9.仲違い
「幼い子どもが死ぬのは見るに耐えん。それだけだ」
「それだけ、ですか。本当にそうですか?」
「もういいだろ、ティンバー。その辺にしておけ」
「汚らわしい奴隷をわざわざ危険を冒して助けるなど、気がしれない! 貴方がそんな人だとは――」
「ティンバー」
リドは至って冷静な表情であった。
「お前が私情を挟むな」
しかし、その声は今までイェルドが聞いたことがないほど低く怒りを滲ませた声だった。
「……わかりました。この辺でやめておきましょう。ですが……イェルド殿、今の貴方は私の信用には値しません」
「……そうか」
嫌われたというよりも、彼が言う通り、信用を失った。
しかし、イェルドはもっと別のことを気にかけていた。ティンバーの信用などどうでもいいというかのように。
「この娘をどうしたらいい?」
「それはシオ殿の商品ですから、彼に聞けばよいのでは?」
「……そうだな」
イェルドはあくまで“商品”扱いしようとするティンバーに少し嫌気が差した。思ったよりも、彼との相性は悪いのかもしれない。
以前は度量が大きくできた人間だと思ったが、今回に関しては意見が合いそうにない。
イェルドはまた咎められることを思いつつ、心してシオのもとへと向かう。すると、リドが後ろからついて歩き、声を掛けてきた。
「許してやってくれ。あいつは……良くも悪くも真面目過ぎるんだ」
「分かっている。しかし、悪いのは俺だ」
「違う。奴隷はたしかに奴隷だが、それでも俺はああいう扱いは好きじゃない。その気持ちは分かる」
「……そうか」
「あいつは……奴隷が嫌いなんだ。戦争奴隷も、債務奴隷も、違法奴隷もあいつには同じで――」
「奴隷に対する考え方はさまざまだろう。仕方ないことだ」
言う事とは裏腹に、イェルドの口調は冷たく突き放すようだった。その口調からは、諦めさえ感じ取れる
このままではまずい。そう思ったリドは必死に、言葉を選びながら話した。
「あー……どうか、あいつのことを嫌いにならないでやって欲しい」
「心配するな。嫌うことも好くこともない」
リドは悟った。彼は初めから馴れ合う気などなかったのだ。必要以上に踏み込まず、余計な争いも起こさない。それがこの男の望みなのだろう。今思えば、ティンバー、リド、イェルドの三人で談笑していても、イェルドはどこか、一歩引いた場所にいたように思う。
「……そうか」
リドはそれ以上ついていくことはせず、引き下がった。
一方、イェルドは先頭にいるシオのところまで歩いて来ていた。彼は壊れた馬車の応急処置をしていた。
商人頭とて彼のように肉体労働を厭わずむしろ積極的に行う者も、中にはいる。
「シオ」
「なんだ……イェルドか。話は後だ。ディヴァスに着いたら話をしようではないか。なに、儂は英断だったと思っておるぞ。大切な奴隷を守ってくれて感謝しておる。ま、問題ではあるが――」
「そうではなく……この子なんだが、どうすれば? あなたのものだろう」
「ふむ……」
シオはイェルドの後ろに回り、彼の背で気を失ったままの少女を見つめた。
「心地良さそうに眠っているじゃないか。なあ?」
「……そうか?」
今度はイェルドの顔をじっと見つめる。長く伸びた髪の隙間から見える青い瞳を、臆することなく正面から見据える。
「ふん、随分此奴のことが気がかりのようだな」
「そんなことは――」
「目を見れば分かる」
あまりにもはっきりと言うものだから、イェルドは言い淀んでしまう。
「とはいえ、そのまま背負っていても護衛任務に支障が出そうだ。おい、リド!」
「あいよー!」
後方に戻っていたリドが返事をし、イェルド達のところまで走ってきた。
道が狭いものだから巨人族の体重で地響きが起こったときには、皆戦々恐々として近くのものにしがみついた。
「何か?」
「この子をお前さんの背に乗せてやってくれんか。お前さんなら小さい人の子の一人や二人、その大荷物に加わったところで護衛に支障はあるまい」
ほんの一瞬のことだったが、リドが本気で顔を顰めたのをイェルドは見逃さなかった。
「俺に子守の真似事をしろってかあ?」
「得意だろう?」
リドはため息をついた。たしかに、故郷の村では歳の離れた兄弟の面倒を見ることが多々あった。
「はあ……こりゃあ、とんだ壊れ物だぜ。おおい、イェルド。そいつを渡しな。そんな顔すんなって。大事に扱うからよお」
イェルドは黙って少女の縄を解くと、膝裏と背中を支え、リドに差し出した。大丈夫、彼は幼い子を乱暴に扱うような真似をする男ではない。
「……頼んだ」
「ん」
リドは両手で椀を作り、ほんとうに壊れやすい宝石を扱うかのように小さな身体を包み込む。
そして、背中の大きな背負い袋の中に慎重に入れようとしたとき、イェルドが言った。
「おい、待て」
「んん?」
「これを……」
イェルドは先日購入した外套を脱ぎ、リドに差し出す。しかし、彼はそれを手で遮った。
「イェルド、お前がやってくれ。俺では手が大きすぎる」
「分かった」
イェルドは再び下ろされたリドの手の上で、少女を彼の外套で包んだ。
大きめの外套に収まった彼女を見てイェルドは少し頬を緩める。それを見たリドは、なんだかむず痒い気分になった。
「寒くはないか?」
「問題ない。慣れている」
「そうか。まあ北の出ならそうかもな」
言いつつ、リドはもう一度袋から顔だけが出るように少女を納めた。こうすれば呼吸も問題なくできる。
「さ、じゃあ厄介者のところに戻るとしますか。イェルド、こいつのこと後ろからしっかり見ててくれよ」
見ていろ、と言われてもイェルドの背丈では彼が背負う袋の上の部分はほとんど見えないのだが。
「落とさないでくれよ」
「落とさねえよ」
リドは冗談めかして言った。
「お前の大事なお姫さんなんだからな」
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