5.山行
その後、イェルドは二人についてまわり、装備と知識を大方身につけた。
日はあっと言う間に暮れ始め、多くの人は街の中心の小高い丘の上にある教会へ祈りを捧げに歩いていく。そんな中、流れに逆らって歩く影が三つ。
「今日はなかなか楽しめましたよ。また明日からよろしくお願いします」
「またなぁー。組合前で、待ってるぜー」
「ああ、よろしく」
気の好い傭兵二人組に見送られながら、イェルドは宿への道を歩いた。
サヴィルの北の端に位置するこのデリットの街は、南国の一部とはいえかなり大陸中心の山々に近く、日はもう山間に沈んであたりは暗くなり始めている。
隊商の中継貿易地点であるここは、道に沿って様々な露店が出ていて、それを眺め歩くのが楽しいものだ。とはいえ、今は屋台を片付ける者が多い。
隊商は早朝に出発することが多いため、傭兵や商人はみんな早寝早起きだ。だから夜遅くまで屋台をやっていても利益が少ないのだ。
今は荷を積み込む者も多い。そんなわけで、夕方の道は騒がしくなるのが常であった。
(あれは……)
ふとイェルドが荷積みの一団の中に見知った人影を見つけた。
「……シオじゃないか」
昼間に会った商人の男がその中に居た。その存在に何ら不思議はない。イェルドが意外に思ったのはその積荷のほうだった。
(奴隷商、か)
何人かの奴隷が手足を鎖で繋がれ、箱型の車に乗り込んでいく。逃亡を防止するため、鎖は一列に連続して繋がれている。
考えてみれば奴隷商がこのあたりに多いのも当然のことだった。ロワルス山脈を越えるのが一番早いからだ。
本来一番早いのは飛行船を使った輸送だが、格の低い奴隷は汚らわしいと見なされ、飛行船に乗ることは許されない。そもそも飛行船は運賃が高すぎる。それこそ格の低い奴隷を飛行船で運んでも、赤字になるのが関の山だ。
イェルドはふと、馬車に乗り込む奴隷の一人に目を向けた。
肌は少し暗い色なので、南方出身だろう。くすんではいるが、目立つ金色の髪。俯いて額にかかった髪の間から覗いた瞳は、赤く見えた。
「珍しいな。赤眼か」
魔眼の一種かとも考えたが、それなら眼帯を巻かれているはずだ。
ともかく、彼はそれ以上気にすることもなく宿へと戻ったのだった。
翌朝。イェルドがロワルス山脈の稜線への入口の関所に到着すると、いくつかの隊商と思われる群団があちこちにかたまって旅の準備をしていた。
空は白み始めたばかり。早朝も早朝である。山々の中腹あたりに位置するこの関所には、朝霧がもうもうと立ち込めている。
昨日に比べれば涼しい天気になりそうだ。
「おーい、イェルドよおー。遅かったじゃねえか〜? 新人のくせによおー」
今やよく知った穏やかな声が群団のうちの一つから聞こえてくる。
「よしなさい、リド。イェルド殿が貸し出し用の剣を取りに行っていたことは知っているでしょう」
「悪い悪い、冗談だあよ。ここじゃあ、新人いじりなんてねえから安心しなー」
「それは……安心した」
三人で談笑していると、前方から「あと少しで出発だぞー」というシオの声が聞こえてきた。
「一応確認しておきますが、今回私達は一回目の角笛で出発です」
「おうよ」
「了解だ」
ここ、デリットからは日々十前後の隊商が出発する。ゆえに出発時間をずらさないと道が詰まってしまうことが多いのだ。
そして、最初の対象は先駆と呼ばれる。獣に襲われやすいため熟練の隊商に精鋭の護衛がつく。
イェルドが小耳に挟んだ話では、彼の前に十五人ほどシオの隊商への雇用希望者がいたらしい。みなティンバーとリドによってあっと言う間に叩きのめされて帰っていったようだが。
その後、後衛の護衛役三人が守備位置の確認にやってきた。三人とも南方特有の褐色の肌をしている。
「――じゃ、俺達が前衛だな。後ろは頼んだぞ」
「ええ、よろしくお願いします」
「天下のティンバー様がついてりゃ今回は余裕ってもんだな」
「……油断は命取りになりますよ」
「ははっ、もちろん気をつけるぜ」
三人が去ると、ちょうど出発を知らせる角笛の太い音色が朝の冷たい空気を揺らした。霧の中から聞こえる角笛は不気味ながらも荘厳である。
「先駆隊、出発だ!」
「おう!」
長い隊列のあちこちから掛け声が上がる。傭兵六人に商人が四人。総勢十名ともなればなかなかの大所帯である。商人頭であるシオとその息子が一番前の馬車二台を引いている。そこにティンバーがつき、その後ろの車の護衛をイェルド、そのまた後ろをリドが受け持つ。
残りの三人は先行して獣を探す役割だ。交代で二人ずつ百歩ほど先まで確認する。獣を相手より先に発見し、勘付かれずに戻ってくるとなると、ただ単に戦って打ち倒すのとは全く異なる技術と装備が必要となる。現に、三人は今回身軽で岩肌に擬態できる装備を着込んでいる。
「おーい! 獣だ、岩狼が出た。三匹だ」
早くも先行した二人が戻って来た。それを聞いて、傭兵隊の長であるティンバーが指示を出す。
「イェルドさん、手筈通りにお願いします」
「了解」
昨日の準備の間にティンバーとリドと三人で話し合ったことには、二人はイェルドの獣との戦いを見たいらしい。
イェルドは走って隊列の前方へ向かった。今回、傭兵たちは馬に乗っていない。道が険しく、すぐに使い物にならなくなるからだ。車を引く馬は山を越える体力のある種だけが用いられている。
「イェルドだっけか。今日は魔術を見せてくれるらしいな」
「昨日言った通りです、イェルド殿。では……一匹は剣で、もう一匹は魔術でお願いします。あとの一匹は臨機応変にいきましょう」
「わかった」
少し行ったところ、草陰に三匹の狼と草食動物の死骸があるのが見えた。岩狼は群れを作らない。彼らは獲物の取り合いをしているらしい。
こういうとき、離れた場所から攻撃できる魔術を先手として使うのが定石だ。
草陰から立ち上がり、体の中心から手に向かって徐々に魔力を集中させる。頭に描くのは、青い稲妻。
「ファルギル」
口に出した途端、枝状の青い閃光が空を走る。一本の木のように巨大な光の条網を成し、一瞬にして二匹の岩狼を屠る。光はすぐに消えて残響が谷間にこだました。
少し離れたところにいた岩狼は無傷だ。
「――あと一匹」
「あ、ちょっと!」
残る獣に狙いを定め、抜剣しながら走って近寄る。
(やはり軽すぎる……仕方ないか)
力に任せて剣を振るわけでもない。飛びかかってくる狼を正面から見据え、間合いを測る。
「そこッ」
一撃のもとに首を飛ばす。イェルドは血を手袋で拭って剣を鞘に納めた。
あたりは霧が満ち、いよいよ視界が悪くなる。雲の中に入ったのだ。
「イェルド殿、なんですかあの魔術は! “少し”どころではありませんよ!」
ティンバーが何やら興奮した様子で駆け寄ってきた。
「あんなの、サヴィルの白紋魔術師でもやれるかどうか……」
「見苦しいものを見せてしまった。忘れてくれ」
「見苦しい……?」
ティンバーはいまいち納得がいかない様子だ。
「俺はもともと常人より魔力量が多いらしい。今回は久しぶりだったせいで暴発してしまったんだ」
「それにしても、あんなに精確に二匹を射貫くなんて……」
「偶然だ」
「……そうですか」
二人は歩いて隊列に戻る。途中で三人組の一人が戻ってきたが、戦いはもう終わったと伝えると残念そうにしていた。
そのまま三人連れ立って戻ると、今度はシオが駆け寄ってきた。
「おい! 三人とも無事か!?」
「ええ、無事ですが何かありましたか?」
「さっきお主らが向かった方向から物凄い轟音が聞こえたんだ」
イェルドとティンバーは顔を見合わせる。
「ああ、それは俺だ。済まない。魔術が暴発してしまったんだ」
イェルドがそう明かすと、シオはあからさまに安心した表情をした。
「何事もないなら良かった…………竜種でも出たのかと思ったぞ」
「もう進んで大丈夫ですよ」
「よし。進行再開だ、セノ」
「わかったよ」
セノはシオの息子の新米商人だ。といっても十五歳の成人はもうとっくに越えて、今は見習いをしつつも自分の隊商を編成するところまで来ている。あと数回同行すれば独立を許されるだろう。
ともあれ、一行は再び歩み始めた。強大な脅威が待ち受けているとは露知らず。
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