第1話 後宮の天女
“人は環境を捻じ伏せる事で繁栄を手に入れた。獣は環境に適応して生き延びてきた。環境が人の手に負えなくなった時、人は生き延びられないかもしれない”
―新帝国歴1448年 とある道化師が語る―
◇◆◇
煌びやかな黄金都市アストリア。
街路は黄金で舗装され、新月の夜であっても光り輝き、遥か海上からでも街の様子を把握出来るといわれている。実際の所は豊富な天然ガスを利用した街灯で街の隅々まで夜も照らされていた。
街路は奴隷によって掃き清められ、常に清潔に保たれている。
西方大陸の8割は険阻な山々に占められていて、都市間の流通は海上輸送が主であり、馬車による輸送は少ないので転がる馬糞も少ない。
西方大陸の人口は一千万程度でしか無いが、この地域で産出される黄金は世界の流通量の8割を占める。腐食せず、劣化しない不変の鉱物である黄金は永遠不滅の魂を持つとされる神々にも例えられる。
この地域では古来より黄金を尊び、特に希少性の高い白金を象徴とする神が主神として讃えられてきた。
王侯貴族は神々の血を引くとされ、容姿にその特徴が現れる。
貴族達は人々を奴隷として扱い、人々もそれを当然の事として受け入れて来た。
しかし、西方の神々は工芸を得意とする神々である側面もあり技術開発を振興した為、神々が地上から去って五千年も経つと人々はその技術力で人類を牽引し、貴族よりも強大な力を手に入れるに至った。
民衆は権利の拡大を求め、自らの力が脅かされた王侯貴族はここに至り民衆から力を奪うべく、資産の没収を図り激しく対立した。
人口が半減するほどの戦いに疲れ、自らの行いに慄いた双方が争いを止める事を選んでから半世紀が過ぎた。
新帝国歴1433年。
西方諸国会議にて選出された西方の大君主の都アストリアから物語は始まる。
◇◆◇
「ううむ。相変わらず母上の宮殿は分かりづらいな」
今年12歳になるクラウス王子は母のメイズ・ログナス宮で道に迷っていた。
「殿下、メアリー様は貴女の母上ではありませんよ」
近侍の少年が間違いを訂正した。
「うるさい!」
クラウスは手に持った馬用の鞭で少年を叩く。
「そんなことは分かっている。父上の唯一の妻であるから母上と呼んでいるだけだ」
市民戦争で王侯貴族の多くが死亡した為、残った王国間で神の血を濃く引いた子供を共有して後継ぎに据えている。その為、クラウスも養子として他の国から預けられていた。
現在のエスペラス王ドラブフォルトには妾が数人いて後宮に住まわせているが、正式に王妃として迎えているのはメアリー一人である。
「殿下!殿下!どこにおわしますか!またメアリー様に泣きつこうとしても無駄ですよ!陛下に言いつけますからね!」
迷路のような宮殿のどこからかクラウスを探す声が聞こえてくる。
「む、やばい。逃げるぞ。静かにな」
厳しい授業に耐えかねたクラウスは、追いかけてくる教師達から逃げ延びるべく近侍の者に足場を組ませて高い壁を乗り越えて逃げた。
◇◆◇
壁を乗り越えた先には光り輝くような美しい城館と庭園があった。
やたらと華美な都は外国人には時折、悪趣味、成金趣味などと評されるが、その外国人であってもこの城館と庭園の美しさは認めざるを得ないであろう。
忙しなく働く女官達の喧噪も失せ、どこからか美しい調べも聞こえてきてうっとりとしてしまう。
「む、どこだ。ここは」
これまで彷徨っていた場所とあまりにも趣が違うのでクラウスは目をぱちくりとさせた。
我を取り戻し瞬きをした後は最初の印象は薄れ、普通の建物に見え、歌声も消えた。
「なんだったんだ、今のは」
ぼんやりとしたまま庭園を歩くクラウスに回り込んで来た近侍達が追いつく。
「殿下、ここはいけません。すぐに立ち去らないと」
「なんだ?僕がいちゃいけないってのか?」
当たり前のように鞭で頬を叩く。
「母上であろうと父上の妾の屋敷だろうと追い出される筋合いは無い。僕はこの国の後継ぎだぞ!」
「しょ、正門に白金製の魔導人形と十字の紋章がありました。ここはきっとホーリードール宮です」
王宮には一万人を越える大臣、行政官、兵士、使用人などが務めている。
女官だけでも数千人おり、一定数は市街から働きに来るが多くは後宮に住んでいた。
「なんだ、それは?」
妾達にも数人から数十人の使用人が与えられているので母以外の誰かの離宮かとクラウスは考えた。
「誰だか知らんが、なかなかいい空気の庭だ。庭師を探してこい」
自分の所に召し抱えようと近侍の者に命令した。
「い、いけません。ここがもしホーリードール宮ならたとえ陛下でも自由には出来ません」
「馬鹿を言うな!父上は国王だぞ!人類を統べる皇帝すら選ぶことが出来る選帝権を持つ大君主だぞ!」
西方選帝侯はこの西方大陸では皇帝よりも権威がある王だ。
父を軽んじられたと感じたクラウスは無礼者め、と近侍を殴りつけた。
「おい、誰かここの女主人を呼んで来い。愛人風情が調子に乗りおって!」
クラウスは近侍の少年達を蹴り飛ばし、命令した。
少年たちは顔を見合わせてから仕方なく散って行こうとする。
そこへ静かだが、無視し難い声が掛けられた。
”待つが良い”
少年たちは一様に動きを止めて声の主に視線をやる。
声の主は冷気漂う庭の池に立ち、静かに歩み寄ってきていた。
彼女は紺のドレスを身にまとい、黄金の装飾品を身に着け、その装飾品が霞むほどに美しい白金の髪を持ち、眉までも同様に白かった。
古の王族は西方圏の守護神である白色金剛神の血を引く。
北方圏は黒、東方圏は緑、南方圏は赤など高貴な色は決まっている。
彼女は現在の王であるドラブフォルトよりも尚、白く美しい容姿だった。
貴族特権が廃止された現代であっても神の血を引くであろう特徴を持った貴人を前に少年たちはひれ伏した。
「な、何者だ。お前は」
「知らずに来たのか」
「ち、父上の愛人であろうが」
目前まで迫られるとその迫力に圧倒されてクラウスの威勢も落ちる。
「無礼な。用が無い者は去るがいい」
始めは丁寧な物腰であった彼女も怒ったのか立ち去れと身振りで示し、同時に強い風が吹いて少年たちは押し流されていく。
「ぐ、この!魔女か!」
王族であり魔術に高い抵抗力を持つクラウスはなんとか踏みとどまった。
「だ、駄目です。殿下!陛下のお咎めを受けますよ!引いてください!」
近侍の者が必死に門から声をかけるが風に遮られてかすかにしか聞こえない。
女主人にはその声が届いたようで、少しだけ表情から険が抜けた。
「あの者らに免じてやろう」
その言葉とは裏腹に次の風はクラウスの魔力抵抗をものともせず彼を押し流す。
「だ、誰なんだ。お前は!」
今時、王族が魔術を学ぶ必要はないのだが教養程度には彼も習っている。
宮廷魔術師でさえ、彼の魔力の壁を突破するのは容易ではない。
だが、彼女は壁などないかのようにクラウスを吹き飛ばした。
”わたくしの名はラクナマリア。天女ラクナマリア”
最後にその声だけが聞こえて黄金の門は固く閉じられた。
★後宮
王家の女性達の宮殿であり、王宮に勤める女性の使用人達の為に王宮で隔離された区画。
男子禁制のいわゆるハーレムとは違って幼い少年もいる。
許可があれば男性も立ち入りを許される。
南方圏のハーレム、東方圏の宦官がいる後宮と違って男性の立ち入りは制限されるが例外もあるのが西方圏の後宮。
★メイズ・ログナス宮
Los Guzmanes宮殿のアナグラム
★ホーリードール宮
Holyrood宮殿のアナグラム