32. 傭兵マーダス
「ふーん。イェルド……あなた、なかなか面倒なことになってるんだね」
ミラーナは大きくため息をついた。
イェルドとミラーナは一つの卓を挟んで向き合っていた。卓の上では小さな蝋燭ゆらゆらと揺れている。
彼女との縁は、一度少女を診てもらったというだけだ。居候させてくれというには、心許ない縁だ。
「無理を承知で頼みたい。ここにいる間は……できる限り、お前の頼みを聞く。傭兵としての腕には自信がある」
「できる限り、か。最優先とは言わないんだね」
イェルドは黙った。いざとなれば、当然ミラーナの頼みより少女と自分のことを優先するだろう。それは確かだ。
ミラーナの淡い緑の瞳は迷いに揺れていた。
「もちろん、家の雑用なんかもやれと言われればやる」
ミラーナはまだ目を瞑って考えていた。彼女は、奥の部屋で寝ている少女に目をやった。どうやら大人しく寝ているらしい。
ミラーナは、あの少女を診た時のことを思い出していた。あんなに小さい子供が、右腕を恐ろしい呪いに侵されている。なんて惨いことか。
ミラーナは、ついにぱん、と手を打って頷いた。
「…………まあ、うん、いいでしょう!」
イェルドは普段ぴくりとも動かないその眉をわずかに上げた。どう考えても彼女には不利にしかならない提案だというのに、承諾してくれた理由がわからなかった。
「……感謝する。しかし、なぜだ」
ミラーナはイェルドを見上げ、静かに言った。
「私は人との縁を大事にしたいの。どれだけ小さな縁でも、いつか大きくなって返ってくるかもしれないでしょ?」
「ふむ……」
そう言われても、イェルドにはよくわからなかった。
「それに、私はあの子を助けたい。治癒師としても、一人の人としても」
「……ああ。ありがとう」
「ただし」
ミラーナは人差し指を立てて、イェルドの方に向き直る。
「追手にあなたたちの居場所が見つかったと分かったら、すぐにここから出ていってもらう。私だって、家を荒らされたくないもん」
彼女にとって、この家が唯一の店だ。薬草や薬液やらがきれいに陳列された棚を見れば分かる。ここは薬師・治癒師としての彼女にとって一番大切な場所に違いない。
「ああ、もちろんだ。……ベケには、申し訳ないことをした。一生の不覚だ」
ベケの家には、賊の侵入を許してしまった。本来ならば、ベケの家が見つかる前にこちらから察知して場所を変えるべきだったのだ。
「まあまあ、あいつはほんとにいい奴だから。家族が無事ならそれで許してくれると思うよ」
「そうだといいが。いや、そうでなくとも」
確かに、言われてみればそうかもしれない。彼はイェルドたちのせいで家に厄介を引き込んでしまったときも、これっぽちも怒らないばかりか力を貸してさえくれた。挙げ句、鍛冶師を紹介してくれるとまで言ってくれたではないか。
「それで、あの子の呪いを解くためにヤヤル教国に行くんだよね? 飛行船を使うの?」
「ああ、そのつもりだ」
ここは夜の王の都、ディリ・ノクサルナ――今や勢いは昼の都に劣るが、かつては近隣諸国を飲み込んで成功したノクサルナ王国の王都である。
そんな都に飛行船の便が開通したのは最近のことだ。山間の都は守りは強いが交通の便は悪い。飛行船はこの国にとって待ちに待った発明だったのだ。
「西方への次の出港は……三日後だね。旅費はあるの?」
「いくらだ?」
「ヤヤルまでなら――おとな一人につき金貨十枚。子どもはどこへいくにも金貨三枚」
「……は?」
あまりの金額に、イェルドは固まった。イェルドの懐には金貨三枚相当の金貨十枚など、たった三日では到底稼げる筈もない。ミラーナは大きくため息をついた。
「まぁ……知らなくても無理はないか。最近、すごく運賃が上がってるのよ。やっと開通したっていうのに……開通したばかりだから、お客さんが多くて、それで吊り上がってるのかもね」
「……早く発たなければならないというのに」
「まあまあ。お金くらい貸すわよ。さすがに全部は無理だけど」
イェルドは少し考え、首を横に振った。
「いや、そこまでしてもらうわけにはいかん。金の方はできる限りなんとかする」
◆
翌日、傭兵組合に一人の男が現れた。
黒く染めた髪は獣のようにぼさぼさだが、確実な足取りで傭兵らしい覇気がある。
彼はざっと依頼掲示板を見渡す。分厚い手袋を外し、ごつごつとした大きい手に三、四枚の張り紙を取った。
彼はそれらを持って受付へ向かう。
「頼む」
「こんにちは。はい……ええと。山狼、ロワルス鳥、ロワルス火鳥、岩塊竜………………これ、全部ですか?」
傭兵組合は静まり返った。受付の前に立つ男に、無数の視線が一気に集まる。
彼は無言で頷く。受付の女性はもう一度、四枚の紙を見直した。全て鉄級の依頼だ。
規定上、これらを全て同時に受けることは可能だ。しかし、彼の登録情報は鉄級。腕輪を見ればすぐに分かる。銀級くらいになれば、これらの依頼を全て一人でこなしてしまうような超人じみた傭兵もいる。しかし、鉄級には明らかに荷が重い。
「あの、ですね。私達も、傭兵の皆さんが無理な依頼で死ぬのを見過ごすわけにはいかないのです。どこかのパルテドに参加させてもらうというのはどうでしょうか?」
パルテドというのは、傭兵が複数人で結成する集団だ。口約束のものが多く、利益の分配方法も各々のやり方で運営している。信頼のある者同士で組むのが通例だ。
「そうだぞ、おっさん。無理すんなよ。そんな歳で鉄級じゃ、どんだけやっても上にはいけねえ」
背後から、何やらわざとらしく耳障りな声が聞こえる。金属が擦れる音と、足音が近づいてくる。
実のところ彼は若いと言われる年ではないが、髭面に眉間にシワの寄った顔を作っているので老いて見えたのかもしれない。
「諦めろ。俺のような天才とは違うんだよ、お前は」
そう言って、声の主は大男の背をばしんと叩いた。彼は全力を込めたつもりだった。しかし、大男はびくともしない。彼は眉を顰め、さらに大声で怒鳴った。
「おい、聞いてんのかこの野郎!」
そう言われ、やっと大男は振り向いた。蔦のように伸びた前髪の奥には、深い青の鋭い眼光が見えた。
「ヒッ、な、なんだよ。俺は忠告してやってるんだ。見ろ。俺は銀級だぞ。先輩の言うことは聞いておいた方がいい」
男は自分の腕輪を見せびらかしつつ、目を逸らした。視線を横にずらし、大男が背負っている剣に目を留め、ニヤリと笑った。
「……なあ、俺たちと組まないか? 俺たち"ソルロニエべ"はこう見えて一流の傭兵団だ。その数の依頼でも、俺たちと組めば一日で終わるだろうよ」
それを側で聞いていた受付嬢は、ぱん、と手を打って言う。
「良いと思いますよ! ソルロニエべの皆さんは、実績もありますし……何よりそちらのアストトさんは素晴らしい弓の使い手なんです!」
「ああ、その通りだ。ここらじゃ俺に勝る弓手はいねえ。お前は剣使いだろう。後ろから援護するものがいれば心強いだろう? そうは思わないか?」
大男は少し悩む様子を見せた。アストト以外の傭兵は、みな事態を静観しているようだった。しかし、鉄級が四つも依頼を受けるというのはやはり非常識だからだろう、悪目立ちしてしまっている。このまますべての依頼を一人でこなして来れば、余計に目立ってしまう。
やがて、大男は言った。
「わかった。その提案を受けよう。俺は……マーダスだ」
「マーダス、だな。俺はアストトだ。よろしく、な」
マーダスが手を差し出し、アストトもそれに応じて握手をする。アストトは意味ありげにニヤリと笑って見せるが、マーダスは眉一つ動かさずにいた。
お読みくださりありがとうございます。
ご無沙汰しております。ここ最近忙殺されておりましたが、なんとか少しずつ形にしていっています。時間はかかりますが、今後も投稿していきますのでよろしくお願いします。
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