタも美しいであろう?」
そちらが女神と言い出したんだから同様に扱え、とラクナマリアは要求した。
「もちろん、そこで構いません」
「ふむ、ところでヴェーネ神というのは?」
「誰にでも分け隔てなく接した博愛の女神です。我が国にもヴェーネの名を冠した都市があります」
「ふむ、そうだったのか」
「姫はルクス・ヴェーネ聖王国からいらっしゃったのでしょう?本当にご存じなかったのですか?」
「住んでいた所がそんな名前だと知ったのはドラブフォルトに教えられてからだ」
本当かどうかロックウッドはラクナマリアの表情から読み取ろうとしたが、果せなかった。
「それで博愛の女神というのはそちらでどんな扱いなのだ?」
「非現実的な理想主義者として信仰も廃れています。東方圏では特に嫌われているようです」
「別に嫌わなくてもよかろうに」
「特に家父長制が強いあちらの国とは相容れないのですよ。父親を敬い、師を愛し、従えというのは博愛の精神とは違うと解釈されています。主君であろうと部下だろうと家族だろうと他人だろうと同様に愛するようにというのが女神の教えですからね」
特定のものに愛を注ぐのは偏愛であって博愛の女神が説く愛ではない。
「ふむ、身近な者に偏重するのは仕方ないと思うが」
どうかな、とホスタは思った。
勝手に住み着いている猫もホスタが飼い始めた仔猫も、ホスタも、精霊も同様に扱っているラクナマリアは身近な者に拘っていない。国王や帝国の皇子にさえ同様に接している。
「ヴェーネ神は財宝の神エイクと平等と博愛の女神の子です。博愛の神格だけ引き継いだようですね」
「本来の博愛の女神である母神の名は?」
「古代帝国時代に抹消されました。社会に害のある教えでしたからね。ヴェーネ神の方は多少は融通が利く女神なので存在が残されたようです」
「害?」
「帝政を始めるのに不都合な存在だということです」
「ふむ」
ラクナマリアは珍しく少し思案してから言葉を出した。
「で、帝国の皇子にとっても都合が悪そうな博愛の女神の神殿に寄進などして良いのか?」
「ヴェーネ神は財宝の神の子でもありますので、金運に恵まれるとか」
「なるほど」
それから寄進物が持ち込まれる。
豪華な装飾品や貴重な染料を使った反物、それに保存用の魔道具に入った果物。
ラクナマリアの好物も入っていたので目を輝かせた。
「帝国で最も由緒正しい霊山ツェーナ山で採られたものです。近くには亡者が蔓延る古都があり、大変貴重なものです」
「それはありがたい。だが、わたくしは貴様に何も報いてやれぬぞ」
「でしたら、是非私と・・・」
ロックウッドを遮ってドラブフォルトが横から口を挟む。
「今日は顔見せの挨拶だけの筈」
「うむ、わたくしはこやつのものだ。欲しいものがあればこやつを通してくれ」
「はい、彼らと我々は今後業務提携をすることになりました。いい商談が出来ると思います」
「そうか。用が済んだのであれば去るが良い」
最後まで素っ気なく、来客を追い返した。
◇◆◇
ドラブフォルトはクラウスに皇子殿下を見送るように申し付け、自分はこの場に残った。
「わたくしがあの皇子を傷つけると困るだろうに、何故連れて来た?」
「私が立ち会うのだし、今の君なら大丈夫だと思った。それと君に伝えておきたいことがある」
「申してみよ」
「彼は将来皇帝になって蛮族と講和し、諸国の王制の維持を求めないそうだ。同盟市民連合などの共和制とも通商を開始し、各地の駐屯軍も引き上げさせたいのだとさ」
「出来るのか?」
「彼が皇帝になれるかどうかは我々選帝侯次第。そのあとどうなるかはまだわからないな。帝国議会が反対するだろうが半々くらいの可能性はあるかもしれない。要するに彼に協力すれば君の願いは果される可能性は高まる」
「なら協力してやればいいのではないか?」
「まあね。長年敵対関係だったからすぐには信用できないが我々の境遇は似ている。このまま提携してやっていくつもりだ」
「で、何故わたくしに?」
「教えて置いた方がフェアだろう。私との契約を打ち切って彼についていった方が君の願いは達成しやすい」
「初対面の男についていったりしない」
「随分常識を学んだものだ」
ドラブフォルトは皮肉気に笑った。
「お前が裏切らない限り、わたくしから先に契約を打ち切る事は無い。そこの貢物も持っていけ」
「果物以外は有難く貰っておくよ」
「悪だくみに使うのか?」
「まあね」
国家予算、宮廷費は厳しい監査があるので裏金が必要だった。
「お前が地獄に落ちる時はわたくしが冥界に送ってやろう」
「それは有難い。ま、地獄など恐れないが」
「恐れるべきだ」
ドラブフォルトはロックウッドに関する情報を詳細に伝えて、多少の信用を得た。
話が終わるころ、人払い兼お客様のお見送りで正門まで付き添っていたホスタの悲鳴が聞こえて来た。




