第18話 ホスタの日記
◆新帝国歴1331年9月1日
王妃様に奴隷の身分から解放して頂く条件として、ラクナマリア様に仕えるよう申し付けられました。さらにいくつか条件を加えられました。
あまりに非常識な行動を取る場合は命がけで止める事。
門が開かない時は帰る事。
日が暮れる前に宮殿を出る事。
定期的に報告書を持ってくる事。
話したがらない事を無理に聞いてはいけない。
主人の秘密を誰にも漏らさない事、ただし王妃様は除く。
契約期間は一年、異存が無ければ毎年更新する。
忘れっぽいので報告書を整理する前に日記にメモを残さなければ。
◆新帝国歴1331年9月2日
初めての報告書はまだ特に何も書くような出来事が無く、何をどう書けばよいか、どうしたらよいか王妃様に相談したところ難しく考えなくて良いから初めて出会った時の事、それから何があったのか書いてみてと言われました。
ほとんど会話もなく一日目を過ごした後、礼儀作法を何も存じませんし、私のような者が高貴なお方にお仕えして大丈夫でしょうか、とも相談しましたが彼女は自分を平民と考えているから気にする必要は無いと言われました。
でも明らかに平民の口調や物腰じゃありませんよね。
無理がありますって!
◆新帝国歴1331年9月3日
何もないなら毎日来なくてもいいと言われましたが、初めてお会いした時の出来事と二度目の出来事をご報告しました。
林の中で面倒を見ていた猫を殺されてしまい、仔猫だけは何としても守ろうとしていた所、ラクナマリア様が現れて助けて下さったのです。
途中で復讐する為に母猫が化けて現れたと思ったのですが気の迷いですね。
怖くなって目を瞑って、殿下達の声が聞こえて恐る恐る開けたら何もいませんでした。
◆新帝国歴1331年9月4日
日記にも慣れて来たので忘れないうちに初めてお仕えした日の事を書かねばなりません。
王妃様に無理に押し付けられたのでラクナマリア様はたいそうご機嫌が悪く、道中で話しかけてもまったく答えて頂けませんでした。
不思議な事に到着すると正門が勝手に開き、ラクナマリア様が入って行かれました。
私は恐ろしい武器を持った人形の前で立ち竦んでおりましたが、振り返って入るのなら入れ、と声をかけて頂きました。
その日は気まずいまま何も会話はありませんでした。
ラクナマリア様は楽器を取り出されると静かに弾いていらっしゃいました。
そこかしこから鳥や栗鼠などが集まり皆、静かに聞いていました。
日が暮れそうになると門を指差され、また自動的に開きました。
出ていけ、と言われているようでしたので初日はこれで宿舎に戻りました。
◆新帝国歴1331年9月5日
日付が前後してしまいますが、二日目の事です。
朝の7時に正門前に伺いましたが、門が開きませんでした。
二時間ほど待つとまた勝手に開き、中に入る事が出来ました。
それから、昨日の仔猫をここに連れて来ても構わないでしょうかと訊ねると要領の悪い奴とお叱りを受けました。無駄に待っているくらいなら仔猫の世話でもしていればいいのに、と。おっしゃる通りです。
ラクナマリア様も現地に行く、との事でしたので『レイシー』様としての服装へのお着換えを手伝いました。私が何もしなくても勝手に服が宙に広がって、髪型も変化し始めましたが、途中で止まり、お前がやってみるか?と問われたので是非、とお願いしました。
これがようやく初仕事となりました。
気品あふれるラクナマリア様に相応しい恰好にすることは出来ませんでしたが、かえってこれがいいと喜んでいただきました。
前日はすっかり動転してしまっていて母猫の遺体もそのままでした。
哀れな仔猫はまだ母に縋って鳴いていました。
持参したスコップで母猫を埋め、ラクナマリア様と共に冥福を祈りました。
その後、ラクナマリア様が不思議な術を使って花畑を御作りになられました。
王妃様に報告するとそんな魔術は無いから錯覚でしょうと言われました。
そんなことはない、ともう一度現地に行ってみると記憶の中よりは小さいですがちゃんと花が咲いていました。図書室の司書長さんに伺ってみると、ずっと東の国には植物を操る妖精さんが住んでいるそうです。ラクナマリア様はきっとその妖精さんの魔術をご存じなのでしょう。
◆新帝国歴1331年9月6日
三日目の事です。
今日も9時まで門が開きませんでした。
ラクナマリア様に伺うと朝は眠いとおっしゃっておられました。
いつも凛とした方ですし、寝起きを見られたくないのでしょう。
この日は一日中外出されませんでした。王妃様の招待もお断りされました。
侍女の方に「何とかしなさいよ」と睨まれましたが、どうしようもありません。
仔猫の名前をどうしましょうか、と相談した所、勝手につけるが良いとおっしゃられました。屋内にも猫が三匹ほど出入りしていて、ラクナマリア様が飼ってらっしゃるようですがお名前を伺ったところつけていないとのことでした。
不便ではありませんか?と伺ったら別に飼っているわけではないと言われました。
でも時々膝の上に乗ってくると撫でていらっしゃいます。
追記:その後も確かに一度も猫を名前で呼んでいた事はありませんね。
猫の食べ物用の小皿が置いてあるので飼っていらっしゃるとは思うのですが。
昼食だけ自分の分も合わせて作らせて頂いていますが、食糧庫が減っていません。誰も持ち込んで無い筈なので不思議ですね。王族の方がお持ちの不思議な道具の効果でしょうか。
◆新帝国歴1331年9月14日
毎日のように王妃様の招待状を持った侍女がやってくるので、私に追い返せとお命じになられました。困りました。
門を閉じたままにされればよろしいのでは?と恐る恐る進言してみましたが、ずっと立たせたままだと気になるとおっしゃられました。私のせいですね。
正直仕事はありませんでしたが、使われていないお部屋を掃除してもいいかお尋ねしたら許可を頂きました。ようやく仕事が出来ます。
誰も使わないのに、と呆れていらっしゃいました。
私は侍女としての教育を何も受けていないので、仕事が終わると宿舎の先輩達からいろいろと教わるようになりました。高価そうな備品はまだ怖くて触れません。
◆新帝国歴1331年9月15日
ラクナマリア様に楽器の使い方を教えて頂きました。
いつも聞き惚れていただけなのですがそんなに気に入ったのなら、と。
自分でやってみたいわけでは無かったのですが、折角ご一緒に出来るので教えて頂きました。暇ですし。
物静かで会話も続きませんし、王妃様からも話したがらない事を無理に聞いてはいけないと釘を刺されていますのでいろいろ気になる事はありますが今はお仕えするのみです。
ラクナマリア様は時々、ぼんやりと水面を見つめていらっしゃいます。
何時間もそのままで心配になることもありますが、よく見ると少し表情が柔らかくなっていました。貴族の方は平民には見えないものが見えると聞きますし、女官達の噂では夜に幽霊と話しているのだとか。実は昼間でも出てくるのでしょうか。
◆新帝国歴1331年9月21日
穏やかな日々が続いています。
今日はラクナマリア様がソファーでうたたねされていらっしゃいました。
こんなに無防備なお姿を見たのは初めてです。
窓を開けていたので小鳥が入り込んできて、肩に乗ってしまいましたが気付かずにそのまま眠っていらっしゃいました。
◆新帝国歴1331年10月4日
招待を断り続けた為、とうとう王妃様の騎士が怒鳴り込んできました。
王子殿下はお顔だけ確認して帰られましたが、騎士様は掴みかかろうとしてきました。
ラクナマリア様をお守りしようとしましたが、何度も突き飛ばされ敵いませんでした。
魔導騎士といえば文字通りの一騎当千ですから私ではどうにもなりませんでした。
結局ラクナマリア様が自分で倒してしまわれました。
トドメを差してしまったのは私ですが。
幸い殿下の従者のカラン君が戻ってきて、てきぱきと必要な措置をしてくれました。
そういえば猫の件の時も、カラン君の声が一番最初に聞こえましたね。
あんまりアルエラ様が気落ちしていたので、ラクナマリア様がとうとう招待を承諾なさいましたが、アルエラ様はあまり嬉しそうではありませんでした。
この日は特別に泊って行っていいと許可を頂きました。
アルエラ様の看病と監視の為です。
夜遅くになるとラクナマリア様は空で舞い始め、どこからともなく音楽が聞こえてきました。謎の多い方ですが、アルエラ様も天女だと感じたようです。
◆新帝国歴1331年10月5日
翌朝です。
ラクナマリア様のお部屋をノックしてしばらくすると返事がありました。
寝ぼけたような声です。
夜遅くまで舞い踊っていらっしゃったので仕方ありませんね。
普段、朝が遅いのもそのせいだったのかもしれません。
と思ったらアルエラ様の為に王妃様宛の手紙を用意していらっしゃいました。
王妃様とラクナマリア様のお付き合いからいって、最近交代でやってきたアルエラ様が強引に掴みかかり、反撃されて大怪我したと報告したらアルエラ様がお叱りを受けると心配されたようです。とりなしの言葉を書いたから持たせてさっさと立ち去らせるようにとお命じになり、またお眠りになりました。
◆新帝国歴1331年10月31日
お祭りです。七剣神鏡光祭で御座います。
私も初めてですが、とにかく眩しくて煩いです。
意外なことにラクナマリア様は賑やかなのは苦手ではないそうです。
今日は招待された事もあって王妃様に馬車を出して頂きました。
もし、馬車が無かったらと思うとぞっとします。
いつもよりさらに美しくおめかしされまして、まさに天女のお姿でした。
後宮が解放されて男性もいらしてたので、馬車が無ければ取り囲まれて進めなかったでしょう。王妃殿下の宮殿についた後もアルエラ様にお守り頂いてお席に案内して頂きました。
王妃様には開口一番文句を言っておられましたが、実は結構楽しんでいらっしゃいました。
この日は久しぶりにご友人といったら失礼でしょうか、お会いしたのではしゃいでいたような気がします。この日は好物もお聞きすることが出来て収穫でした。
後でとんでもない金額がすると聞いて仕入れるのは諦めました。
ところでラクナマリア様は王子殿下にご自分を天女だとは名乗っていらっしゃらなかったそうです。嘘をつかれるような方ではないので、きっと殿下の思い込みですね。
どうしましょう。殿下を応援するべきでしょうか。
うーん、失礼ですがまだちょっと釣り合わないですかね。
この日は好物以外にもいろいろと知る事ができました。
普段素っ気なくても、怒ったように見えても本気では怒っていらっしゃらない事。
侮る事は許されない事。
隣国の姫君にご友人がいらっしゃる事。
王子殿下が幼い頃添い寝をしてあげた事。
昔仕えた侍女がいて、窃盗を働いて事故死したこと。
飢えた犬の為に、ご自分を傷つけた事。
少年とはいえ男性に警戒心を持っていらっしゃらない事。
王家の義務なのでしょうか、政略結婚を受け入れるつもりである事。
やはり聖王国からいらっしゃった事。
大変な資産家でいらっしゃる事。
勝手に想像していたような仙人のような方ではなく、それなりに社交的である事。
◆新帝国歴1331年11月1日
とうとう住み込みで働けるようになりました★